東北部クアンニン省ハロン市の南に位置するハロン湾は、面積1553km2の湾に顔を出す大小約3000もの奇岩群と、多数の鍾乳洞が美しいベトナムの一大観光地です。
1994年、ハロン湾はユネスコの世界自然遺産に登録され、2000年には登録範囲が拡大されて、現在は443km2の核心地域(コアゾーン)内の775の奇岩群が世界遺産となっています。
(C) VIETJO Life ハロン湾
「海の桂林」ができるまで
ハロン湾は、運河に奇岩群が林立する中国広西チワン族自治区の桂林になぞらえて、「海の桂林」とも呼ばれています。
かつてハロン湾一帯の地域は、中国南西部から続く石灰岩台地の一部でした。この石灰岩台地がはるか昔に沈降し、更に長いあいだ風雨と海水で浸食されたことにより、数万年前に現在のような石灰岩が群れるカルスト地形ができました。
(C) VIETJO Life ハロン湾の石灰岩
現在、カットバ島以外の島は無人島となっていますが、数世紀前までは海賊の隠れ家としても使われていたといいます。
考古学から見るハロン湾の歴史
この地域では、数々の考古学的遺跡が発見されており、現在も調査・研究が進められています。
紀元前3500~5000年頃には「ハロン文化」と呼ばれる後期新石器文化が存在していました。ハロン文化の洞窟遺跡からは石器や土器、装身具(アクセサリー)などが出土し、中でも磨製石斧がこの文化の特徴的な遺物となっています。
また、リー(李)朝時代(1009~1225年)のハロン湾には既に国際的な貿易港が存在していたといい、湾に浮かぶ島では当時の古陶磁などが発見されています。
更に、グエン(阮)朝時代(1802~1945年)には皇帝たちもこのハロン湾を愛し、船に乗って遊覧していたようです。
奇岩群の伝説
「ハロン」という地名は、漢字にすると「下龍」。「龍が下り立った地」という意味を持っています。
ハロン湾の奇岩群に関しては、龍にまつわる伝説が2つあります。
一説は、昔むかし、この地域が中国に侵攻された時、天から龍が下り立って、山を砕き外敵を打ち破ったことによって奇岩群ができたという説。
もう一説は、中国に侵攻された時、山から龍の親子が下り立って、外敵を打ち破り口から吐き出した宝石が奇岩群となったという説です。
ハロン湾をクルーズ船で遊覧
ハロン湾の観光は、旅行会社でツアーを申し込むのがおすすめです。多くの場合、ハノイ市中心部~ハロン湾間の往復、クルーズ船、船上での昼食、ガイドがセットになっています。ツアーでは水上市場や鍾乳洞の見学もできます。
ハロン湾へは、ハノイ市から車で約3時間半。ハロン市バイチャイ街区の乗船場からクルーズ船に乗ります。乗船場には大小様々な船がひしめき合いながら観光客を待ち構えています。
(C) VIETJO Life 乗船場
(C) VIETJO Life クルーズ船
船が出発すると、薄霧のかかった奇岩群の影が遠方に見え始め、だんだん近付くにつれてはっきりと現れてきます。奇岩群の間をゆらりと漂いながら、まずは水上市場へ。
(C) VIETJO Life 水上市場
水上市場とカブトガニ
水上市場では、魚や貝などを養殖し、観光客向けに売っています。買ったばかりの新鮮な魚や貝は船上で調理してもらうこともできます。
(C) VIETJO Life 水上市場のいけす
いけすの中にはなんとカブトガニの姿も。カブトガニも食べられます。甲殻類アレルギーのある方はやめておきましょう(筆者の知人はアレルギーで大変なことになりました)。ちなみにカブトガニの青い血は、内毒素の検出薬など医療分野で利用されているそうです。
(C) VIETJO Life カブトガニ
動物のような奇岩と鍾乳洞
奇岩群の中には、動物のように見えるものが多数あり、これもハロン湾の見所のひとです。ガイドが付いている場合、詳しく説明してもらえます。
例えば、2羽の鶏が向かい合っているように見える「闘鶏岩」。一方から見るとキスをしている雄鶏と雌鳥のようにも見えますが、別の角度から見るとお互いファイティングポーズをとっているようにも見えます。
(C) VIETJO Life 闘鶏岩
次は鍾乳洞へ。ティエンクン洞はハロン湾で最もポピュラーな鍾乳洞で、ひんやりとした内部には歩道や階段が整備されています。カラフルにライトアップされた鍾乳石や石筍が連なる空間は、どこかのテーマパークのよう。ここでも奇岩と同じく動物に見える鍾乳石や石筍があります。
(C) VIETJO Life 鍾乳洞への入り口
(C) VIETJO Life 鍾乳洞の内部
水上で暮らす人々
ハロン湾には、水上の家船で暮らす人々がいます。彼らの主な生業は養殖業ですが、最近では世界遺産の恩恵を受けて観光サービス業にも関わり収入を得ています。観光客向けの漁業体験ツアーも人気のようです。
複数世帯から成る水上村は、ベトナム語で「漁師村(ランチャイ=Làng Chài)と呼ばれます。1960年以降は政府からも正式な村として認められており、市場はもちろん、学校やカラオケ店まであります。
生活必需品や食料品を運んでくる船やゴミ回収船も毎日やって来るため、生活には困らず、結婚式や葬式も水上で行います。
ハロン湾が世界遺産に登録され一大観光地となった今でも、水上で暮らす人々はこれまでの生活スタイルを保ちながら、観光化とうまく共存しながら生きています。
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