(C) vnexpress 写真の拡大. |
(C) vnexpress 写真の拡大 |
このほど、北中部地方トゥアティエン・フエ省フエ市トゥアンロック街区(phuong Thuan Loc)で住民の立ち退きに伴い家屋が取り壊された際に、グエン(阮)朝(1802~1945年)時代のものとみられるレンガ造りの城門2基が発見されたと報じられた。
ただし、フエ遺跡保存センターによると、以前に王宮の要塞システムを調査した時点でこの城門の存在がわかっており、写真も保管しているという。同センターによると、この城門はグハー(Ngu Ha)川の入り口にあたるトゥイクアン(Thuy Quan)東城の両側に位置し、トゥオンタイン(Thuong Thanh)地域の住民が立ち退いた際に再発見された。
1つめの門はルオンイー(Luong Y)水路の右側にあり、厚さ約60cm、幅80cm、高さ100cmのアーチ型で、下部には基礎として石が使われている。2つ目の門はルオンイー水路の左側、民家の裏手にあり、1つ目と同じくアーチ型だが、内部は住民らによって塞がれてしまっている。
専門家によると、トゥイクアン東城はかつて王宮一帯の重要な防衛エリアだった。船でグハー川を通って王宮内部に入るにはここを通過しなければならなかったからだ。この2つの城門は、王宮の城門と建築様式や建設方法が共通しているため、王宮と同時期に建設されたことは間違いないようだ。しかし、防衛上の理由により、資料などでもほとんど言及されてこなかったものとみられる。
一方、フランス人学者のレオポルド・カルディエール氏が記したフエの王宮に関する資料には、トゥイクアン東城の左右の門の位置が地名と地図で示されている。また、ベトナムの地歴に関する書籍「大南一統志(Dai Nam nhat thong chi)」にも、この地域には大砲と衛兵が置かれ、グハー水路システムと王宮において非常に重要な位置だったと記されている。
しかし、1975年前後に何千もの世帯がトゥオンタイン地域やエオバウ(Eo Bau)地域、また王宮の遺跡内に移り住み、家屋を建てるようになり、これらの城門も注目されなくなった。しかし、センターでは以前からこの情報を認識していたため、土地の整備の際には注意するよう警告する標識を設置していたという。
そして、トゥアティエン・フエ省当局は住民らの立ち退きを計画し、この3月にトゥオンタイン地域の523世帯が自ら家屋を取り壊し、土地を引き渡して新たな再定住地に移った。計画では、2020年にエオバオ地域、2021年にホタインハオ(Ho Thanh Hao)地域の住民を立ち退かせ、新たな地域に再定住させる。
フエ遺跡保存センターは、近くこれらの2つの城門をフエの各遺跡とともに保存・復元・活用していく方策を立てるという。