「地元の子供たちには衛生習慣、お母さんたちには子供の世話の仕方を教えていました。お母さんの知識が十分でないがため、高熱を出している小さい子供を暑い外にいさせたり、深い傷を負っているにもかかわらず治療もしないというのを見たときには心が痛みました。そういった知識を共有したことで、皆が私を家族のように受け入れてくれて、より親密になっていったのだと思います。だからこそ私と同僚は、彼らを手助けするために多くの時間を捧げました」。
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ガー少佐にとって最も印象的な思い出は、ベトナムに帰国するときのことだ。地元の子供たちがガー少佐の同僚の電話を借りて彼女に電話をかけ、「寂しい、早く戻ってきて」と話したのだった。
ガー少佐が任期を終えて南スーダンからいなくなることを知ったとき、泣いた子供もいれば、空いた時間にガー少佐へ贈る絵を書いたりプレゼントを用意したりする子供もいた。そして子供たちは、自分たちのことを忘れないで、プレゼントを持ち帰って大切にして、と伝えた。
ガー少佐は、「ベトナムより他国のほうがPKO活動の経験が豊富で、私の同僚たちもほとんどが2回目、3回目の参加でした。よく一緒に地元の人々と交流したノルウェー人の親友も、私が向こうへ行ったときからたくさん助けてくれました。仕事について時間を忘れて話し合っていて、深夜の2時、3時になることもありました」と語る。
こうした南スーダンでの経験は、女性士官のガー少佐にとって一生忘れることのできない、貴重な思い出となっている。