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[特集]

夫との死別、我が子のがん闘病…苦難を乗り越えて強く生きる

2021/09/05 10:04 JST更新

(C) vnexpress
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 空軍士官だった夫が死んだという知らせを受け、ゴアンさんは自殺を考えた。さらに息子ががんを患っていると判明したときには、魂を失ったように叫び、走った。

 北部紅河デルタ地方ナムディン省に住む文学教師のドー・ティ・ゴアンさんは、ほんの数年の間に、次々と乗り越えがたい辛い出来事に見舞われた。2012年5月のある午後、ゴアンさんは夫が所属する東南部地方ドンナイ省ビエンホア空港の部隊から、夫が喘息の発作で死亡したとの電話を受けた。

 結婚して10年経つものの、夫婦が一緒に過ごした時間は20か月にも満たず、ゴアンさんは現実を受け止めることができなかった。「夫がいなくなり、遠くに存在していた心の支えもなくなってしまいました。私は絶望し、これ以上もう生きていたくないと思い、目を閉じて自暴自棄にバイクを走らせました」。現在、ナムディン省ハイハウ郡ハイスアン中学校の教師をしているゴアンさんは当時の心境をこう語った。

 しかし、ゴアンさんには当時9歳と4歳の子供がいた。両親と義両親は、子供たちのために現実を見て、落ち着いて悲しみを乗り越えるようゴアンさんを諭した。そして、夫に代わり親孝行をすること、しっかりと子供たちを育てていくことが新しい人生の目標となった。毎日教壇に立ち、生徒たちに文学への愛情を伝えることも、ゴアンさんを落ち着かせる助けとなった。

 しかし、ゴアンさんを苦しめたのは夫の死だけではなかった。2018年の冬、当時11歳だった息子のグエン・ブー・ズイ君が頻繁に頭痛と吐き気に襲われるようになった。地元の医者は副鼻腔炎と診断して薬を処方したが、その薬を飲んでも症状は一向に治まらなかった。

 ゴアンさんは息子をハノイ市にあるベトドク(越独)病院に連れて行ったが、病院に着くと急にズイ君の瞳孔が開き、脚も麻痺して歩くことができなくなった。ズイ君は一晩中、耐え難い頭痛のため、自分の頭を叩き続けた。

 「私の子供を助けてください」とゴアンさんはすぐに手術をしてもらうよう医師に懇願した。ズイ君は頭痛を軽減させるため、脳の圧力を下げる開頭手術を受け、その3日後に行われた2度目の開頭手術で脳腫瘍が摘出された。

 旧暦12月23日の手術後、ゴアンさんは、息子はすぐに退院して家に帰れるだろうと簡単に考えていた。しかし、テト(旧正月)直前の旧暦12月28日に退院の準備をしている最中、医師に呼ばれ、「これから病気との長い闘いになります。お子さんの病気は悪性脳腫瘍です」と告げられた。

 ゴアンさんはその場に倒れこみ、目の前が真っ暗になった。「私は部屋を飛び出し、廊下の端から端まで走りながら、精神病患者のように何かを大声で叫びながら走りました。何を叫んだのかは覚えていません」とゴアンさん。息子を抱きしめ、目の前には軍服を着た亡き夫の姿が見え、ゴアンさんは笑顔を作ろうとしても涙を止めることができなかった。

 テトが終わると、ズイ君は4回の抗がん剤投与と30回の放射線治療を受け、51kgあった体重は36kgまで減り、頭髪も抜け落ち始めた。仕方なく、ゴアンさんは息子の髪の毛を全て剃った。同情されることを恐れ、ゴアンさんは息子の病気と家族の状況を周りに隠し、毎回病院から帰るとすぐに扉を閉めた。このことにズイ君自身も複雑な思いを抱えていた。

 「病院に居る時間だけが好き」と言うズイ君に、気楽でいるよう伝えていたゴアンさんも、次第に「病院に行くのは大変だけれど、息子が自分らしくいられる幸せな時間でもある」と感じるようになった。

