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無一文となった同氏は、友人から資金を借りて、まず廃材収集業を始めた。更に、自転車工場、縫製工場、石鹸工場などに投資し、それらが軌道に乗ると、自身の金行を設立した。金行には毎晩様々な人物がお忍びで「金」を売りにやってきたため、今度は公安に目を付けられ、思想改造施設に送られてしまった。
ようやく出所した後は、政府が主導する市場改変により、資産の大半が没収され、新たな事業に方向転換することをを余儀なくされた。それでも、これまで築き上げた人脈を活かして、家を購入し、自転車のフレーム生産や服飾生地の販売を始め、新たなスタートを切った。
同氏は生粋の商売人で商才に溢れていたため、売上げは急速に拡大していった。売上げは全て妻に渡していたが、1984年に妻と離婚することになり、妻から財産分与が受けられず、また一文無しになってしまう。
離婚後は友人らの協力を得て、ホーチミン市3区に小さな洋服店を開いた。これが成功し、市内に多くの支店を持つまでに成長する。まさに同氏にとっての金の卵だった。資産が一定の額に達すると、再び金融分野への投資に力を入れるようになった。個人銀行を営んだ経験を元に、ホア・フン信用金庫を設立。1987年の終わり頃に多くの銀行が倒産する中、同氏の銀行は安定した成長を続け、貯蓄家たちの信用を得ていった。支店も急速に増えていき、「金」売買の分野でも発展していった。
齢70歳を越えた後も、同氏の活躍は留まるところを知らない。その経営スタイルは常に斬新で、他者の追随を許さない。管理協会への出資金も膨大な同氏だが、このほど初めて詐欺罪に問われた。理由は、かつて不法出国者へ「金」を供給したとして思想改造施設に入れられていたためだという。今回の起訴により、同氏はかなりの資産を失うことだろう。それでも同氏の資産はまだまだ膨大だが。