ベトナムで人材紹介を行う JellyfishHR がお届けする在住日本人へのインタビュー。今回お話を伺ったは、現在ハイフォンで日本語教師として働いている、 青山香枝さん(29) です!
日本でやっていた仕事とは全く違う、 「ベトナムで日本語を教える仕事」 を選んだ彼女の「想い」を詳しく教えてもらいました。
「アジアで生活したい」という思いが現実に
――自己紹介をお願いします!
青山: 青山香枝、29歳です。ベトナムへ来てまだ半年ぐらいですが、日本語教師をしています。10月から 約1か月インドネシア で日本語を教えてから、ベトナムへ来ました。 日本語教師になる前は、飲食店で働いていました。
――日本語教師の詳しい仕事内容を教えてください!
青山: ベトナム人に日本語を教えています。教えている学生は、日本へ留学したい人や日系企業で働く社会人などです。
日中は20歳前後の学生が多く、ワイワイしていますが、夜は社会人が多く、少し落ち着いた雰囲気で、学習歴によってほとんど話せないクラスもあれば、それなりに会話ができるクラスもあり、いろいろな学習者がいて楽しいです。
―― なぜアジアに飛び出そうと思ったのですか?
青山: 学生時代からアジアに惹かれるようになり、漠然と「いつかアジアで生活したい」という想いを抱いていたからです。
大学卒業後、アルバイトをしていた飲食店に就職することになり、とりあえず店長になることを目標として働いていました。
店長にもなれ、一段落した時に、さて次はどうするかと。その時は26歳になる直前で、人生を考える年頃ですよね。
30歳が近くに見え始めて、結婚や仕事や・・・。身軽なうちに動くしかない! 今動くしかない! と思い、手に職もない、英語もできない私がどうやったらアジアに行けるか考えた結果が、日本語教師になることでした。
そして今、アジア、ベトナムで働くことができています!
―― 凄い行動力ですね。来越前の話を、少し詳しく教えてもらえますか?
青山: 2月まで某飲食チェーン店で働いていました。最後の1年3か月は、働きながら、日本語教師養成講座に通っていました。そして、養成講座が終了したので、仕事も退職し、すぐに就職活動をするつもりでした。実際には、友人と会ったり、各地を旅行したりと、9月まで休暇を満喫していましたが。
やっと就職活動を始めて入社が決まり、初めの1か月程は、インドネシアのジャカルタで日本語を教えていました。その後、ベトナムへ来ることになりました。
―― どのように日本語教師という仕事をみつけたのですか?
青山: はじめは、大学時代からなんか惹かれるインドネシアで働きたかったのですが、インドネシアでの日本語教師の求人ってほとんどないんですよね。だから、ベトナムでもいいかなぁと思い始めていたのです。
そんなとき、たまたま求人欄に「インドネシア」と「ベトナム」の両方があるのを見つけて。あわよくば、両方行けるのではないかと思いましたが、すでに両方行くことができました。
―― 早速2か国経験できるとは、恵まれていますね。実際にベトナムに来てみて、イメージ通りでしたか?
青山: ベトナムに来る前のイメージは、バイクが多いことと米麺フォーでした。実際、ハノイはバイクが多く、フォーの店がたくさんありました。
あとは、 ハノイの冬は寒い! こんなに寒いとは思いませんでした。
そして、鍋がおいしい!ベトナムの人?ハノイの人?は鍋が好き。私が食べた鍋は ニワトリの頭から足の先 までカットして入っていましたよ。
ちなみに現在はハイフォン勤務ですが、その前にハノイで勤務していました。
―― インドネシアと比べると、さぞ寒いでしょうね。 将来のビジョンについて、何かありますか?
青山: あと数年は、日本語教師としてキャリアを積んで行きたいです。
その後は、日本語教師かもしれないし、ほかの方法かもしれませんが、日本とアジアをつなぐ仕事をしていきたいです。
ベトナムは住みやすい!
―― 最後に、ずばりベトナムの良いところを教えてください!
青山: 住みやすいところ! 人はやさしいし、料理はおいしいし、ビールが安い!
あと、治安がいい。これまで問題なく過ごせています。もちろん、東京と比べて不便なこともありますが、すぐ慣れます。
あっ、あと 花粉症やアレルギー症状が出ない こと。日本にいた時は、1年中ティッシュや目薬が必須だったのですが、ベトナムに来てからほぼ使っていません!
―― 確かに、花粉症の人にとってはものすごく住みやすい国ですね! ありがとうございました!