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[特集]

赤ん坊のころに誘拐…生き別れた両親を探して33年、幼稚園教諭の女性の今

2020/12/06 05:30 JST更新

(C) thanhnien
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 33年前に誘拐され、警察に保護されてホーチミン市ゴーバップ区の児童養護センターに送られたグエン・ティ・ノーさん(出生届では1987年生まれ)は、幼稚園教諭として働きながら、今も家族との再会という奇跡を待ち続けている。

 ノーさんは、自分がどこで生まれたのかも、生年月日すらもわからない。「私のルーツはどこ?」と、いつも自問してきた。幼いころのかすかな記憶の中でノーさんが知っているのは、自分が2つの孤児院の出自だということだけだ。

 最初に入ったのはゴーバップ区児童養護センター。その後、トゥードゥック区少年村で育った。子供時代は多くの先生たちに手塩にかけて育てられ、穏やかな日々だった。

 幼いころ、センターでは毎日ムオイ(本名:ルウ・トゥー・ホン)さんとチー(本名:レ・ティ・キム・チー)さんに愛情たっぷりに世話をしてもらっていた。2人は教会のボランティアグループのメンバーで、孤児たちの世話をしたり、勉強を教えたりするためセンターに通っていた。

 学校に上がる年齢になると、ノーさんはセンターの外の公立学校に通うことが許可された。それ以来、ノーさんは外のコミュニティにも溶け込んでいった。

 ムオイさんの話によると、ノーさんは生まれて間もないころに何者かに誘拐され、物乞いをさせられていた。その後、ノーさんは警察に保護され、現在のゴーバップ区児童養護センターである第4幼稚園に連れて行かれた。

当時センター長だったガム(本名:マイ・ティ・ガム)さんが、ノーさんを最初に警察から引き取った。ノーさんはセンターで新生児クラスに振り分けられた。1か月後、「グエン・バン・ノー」と名乗る男性が娘を探しにセンターを訪れた。

 しかし、男性は証明書を持っていなかったため、娘を引き取ることができなかった。その後、その男性がセンターに現れることはなかった。ノーさんの乳母は、その男性が実の父親だと直感し、まだ名前のなかったノーさんに「グエン・ティ・ノー」と名付けたのだった。

 「ノーはとても良い子で大人しく、寡黙でした。心の内を外に出すことはありませんでしたが、いつも心の中に感謝の気持ちを持っていました」と、チーさんはノーさんの幼少期について話した。

 2002年、ノーさんと他の子供たちは勉強を続けるため、チーさんの紹介でトゥードゥック区少年村に移った。ノーさんも皆も、慣れ親しんだ家を突然離れなければならなくなり、たくさんの不安を抱えていた。

 当時についてチーさんはこう付け加えた。「ノーはショックを受けて、自分の家として過ごしてきたセンターを離れるときには泣き叫んでいました。そのとき、私はあえて振り返ることはしませんでした。彼女たちを連れて少年村に着くと、私は車に乗ってそのまま帰りました。その後も週末には少年村を訪問し、彼女たちを励ましていました」。

 2020年11月末のある午後、トゥードゥック区少年村を出た女性たちが暮らすシェアハウスで、チーさんはガムさんから引き継いだ孤児たちに関する日誌のページをめくっていた。

 その中で、ノーさんに関する情報は空白になっていた。唯一書かれていたのは、「グエン・ティ・ノー」という名前だけ。ノーさんは家族に関する思い出の品なども何もなかった。ノーさんの年齢も生年月日も、ガムさんが決めたものだ。ノーさんが持っていたのは出生届と、児童養護センターで撮った1枚の写真、そして大人になったら少年村を出て生まれ変わるのだという決意だけだった。

 児童養護センターが保管していたノーさんに関する書類はすべて少年村に移管された。こうした書類も情報はわずか数行で、ノーさんが誘拐されてホーチミン市で発見されたこと、1988年9月9日にホーチミン市1区警察から第4幼稚園に移管されたことが書かれているだけだ。

 大人になって少年村を出たノーさんは、幸運なことに以前の先生の養子となった。こうしてノーさんは、初めて小さな家族と暮らすことになり、母親がいる幸せを感じることができた。自立するため、毎日一生懸命学校に通いながら働いた。

 ノーさんは今も実の両親を探したいと思っているが、1人では何から始めればよいのかわからずにいる。「長い間、悲しみと恋しさを感じ、両親はどこにいるのだろうと自問してきました。いつになったら両親に会うことができるのかわかりません。私はただ、故郷が欲しいんです。自分の本当の名前や本当の生年月日も知りたいですが、誰に聞けばよいのかもわかりません」とノーさんは言葉に詰まった。

 その後、ノーさんはトゥードゥック区のタムフー幼稚園の職員となり、養母の家も出て自立して暮らし始めた。ノーさんは引き続き学校に通い、ついに幼稚園教諭になった。日々園児たちを見ていると、過去の自分のことを思い出す。

 幼稚園の同僚たちも、自分のルーツを探すよう背中を押してくれた。こうしてノーさんは、本当の両親を探す「旅」を始めた。しかし、4年が経ってもまだ手掛かりは見つかっていない。

 ノーさんを幼いころから見てきたチーさんはこう語る。「毎年テト(旧正月)になると、孤児たちは集まって一緒にテトを迎えます。私が皆に一番欲しいものは何かとたずねると、ノーは『私の願いは自分の両親を知ることだけ』と答えました。それで私は、彼女の家族への憧れに気付いたんです」。

 両親を探す旅はまだまだ先が長いが、それでもノーさんはあきらめず、何十年の離別を経て本当の両親に再会するという奇跡を待ち望んでいる。 

[Thanh Nien 08:21 03/12/2020, A]
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