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このように日常を観察することで、タインさんはそれぞれ用途が異なる数十種類の道具や機械を生み出してきた。そして、ニンニクスライサーから障がい者用の電動車椅子まで扱う小さな溶接店は、南部メコンデルタ地方ロンアン省タンアン市で名の知られた機械工場に発展していった。
「私は父をとても誇りに思っています。父は手に職を持って働き、健常者と同じように収入を得ているんですから」と、タインさんの息子であるカオ・ティエンさん(男性・30歳)は教えてくれた。
年を重ねたタインさんの両手は、長年にわたる過労が蓄積したこと、また両脚の代わりに身体を持ち上げてきたことで、2年ほど前から関節が痛むようになった。治療のための入院中、タインさんは自分自身が乗る車を作ろうと考えていた。
レーシングカーのような形を思い浮かべ、頭の中でフレームを描いた。退院すると、設計図やデータを書き出すことなく、すぐに製作に取りかかった。はじめに車のフレーム、そして座席、エンジンルームに加え、ルーフ、ウインカー、マフラーなどの部品に着手し、6か月後にタインさんオリジナルの車が完成した。
「健康な人にはたくさんの選択肢があり、どんな車でも運転できます。両脚が動かない私にとって、自分に合った車を作り、自分で運転して出かけられるというのは大きな誇りです。好きなことはやってみる。落ち込んだり諦めたりしなければ、成し遂げられます」とタインさんは語る。
最近、タインさんは車に運転手と車体を上に持ち上げて180度回転させるシステムを追加し、車の方向転換がより容易になった。
タインさんは車のハンドルについたミラーを見てこう語った。「自分の顔がどう見えるか、時々確認するためにこの鏡を取り付けたんです。振り返ってみると、この仕事のおかげで自分自身が成長し、また子供たちを養って来られたことはとても幸運で、何よりの幸せです」。タインさんはそう言うと、優しく笑った。