入試でボーダーラインを上回ったキアさんだったが、一向に合格通知が届かず、やきもきする日々を送った。日が経つにつれて徐々に希望も薄れていったが、ここで勉強を辞めてお金を稼いで両親を助けるのもありだ、と自分を慰めた。
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2018年8月の終わりのある午後、村役場の職員がニンさんのもとに1通の封書を持ってやってきた。ニンさんは文字が読めなかったが、それはきっと娘が待ち続けている封書に違いないという予感がした。
ニンさんはその封書を持って畑に行き、娘に手渡した。泥のついた手をシャツの裾でさっと拭い、キアさんは急いで封書を開けて、「受かった!」と叫んだ。ニンさんはその紙を手に持って、宝物のように大事に扱った。
「ニンのところの娘が大学に合格した」というニュースは、村じゅうで大きな話題になったが、ニンさん夫妻の財産はもはや、我が子が大学に合格したという誇り以外には何もなかった。
大学生活を振り返ると、キアさんを都市部で下宿させるため、両親は家じゅうの米やキャッサバ、塩辛さえも節約しなければならなかった。
「毎月少なくとも30万VND(約1700円)、多い時で50万VND(約2800円)をもらっていました。両親にとっては大きな負担だったでしょう。両親は凍える夜にも貝や蟹を採りに行き、翌朝売ってお金を貯めて、月末に私が帰省すると渡してくれました」とキアさんは目を赤くして教えてくれた。
2年生の2学期が始まる頃、キアさんが実家に帰ると、思い出の古い自転車が家からなくなっていた。キアさんの学費と生活費に充てるため、両親が自転車を売ったのだった。
小学校から大学までを振り返って、キアさんが得た最大の財産と学びは両親の献身だったいう。キアさんは今や「ニンさん夫妻の4女」ではなく、「トアット村のキア先生」と村の人々から呼ばれている。
フンロイ村に暮らすモン族の保護者たちは、自分たちと同じ土地の出身の教師のもとで子供たちが学べることを喜んでいる。保護者たちは「よく勉強して、キア先生のようになりなさい」と我が子に伝えているそうだ。
2022年の夏、第2フンロイ小学校が企画した職員旅行に、キアさんは両親を誘った。50歳近くになって人生で初めて休暇を過ごす父親を見て、キアさんは嬉しい気持ちと共に切なさも感じた。
「両親は今まで私が前に進めるようにずっと後ろで支えていてくれました。これからは、両親が行きたい場所に、どこへでも一緒に行きたいと思っています」とキアさんは語った。