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アインさんの妻が出稼ぎに行ったのは、息子が5歳、娘が離乳して間もないころだった。妻の両親は遠くにいて、アインさんの生みの親は既に亡くなっていたため、アインさんは男手1つで炊事から2人の子供の風呂の世話までしていた。
「昔、子供が泣くと抱っこして村のあちこちを歩き回っていました。何周かすると、自分と同じように子供を抱っこして歩き回っている男性がいて、お互い顔を見合わせて泣き笑いしたものです」とアインさんは語る。
現在、ドンタン村では500人近い男性が同じような状況にある。2000年代初頭、ドゥックさん夫妻が一緒に暮らすようになったころ、2人は田んぼで稲を育てていたが、食べていくには十分でなかった。
そこで妻のヒエウさんは8000万VND(約38万3000円)を借り、台湾に渡って働くことを決めた。3年後に帰国したが、故郷には田畑しかない。そこでヒエンさんは下の子が3歳になったとき、再び子供たちを夫に預けて出稼ぎに行くことにした。
ヒエウさんが出稼ぎに行ったことで、自宅はおんぼろの家から広々とした2階建てに変わった。ドゥックさんと息子は、家にいても以前のように借金帳にサインすることなく、何でも好きなものを食べることができるようになった。
一方、アインさんの妻は、息子をハノイ市の大学に通わせるため、毎月1000万VND(約4万8000円)近くを拠出している。
1990年代初頭、ドンタム村在住のある2人が労働者派遣会社に勤めており、海外へ出稼ぎに行かないかと村で募集をかけた。最初は4~5人しか行かなかったが、出稼ぎに行った人たちやその家族の変化を目の当たりにし、ドンタン村の多くの住民が故郷を離れて人生を変えたいという夢を爆発させた。
1990年代後半になると、女性が台湾に出稼ぎに行くというのがトレンドになった。ここ5年ほど、ドンタン村の女性は誘い合ってマカオにも行っている。統計によると、2019年はドンタン村から570人が海外へ派遣され、うち74%が女性だった。そのほとんどはマカオのカジノや台湾の家事手伝いの仕事だ。