
南部メコンデルタ地方カントー市出身のルウ・ティ・キム・リエンさん(女性・59歳)は、16歳の少女が生んだという、身体の麻痺と聴覚障がいのある幼い子供を貸し部屋(下宿)に連れて帰った日、近所の人たちから「クレイジー」とあだ名をつけられた。
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首が片側に曲がり、手足がひきつり、よだれが垂れ、非衛生的なその子供を見て、誰もが10歳まで生きられないだろうと思っていた。
しかし、あれから25年が経った今、彼らはホーチミン市ビンタン区の下宿で暮らしている。仕事から帰ってきたリエンさんの気配を感じるや否や、その「子供」ことフイン・ニュット・ラムさんはすぐに首を上げて手を伸ばし、口は何やら楽しそうに話しながら、台所の裏のほうへ這って行った。
ラムさんはテーブルに置いてあるインスタント粥の丼に目をやり、自分でお湯を注いで作ったのだとひそかに見せびらかした。「すごいじゃない」とリエンさんは褒め、ラムさんの髪を撫でた。
2000年半ば、リエンさんと夫はカントー市ニンキエウ区に部屋を借り、宝くじを売って生計を立てていた。しかしあるとき、リエンさんは倒木の下敷きになって足を骨折してしまった。以前のように歩けなくなったリエンさんは、身体の麻痺と聴覚障がいのある生後4か月の赤ちゃんの世話をしないか、知人からと紹介された。その赤ちゃんがラムさんだ。
リエンさんの記憶では、赤ちゃんの母親はフオンといい、南部メコンデルタ地方キエンザン省出身で、16歳になったばかりの色白の美少女だった。フオンさんの当時の話によれば、彼女は1人で子供を育てながらカフェで働いていたが、赤ちゃんはずっと病気がちで、乳母に預けても数週間で戻されてしまうのだということだった。
リエンさんは、泣いている赤ちゃんを抱きしめ、かわいそうに思い、月60万VND(約3500円)で世話を引き受けることにした。
しかし、その若い母親が60万VNDを支払ったのは最初の1か月だけだった。ラムさんに会いにくることも次第に少なくなり、ついには全くなくなった。リエンさんは、ラムさんを抱えてフオンさんの勤務先のカフェを訪ねてみたが、フオンさんはすでに辞めており、どこに行ったのかも誰も知らなかった。