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「毎日仕事が終わると、お店の人たちに『明日もちゃんと来るか』と聞かれました。以前勤めていた多くのスタッフがお店の厳しいルールに耐えられず、短期間ですぐに辞めてしまっていたからです。でも、私にとってお店の要求するルールはごく普通のことでした」とフオックさんは振り返る。
農村での重労働に慣れていたフオックさんは、日本料理店のオーナーの厳しい要求に驚いたり、圧倒されたりすることもなかった。「私は農民なので、床の掃除から何から、どんな仕事でも大したことはありません。むしろ何もせずにただ座っているだけのほうがよっぽど疲れます」とフオックさん。
こうして一生懸命に働き、一生懸命に学び、フオックさんは日本食、日本人、日本文化に溶け込むための最初のハードルを乗り越えた。
フオックさんにとって忘れられない思い出の1つは、ハノイ市の日系ホテルで開かれた伝統的な日本料理のイベントに参加したことだ。食材の選択・加工・調理・装飾から生まれる見た目の美しさと哲学を感じ、フオックさんの中に日本料理をもっと深く知りたいという情熱がわきあがった。
そしてフオックさんは日本料理店の仕事を辞めることを決心し、伝統的な日本料理を学ぶべく奨学金を得て日本に留学するため、日本語学校に入学することにした。
1度はビザが下りなかったが、2016年に奨学金を得て北海道室蘭市にある北斗文化学園インターナショナル調理技術専門学校に留学した。しかし、日本では文化、特に言語の違いに大きなショックを受け、自身の意志が試されることになった。「当時の北海道はまだ在住ベトナム人が少なく、クラスでもベトナム人は私だけでした」。
ベトナムで受けた日本語能力試験は高いレベルに合格し、日常生活のコミュニケーションには十分だったが、それでも地元の文化に適応し、友人たちと親しく交流するにはまだまだだった。
「日本人は英語を話したがらず、外国人との関わりにも用心するので、コミュニケーションに苦労しました。日本人が会話していても、頭の中ではセミの鳴き声のようにしか聞こえず、何も理解できないということもしょっちゅうでした」とフオックさんは語る。
カルチャーショックを受けながらも、日本の文化や歴史、憲法などの知識を身につける努力を重ねて、フオックさんはこの問題を乗り越えた。2年後に短期大学を卒業し、日本の調理師免許を取得した。