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児童養護センターが保管していたノーさんに関する書類はすべて少年村に移管された。こうした書類も情報はわずか数行で、ノーさんが誘拐されてホーチミン市で発見されたこと、1988年9月9日にホーチミン市1区警察から第4幼稚園に移管されたことが書かれているだけだ。
大人になって少年村を出たノーさんは、幸運なことに以前の先生の養子となった。こうしてノーさんは、初めて小さな家族と暮らすことになり、母親がいる幸せを感じることができた。自立するため、毎日一生懸命学校に通いながら働いた。
ノーさんは今も実の両親を探したいと思っているが、1人では何から始めればよいのかわからずにいる。「長い間、悲しみと恋しさを感じ、両親はどこにいるのだろうと自問してきました。いつになったら両親に会うことができるのかわかりません。私はただ、故郷が欲しいんです。自分の本当の名前や本当の生年月日も知りたいですが、誰に聞けばよいのかもわかりません」とノーさんは言葉に詰まった。
その後、ノーさんはトゥードゥック区のタムフー幼稚園の職員となり、養母の家も出て自立して暮らし始めた。ノーさんは引き続き学校に通い、ついに幼稚園教諭になった。日々園児たちを見ていると、過去の自分のことを思い出す。
幼稚園の同僚たちも、自分のルーツを探すよう背中を押してくれた。こうしてノーさんは、本当の両親を探す「旅」を始めた。しかし、4年が経ってもまだ手掛かりは見つかっていない。
ノーさんを幼いころから見てきたチーさんはこう語る。「毎年テト(旧正月)になると、孤児たちは集まって一緒にテトを迎えます。私が皆に一番欲しいものは何かとたずねると、ノーは『私の願いは自分の両親を知ることだけ』と答えました。それで私は、彼女の家族への憧れに気付いたんです」。
両親を探す旅はまだまだ先が長いが、それでもノーさんはあきらめず、何十年の離別を経て本当の両親に再会するという奇跡を待ち望んでいる。