ベトナムに住めば毎日目にすることになるベトナムの文字。カンボジアやタイ、ラオス、ミャンマーなどの周辺国では、意味どころか発音の仕方がわからない独特な文字を使用していて、外国人はバスに書いてある行き先を知るのでさえ苦労するのですが、ベトナム語の表記にはローマ字が使用されているため、地名や人名程度ならある程度わかるということに感動した人もいるのでは。
ベトナムは、地理的な特徴とその歴史から、さまざまな国の影響を受けて発展してきた国。それは、言葉も例外ではありません。ここではベトナム語、特に現代ベトナム語に焦点を当て、その歴史を紐解いてみたいと思います。
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現代ベトナム語以前のベトナム語
現在、ベトナムで公用語となっている言語は、「現代ベトナム語」と呼ばれます。アルファベットに発音や声調をつけた文字を使用していますが、これが使われるようになったのは文字通り現代になってから。この現代ベトナム語以前は、どのような文字を使用していたのでしょうか。
ベトナムでは20世紀に至るまで、 公式文書は「漢文(漢字)」 で記されていました。隣接国であり、ベトナムの支配国でもあった中国の影響です。これと並行して、13世紀には漢字を応用した チュノム(Chữ nôm=𡨸喃、字喃、チューノム) という文字が作られ、漢字では表記できないベトナム固有の語彙を表現することが可能になりました。Chữ(𡨸)は「文字」、nôm(喃)は「しゃべる」という意味です。
(c) VIETJO Life, 上が現代ベトナム語の文字、下がチュノム
なお、現代ベトナム語には漢文が元となっている言葉が多数あり、 ベトナム単語の6~7割は漢字が由来していると言われています。
フランス人宣教師によってもたらされたクオックグー
現代ベトナム語のことを、ベトナム語で 「クオックグー(Quốc ngữ=国語)」 と言います。日本で日本語のことを「国語」というのと同じですね。そして、クオックグーを表記する文字のことを「Chữ Quốc ngữ(チュークオックグー)」と言いますが、日本ではベトナム語の文字のことを単に「クオックグー」と呼ぶのが一般的なので、ここでも同様に文字のこをと「クオックグー」とします。
(c) VIETJO Life, クオックグーで使用されるローマ字
クオックグーはベトナム人が開発したものではなく、17世紀にベトナムへやってきたフランス人宣教師 アレクサンドル・ドゥ・ロード(Alexandre de Rhodes) が ラテン文字(ローマ字)を元に考案 したものです。フランス語の発音と文字のルールを元に、ベトナム語の発音を文字に当てはめていきました。
当初クオックグーは、主にヨーロッパ宣教師のベトナム語習得やカトリック教会内での布教のために使用されており、一般のベトナム人に普及することはありませんでしたが、フランス植民地時代になると、フランス語の公用語化を押し進めるための補助的な道具として、クオックグーが利用されるようになっていきます。フランス語を学びやすくする手段として、まずはベトナム語を ローマ字表記にすることから始めたのです。
では、フランス語を公用語化するための補助的な道具でしかなかったクオックグーが、なぜ、そしてどのようにして現代ベトナム語になったのでしょうか。
フランスの教育政策とクオックグーへの反発
そもそも、ベトナムの伝統・文化を軽視するフランスの教育政策には反発が強く、外国の文字を使ったクオックグーは、漢文の素養を身に着けた伝統を重んじる知識人たちには受け入れられませんでした。一般大衆の間でも「ローマ字は野蛮な(支配者の)文字」という認識が根強く、20世紀初めの段階では、書き言葉として大衆に認識されることはありませんでした。
一方、1906年にフランス当局は、ベトナム人エリートを養成するため、フランス語及びクオックグー教育に重点を置いた「仏越学校」を設立します。また、ベトナムの官僚登用試験である科挙(かきょ)の科目にも、漢文に加えクオックグーとフランス語が必修になりました。一握りのエリート向けの教育ですので、クオックグーが一般に広まるきっかけにはなりませんでした。
クオックグーの受容とアイデンティティの確立
しかし、このフランス側の動きを逆手にとり、ベトナム知識人層の間から、 クオックグーを受け容れることでベトナム語の話し言葉と書き言葉を一致させ、民族としてのアイデンティティを確立しよう する動きが出てきます。公文書は漢文、つまり中国の言葉ですし、ベトナム語と一致するチュノムは複雑すぎて普及は困難でした。そこで、習得が比較的容易なクオックグーを利用することが最も近道だと考えたのです。
1905年にはハノイで、漢文とクオックグーを併記した新聞が創刊されました。識字率はまだ低かったものの、これ以降徐々にクオックグーが広まり、国語の表記方法として認識されるようになっていきました。
時を同じくして、ベトナム人青年を日本に留学させて近代文明と富国強兵政策を学ばせるというドンズー(東遊)運動(Phong trào Đông Du、フォンチャオドンズー)が高まりを見せます。最盛期の1907年には、ファン・チュー・チン(Phan Chu Trinh,またはPhan Châu Trinh)らによって福沢諭吉の慶応義塾に倣った「東京義塾」がハノイに設立されます。ここでは学費無料で近代化教育が行われました。さらに、地方でも「東京義塾」の影響を受けた学校が創設され、小作人などに対してもクオックグーを用いた近代化教育が行われるようになりました。
1945年、クオックグーが正式な「国語」に
このような状況下で、フランス総督府がクオックグー教育を推進し、ベトナムの知識人層が自ら日常的にクオックグーを使用するようになると、漢字やチュノムの使用頻度が次第に少なくなりました。そして、 1945年のベトナム民主共和国成立の際、ベトナム語を表す文字として正式に採用されました。 採用当初の識字率はまだまだ低い状態でしたが、新政府が「1年以内に識字率100%」を目標として掲げたことから、識字率が一気に上がります。
その後続くインドシナ戦争、ベトナム戦争の間も、ベトナム人のアイデンティティの根幹を支えるものとして、戦火の中でも子供たちに熱心にクオックグーを教育しました。そのため、ベトナムは国の発展状況のわりに識字率が高い国として知られています。スマホが普及する以前、路上カフェでコーヒーを飲みながら、あるいはバイクやシクロの上に座って客待ちしながら新聞を読む人をたくさん見かけ、識字率の高さを感じました。ベトナム教育訓練省が2016年1月に発表したデータによると、15~35歳の識字率は98.5% に達しています。
クオックグーの発展には、ベトナム民衆の宗主国フランスに対する抵抗と、ベトナムへの愛国心が非常に密接に関わっています。また、外国のものであっても有用なものはどんどん利用していこうという柔軟な考え方が、現在のベトナムの急速な経済発展へと繋がっているのかもしれません。どの国の言葉もそうですが、その成り立ちの背景を知ることで、その言葉に対する愛着が沸くもの。言語に秘められた柔軟さや強さを感じながら、ベトナム語の習得がんばりましょう!
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