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ハノイ市、ハイフォン市、紅河デルタ地方タイビン省、東北部タイグエン省に販売ネットワークを有するザボン卸売会社カイホアンは、社長を務める元長距離トラック運転手でホーチミン市出身のグエン・ヒュウ・ティエンさんが一代で築いた努力の賜物だ。
ティエンさんが8歳の時に父親は愛人と駆け落ちし、以降母親が女手ひとつでティエンさん姉弟を育てた。ティエンさんも幼い頃から姉と2人でバスターミナルや駅でお茶やマッチ、揚げバナナなどを売り歩いた。
母親もあらゆるものを売り歩いたが、ティエンさんが高校を中退し、南北を走る長距離トラックの運転手を始めた頃はホーチミン市でザボンの行商をしていた。ティエンさんもトラックに乗らない日は、母親を手伝った。1日に数百個ものザボンの皮を剥いているうちに、ザボンの表面を見ただけで美味しいもの、そうでないもの、また種があるもの、無いものを区別できるようになった。
長距離トラックの運転手をしていた当時、ティエンさんはハノイ市に着くといつも決まったレストランで食事を取っていた。そのレストラン経営者もホーチミン市出身で、そこの娘はベトナム超難関大学として有名なハノイ市貿易大学を卒業した秀才だ。その娘が、今ではティエンさんの妻だ。「ほかのトラック運転手たちが酒を飲んだり賭博をしている側で、俺は1人で休んでたからね、その姿を見て俺の誠実さが伝わったんでしょう」とティエンさんは笑う。
結婚後は妻の両親と同居しレストランを手伝った。そんな中、ティエンさんは母親のようにザボンを扱った商売ができないか考えるようになった。しかし当時は資金もなかったため、ティエンさんは自分でザボンを仕入れに行ってはレストランで出してもらった。
しかし、いつまでも妻の両親に甘えている訳にもいかないと、ティエンさんは独立を決心した。だが、北部の各地に支店を構える現在に至るまでの道のりはそう簡単なものではなかった。初めの頃は、限られた資金でザボンを少量買い、ハノイ市内の住宅地で売り歩いた。一軒ずつ回りザボンの売込みを行ったが、直ぐにドアを閉め相手にしてもらえないことも多かった。
そこで、ティエンさんはザボンの売り込み方を変えた。市内のレストランで普通の客として食事をし、デザートにザボンを注文する。そこで、レストランの責任者を呼び、「このザボンよりずっと美味しい、どこにも負けないとっておきのザボンがあるんですが、興味ありませんか?」と、おもむろに持参したザボンを取り出す。
そして、慣れた手つきであっという間にザボンの皮を剥き、レストランの責任者に試食してもらうのだ。そのザボンの味とティエンさんの熱意で、ティエンさんのザボンを取り扱うレストラン、ホテル、バーは徐々に増え、今では市内でカイホアン社のザボンを知らない人はいない。
ハノイ市の人は実に食にうるさいとティエンさんはいう。「ホーチミン市の人は、一度食べた物が美味しくなければ文句は言わないけど、次に買うことは決してないね。でも、ハノイの人は違うよ。食べてみて美味しくなかったら、黙っちゃいない。別のものと交換してくれって品物を買った店に戻るからね。その代わり、ハノイの人は美味しいものには金の糸目は付けないね」。
会社の規模が大きくなった今でも、ティエンさんは自らザボンを取引先に配達する。配達の際には、時間が経って皮にシワができたものや酸っぱいものを回収し、代金を返金した上に、粒の揃った新しいものを無料で提供することもある。ティエンさんのお客様第一という精神が事業成功の秘訣と言えるだろう。現在、カイホアン社では1日に15~20tのザボンを販売している。
ティエンさんは昔から、時間を見つけてはお寺へお参りに行っていたが、事業に成功した今もよくお寺へ足を運び、お賽銭も忘れない。最近では、北部のお寺数か所に数万本のザボンの木を寄付した。いずれは、お寺の木に実ったザボンをお寺から購入し、販売する予定だ。「ザボンを買った代金がお寺の運営や修繕工事に充てられればと思ってるよ。お寺への恩返しってとこかな」。