 その年の7月、ズイ君の治療も終わりに近づいていた時に、ゴアンさん母子の話が新聞に掲載された。ゴアンさんの教え子たちや多くの親しい友人たちも、その時に初めてゴアンさん母子の苦難を知り、皆が母子を励ましに家を訪ねてくれた。

 「私自身が弱い人間だったのだと気付きました。私が息子を大人の罪悪感の中に追い込んでしまっていたんです。もし息子が私の圧力に従って生き続けていたら、近いうちに精神を病んでしまっていたでしょう」とゴアンさんは語る。

 がんの闘病は精神面での闘いでもあり、孤独や自虐的な気持ちを抱かせてはいけないと考えたゴアンさんはそれ以来、扉を開け放ち、息子を連れて市場に行ったり、遊びに行ったりするようになった。2019年度の新学期が始まると、ゴアンさんは息子を学校に連れて行き、「ズイは病気で髪の毛がありませんが、皆さんどうか笑わないでくださいね」と生徒たちに伝えた。何人かは口を覆って笑っていたものの、7年生(中学2年生)の生徒たちの多くは一斉に「はい」と返事をした。

 クラスでは誰もズイ君のことをからかうことはなかったものの、他のクラスの生徒はしばしば集まってズイ君を見に来たり、からかったりしていた。ズイ君は帰宅すると家の隅でじっとしていることも多かった。息子を楽しませるため、ゴアンさんはズイ君を故郷や病院でのボランティア活動などに誘った。サッカー選手と交流するためにスタジアムまで連れて行ったこともある。そして、夢は料理人というズイ君の料理の腕前を披露する機会もしばしば作った。

 1年余りが経ち、ズイ君の病状は安定し、日常を取り戻しつつあった。しかし、2021年のテトが始まる1週間前にズイ君は脊椎の痛みを感じた。検査の結果、尾骨に損傷を与える脳腫瘍が再発していることが判明した。

 ゴアンさんにとってズイ君の脳腫瘍の再発は、1度目の脳腫瘍が判明した時と同じくらいの衝撃で、すぐに事実を受け入れることができなかった。ゴアンさんが「もう一度診て下さい。どうか息子を助けて下さい」と医師に懇願すると、医師は「5分間考える時間をあげますので、決心したらすぐに入院してください。現在の感染流行状況では、数日後に入院できるかどうか保証はできません。でもお子さんの病状は、そのままにしておける状態ではありません」とゴアンさんに告げた。

 ゴアンさんは厳しい現実に引き戻され、その日から親子は痛みと共に再びスタート地点に立った。ゴアンさんは教師の仕事を調整し、その日から現在まで、息子に寄り添っている。直近の検査結果では、ズイ君への投薬の効果が高く、尾骨損傷の痕跡もほとんどなくなっている。

 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)により、小児がんを患う子供たちと家族の治療過程はより難しくなっている。集団感染(クラスター)が発生したハノイ市K病院が封鎖された際、ゴアンさんはズイ君をベトドク病院に転院させ、通常の倍の値段で外部から薬を買わなければならなくなった。それでも、適切な治療を受けることができたのは幸運だった。また、今回のハノイ市の社会的隔離措置によって、ズイ君の治療は半月遅れることになった。

 この数日間、14歳のズイ君は「ベトナムの勝利のために(Vi mot Viet Nam tat thang)」と題した絵画コンテストに参加するため、奮闘している。入院中に病院で学んだ絵画のスキルを活かしてスーパーヒーローの医師とひまわりの花の絵を描き、感染症との闘いの最前線にいる医療従事者が、とても過酷な状況にありながらもひまわりの花のように明るく輝いた存在であることを表現した。

 初めてこの絵を見た時、ゴアンさんの胸は力強い気持ちに満たされた。息子は3年の間に2度もがんと闘いながら、それでも無邪気な明るい笑顔で笑っている。まるで太陽の方向を向いて咲いたひまわりの花のように。 

[VnExpress 05:01 16/08/2021, A]
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