ベトナムで7月27日は 傷兵・烈士の日(Ngày Thương binh Liệt sĩ、ガイ トゥオンビン リエットシー) と定められています。民族解放・革命・祖国防衛のために戦い傷を負った兵士(戦争傷病兵、傷痍軍人)、そして命を落とした兵士(烈士)に思いを馳せ、感謝の気持ちを表す記念日で、1947年に定められました。
あくまでも記念日で祝日にはなっていませんが、この日は早朝から烈士の墓地や記念碑の前などで式典が行われます。また、傷兵や烈士の家族に対して国からお金やプレゼントが支給されます。
(C) NgBK
7月27日になったわけ
1945年9月2日に、ホー・チ・ミン主席が独立宣言を発表し、ベトナム民主共和国が樹立しますが、翌年には再びインドシナ支配を目論見るフランスと衝突するようになります。これにより、多くの兵士を失ったベトナム政府は、亡くなった兵士の家族をサポートする戦没兵士支援会(後に傷兵支援会に改名)を組織し、ホー・チ・ミン主席が名誉会長に就任します。
1946年12月、フランス軍が北部の重要施設を襲撃し、全面衝突に発展(第1次インドシナ戦争勃発)。フランス軍とベトナム軍の装備に格段の違いがあったことから、ベトナム兵士の戦没や負傷が一気に増えていき、その家族の生活も困窮するようになりました。
この状況を受け1947年2月、「傷兵省」が設置され、7月のはじめに全国傷兵の日組織運動委員会が発足。 7月27日より各組織を集めた初の全国会議を開催することになっていため、 7月27日を全国傷兵の日とする案が採択 され、毎年その日を記念日とすることになりました。
第1次インドシナ戦争中の最大の戦闘であるディエンビエンフーの戦いを経て、1954年7月にフランスはベトナムからの撤退を余儀なくされました。この戦いはベトナムにとって大きな成功だったわけですが、両軍併せて約1万人もの戦死者を出す不幸な戦いでもありました。戦没者が更に増えたことを受けて、翌年 1955年に7月27日に、記念日の名称を「傷兵・烈士の日」に変更 しました。
そして同年10月には、 烈士の墓の管理は遺族ではなく、地方行政が行う ことが法律で定められました。 ベトナム各地にかなり立派な烈士墓地(Nghĩa trang liệt sĩ)がある のはそのためです。
(C) NgBK, コンダオ島にある烈士墓地
記念日に烈士の家族や傷痍軍人に支給される金額
この記念日に烈士の遺族や傷痍軍人に支給される金額は法律で決められています。功績や後遺症の程度により、 40万VND(約1900円)または20万VND(約960円)が支給 されます。2016年の記念日に国家予算から拠出される支給総額は3977億VND(約19億円)に上るそうです。これ以外にも、毎月の支給、テト(旧正月)などの祝日に際する支給があります。
すべてのベトナム人戦没者のための記念日ではない
ベトナム各地で行われる記念式典は、すべてのベトナム人戦没者や傷兵のためのものではありません。ベトナムで革命の英雄とされている烈士たちを敵として戦った南ベトナム側の人たちも現在のベトナム国民であり、街角に立つ烈士を称える塔を複雑な思いで見ている人がいるということを念頭に置いたほうが良いでしょう。