(C) dantri, 銅鼓の鋳型片 写真の拡大. |
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ベトナム国家歴史博物館(ハノイ市)と東亜大学(山口県下関市)は、北属期(紀元前111~紀元939年)のベトナムの中心地とされる紅河デルタ地方バクニン省トゥアンタイン郡タインクオン村のルイラウ(Luy Lau)古城遺跡で第2次発掘調査を行い、12月31日に調査結果を報告した。これは、国家歴史博物館と東亜大学による越日考古学共同研究プロジェクト(2014~2019年)の一環。
ルイラウ古城遺跡は、今から約2000年前の北属期(北ベトナム最初の統一王朝であるゴ(呉)朝(939~968年)建国前、中国王朝に服属していた時期)に、漢が設置した交趾郡の政治・経済・文化の中心地だったとされる。
2015年に行われた第2次発掘調査では、紀元前1世紀から紀元後14世紀までの多数の遺物が出土した。出土遺物として、銅鼓の土製鋳型のほか、レンガや瓦、瓦当といった建築材や生活用の土器などが挙げられる。特に銅鼓の鋳型は、900点以上の破片が鋳造に関連する各種遺物と共に出土した。鋳型の年代について、銅鼓研究者は2~3世紀ごろ、発掘調査チームは4世紀ごろとしている。
こうした出土遺物から、同区域はかつての大規模な集落の中心地且つ青銅器の鋳造工房であり、人々はこの地に連続して長期的に居住していたものと考えられている。また、紅河デルタを中心に発展した青銅器時代のドンソン文化(紀元前4世紀頃~紀元後1世紀頃)の遺物である銅鼓の鋳型が出土したことで、同文化が後の時代まで根強く残ったことも明らかになった。
しかし、ルイラウ古城遺跡は歴史的・文化的に重要な遺跡にも関わらず、住民による古物目当ての盗掘や魚を放す池の掘削、墓の建設などが横行している。こうした状況を防ぐべく、何らかの措置を講じることが急務となっている。共同研究チームは今後数年間に、同遺跡の様相を明らかにすべく、更なる研究を続けていく計画だ。