労働組合の設立は、ベトナムの労働者階級や労働運動、労働組合組織が成熟したことを表す出来事であり、ベトナムにとって大きな意義を持つ歴史の1ページとなった。
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その後、第一次インドシナ戦争と南北分断、ベトナム戦争を経て、1975年4月30日にサイゴンが陥落した。以降、ベトナムにおけるメーデーの位置付けは、4月の南北統一と相まって、党や国民、軍にとってさらに意味のあるものとなった。
南北が統一され、1976年に国名がベトナム社会主義共和国となり、全国の労働組合組織を統一するための基本的な条件が整った。これを受けて同年6月6日、北部と南部の労働組合組織を統一し「ベトナム労働組合」とすることが決まった。この名称は後の1988年10月に、現在の「ベトナム労働組合総連盟」に変更された。
1986年のドイモイ政策から35年が経った今、ベトナムの労働者階級は数も増え、質も向上している。現在、ベトナムにおける賃金労働者の数は約2450万人で、このうち企業の労働者が60%を占める。この数はベトナムの人口の約14%、労働力人口の27%に相当する。近年は労働者の教育水準や専門性も向上しつつあり、ベトナムの発展にも大きく貢献している。