![]() (C) petrotimes ![]() |
3年間、彼は首都リマの市場付近で路上生活を続け、皿洗い、飴売り、新聞売り、ガム売りなどの仕事をして暮らした。そんなある日、彼はフローレス地区にあるレストランで皿洗いの職にありつく。中国人の店主は、彼が長く路上生活を続けていたことを知っており、仕事の早さを買って雇い入れたのだ。
数か月働いた後、彼はサン・マーティン地区にある他の店に移る。この店の主人は、他の地区に新店舗を出そうとしていた。店主はバンさんの機敏さや辛抱強さなどを評価して、厨房での仕事を与えた。2004年初めに、店で寝泊まりすることを許可され、彼はようやく路上生活に別れを告げることが出来た。彼はこう語る。「以前5つ星のホテルに泊まったこともあったけど、路上生活から抜け出した時の喜びはそれとは比べ物になりません」その頃にはアシスタントシェフに昇格し、月収も約200ドル(約2万円)まで上がった。
しかし、やっと手に入れた安定した暮らしも長くは続かなかった。他の中国人スタッフが入ると、店を追われ、また別の地区の店で一から働き始めなければならなかった。それでも、この頃にはスペイン語も上達し、コミュニケーションをとるのに不自由しないレベルになっていた。
また、新しい店では、ペルー人老夫婦との運命的な出会いがあった。夫婦はバンさんを可愛がり、彼を養子に迎えることを決意する。バンさんが自らの境遇を語ると、夫婦は泣いて哀れんだ。そしてバンさんを外務省に連れて行き、身分証明書の発行を申請した。しかし、申請は却下され、今度は赤十字国際委員会にベトナムへの渡航を斡旋してくれるよう頼んだが、これも叶わなかった。