ハノイ市バーディン区の世界文化遺産タンロン城王宮跡(タンロン遺跡)で14日、2015年度敬天正殿(chinh dieh Kinh Thien)区域発掘調査結果予備報告会議が開催され、タンロン・ハノイ遺産保存センター及びベトナム考古学研究所は、新たに発見された遺構や遺物など最新の成果について報告した。
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(C) hoangthanhthanglong, 出土した瓦当と建築装飾 |
2015年度は、正殿の城門である端門(Doan Mon、正殿の城門)の北側、黎(レ)朝(1428~1527年、1532~1789年)以降の正殿である敬天正殿の西南部分に当たる地区(総面積約1000m2)で発掘調査を行った。敬天正殿は現在、龍が飾られた階段しか残存していないが、かつては階段の上に李(リー)朝(1009~1225年)や陳(チャン)朝(1225~1400年)の宮殿の基礎の上に築いた正殿があった。現在の建物は、フランス植民地時代にフランスが建てたものだ。
ベトナム考古学会のトン・チュン・ティン会長によると、今年度までの調査で黎朝時代の敬天正殿の謁見場や壁、廊下といった構造が明らかになった。また、端門の外部で数年前に発見された李朝の巨大水路についても新たな知見が加わったほか、陳朝の花壇跡なども発見されている。
同会議で歴史科学会のファン・フイ・レ会長は、2011年から2015年までの5年間における発掘調査をまとめると共に、今後の研究方針を定めるべきとし、敬天正殿の空間復元に向けた研究を含めて総体的且つ長期的な計画を立てる必要があると述べた。
同遺跡は、大羅(ダイラ、8~9世紀)から丁(ディン)朝(966~980年)、前黎(レ)朝(980~1009年)、李朝、陳朝、黎朝、莫(マク)朝(1527~1677年)、阮(グエン)朝(1802~1945年)の各時代の10世紀以上にわたる文化層が重なり合っている。現在までに行われた発掘調査では発掘坑の深さが5mに達した地点もあり、当時の様子を物語る様々な遺構や遺物が出土している。