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ゴアンさんはその場に倒れこみ、目の前が真っ暗になった。「私は部屋を飛び出し、廊下の端から端まで走りながら、精神病患者のように何かを大声で叫びながら走りました。何を叫んだのかは覚えていません」とゴアンさん。息子を抱きしめ、目の前には軍服を着た亡き夫の姿が見え、ゴアンさんは笑顔を作ろうとしても涙を止めることができなかった。
テトが終わると、ズイ君は4回の抗がん剤投与と30回の放射線治療を受け、51kgあった体重は36kgまで減り、頭髪も抜け落ち始めた。仕方なく、ゴアンさんは息子の髪の毛を全て剃った。同情されることを恐れ、ゴアンさんは息子の病気と家族の状況を周りに隠し、毎回病院から帰るとすぐに扉を閉めた。このことにズイ君自身も複雑な思いを抱えていた。
「病院に居る時間だけが好き」と言うズイ君に、気楽でいるよう伝えていたゴアンさんも、次第に「病院に行くのは大変だけれど、息子が自分らしくいられる幸せな時間でもある」と感じるようになった。
その年の7月、ズイ君の治療も終わりに近づいていた時に、ゴアンさん母子の話が新聞に掲載された。ゴアンさんの教え子たちや多くの親しい友人たちも、その時に初めてゴアンさん母子の苦難を知り、皆が母子を励ましに家を訪ねてくれた。
「私自身が弱い人間だったのだと気付きました。私が息子を大人の罪悪感の中に追い込んでしまっていたんです。もし息子が私の圧力に従って生き続けていたら、近いうちに精神を病んでしまっていたでしょう」とゴアンさんは語る。
がんの闘病は精神面での闘いでもあり、孤独や自虐的な気持ちを抱かせてはいけないと考えたゴアンさんはそれ以来、扉を開け放ち、息子を連れて市場に行ったり、遊びに行ったりするようになった。2019年度の新学期が始まると、ゴアンさんは息子を学校に連れて行き、「ズイは病気で髪の毛がありませんが、皆さんどうか笑わないでくださいね」と生徒たちに伝えた。何人かは口を覆って笑っていたものの、7年生(中学2年生)の生徒たちの多くは一斉に「はい」と返事をした。
クラスでは誰もズイ君のことをからかうことはなかったものの、他のクラスの生徒はしばしば集まってズイ君を見に来たり、からかったりしていた。ズイ君は帰宅すると家の隅でじっとしていることも多かった。息子を楽しませるため、ゴアンさんはズイ君を故郷や病院でのボランティア活動などに誘った。サッカー選手と交流するためにスタジアムまで連れて行ったこともある。そして、夢は料理人というズイ君の料理の腕前を披露する機会もしばしば作った。