建国記念日 などのベトナムの重要な式典に登場する国章。労働許可書(ワークパーミット)など国が発給する証明書にも印刷されているので、外国人でもよく目にするのではないでしょうか。ここでは、ベトナムの国章のデザインと、国章の歴史について紹介したいと思います。
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ベトナム語で国章のことをQuốc huy(クオックフイ、国徽)と言います。
デザインと意味
赤い地色の円の下部に「Cộng Hoà Xã Hội Chủ Nghĩa Việt Nam(ベトナム社会主義共和国)」と記されたリボンが配されています。赤い円の上部には黄色い五芒星(ごぼうせい)、下部のリボンの上部には、中央に歯車、両側に稲穂が配されて、束ねた稲をイメージした文様が赤い円の周囲を縁取っています。
ベトナムの国章(標準)
赤い地色と星は、ベトナム国旗からとられたもので、ベトナムの革命の歴史を表しています。稲は農業を、歯車は工業を象徴しています。
国章の歴史
現在の国章の原型は、 1955年9月に開催されたベトナム民主共和国(Việt Nam Dân Chủ Cộng Hòa)の国会で国章として採択 されたものです。当時のベトナムは第一次インドシナ戦争(1946~1954年)により南北に分断されており、ベトナム民主共和国はいわゆる「北ベトナム」です。国章下部の国名には、当時の国名「Việt Nam Dân Chủ Cộng Hòa」が記載されていました。
デザインの原案は画家の ブイ・チャン・チュオック(Bùi Trang Chước)氏 が作成し、国章に採用するにあたって画家のチャン・ヴァン・カン(Trần Văn Cẩn)氏 が修正を加えました。
一方、ベトナム共和国(南ベトナム)では、もちろん別の国章が採用されています。
ベトナム共和国の国章(1代目:1955~1957年)
ベトナム共和国の国章(2代目:1957~1963年)
ベトナム共和国の国章(3代目:1963~1975年)
1代目と2代目は、ベトナムを象徴する「竹」をデザインしたものでしたが、3代目になって、ベトナム共和国 の国旗をモチーフにしたものに変更されました。
ベトナム戦争が終結した後、1976年7月に正式に南北統一国家であるベトナム社会主義共和国が成立するまでの1年あまり、南には暫定国家として南ベトナム共和国が成立します。その国章は次のものです。
南ベトナム共和国の国章(1975~1976年)
五芒星と歯車の代わりに、ベトナムの地図が描かれています。これは、北ベトナムと統一国家を築くことを表しています。
国章には間違いが多い?
国や地方自治体は発行する証明書や許可書、表彰状には国章が印刷されていますが、2007年の国会で専門家から 「誤りが非常に多い」 という指摘がなされたことがあります。
例えば、
+稲穂のはずなのに麦のように粒が大きく丸くなっている
+10個あるはずの歯車の歯の数が足りない
+歯車の円の模様が同心円になっていない
+星の陰影が違う(南シナ海から上った朝日を象徴するように、右手から光を浴びるように陰影がつけられるのが正しい)
といったものです。
国章のデザインについて細かく規定されていないため、いろいろな人が見よう見真似で作成しているうちに、本来のデザインから離れてしまったものと思われます。
現在、パソコンの普及でデータを簡単に読み込むことができるようになったため、本来のデザインとは異なる国章を印刷してしまう問題は以前より減少しているとは思いますが、施設などに取り付けられててしまったものなど、 現在でも標準とされているものと異なる国章が使われていることがメディアで時々取り上げられています。
実は、 ベトナム語版Wikipedia に掲載されていた国章も、星の陰影が違っていました。
ベトナム語版Wikipedia 掲載の国章
星の陰影が違うと、離れて見たとき、星ではなく風車みたいに見えてしまいますね。本来の星の陰影が、きちんと星に見えるよう計算されものであることがよくわかります。また、下の稲穂を束ねた部分が、本来は両側の稲を合わせて組んだものであるのに、ただ横に置かれた棒を束ねたように見えます。
そして、この記事の冒頭の写真、2016年の 建国記念日 に掲げられていた看板ですが、これもちょっと違うところがあるような・・。どこだかわかりますか?
(C) VIETJO Life, 2016年建国記念日の看板に描かれた国章
みなさんも、ベトナムの国章を見かけたら、標準のものと違うところがないかチェックしてみてください。
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