(本記事は、2019年9月16日付け「VIETJO LIFE」で配信されたものです。)
はじめまして。
小野寺天汰(おのでらてんた)と申します。今年の3月に大学を卒業して、4月より家具メーカーの営業職としてホーチミンに来ました。いわゆる「新入社員」をしています。レタントン界隈の色んな誘惑に最初は心がソワソワしましたが、今ではまったく微動だにしない心と圧倒的な帰宅力を身に着けることができました。屋台で美味しいバインミーを見つけることに最近は喜びを見出しています。
さて、突然ですが私は今回から 「打倒ニッポンの空手~ベトナムは最強を目指す」 というコラムを始めます。
まずは、少し自己紹介をさせていただきます。
私は4歳から空手を始めました。空手を始めた理由は父が道場の師範をつとめていたため、物心ついた時には道着を着せられていたという感じです。ということで毎日家でスパルタの特訓を受けていたのかというとそんなことは全くなく、むしろ放任されて伸び伸びとさせてもらってました。そのおかげで小学生のときには当時テレビで放映されていたK-1やPRIDEといった格闘技に夢中になっており、 将来は世界最強になりたい と思っていました。
毎日稽古をして、大会にたくさん出る中で、結果も残せるようになりましたが、高校卒業時には「大学4年間でやれるだけやって、卒業後は一度空手を離れ、企業に就職して働こう」と思っていました。というのも、 空手には野球やサッカーのような「プロ」の仕組みが確立されておらず 、生活するには指導員をする、もしくは別の仕事をしながら稽古に励むというケースが多くいわゆる「夢」のない現状というのがあったためです。
そんな思いを抱えながら大学1年時に世界大会で初優勝をしました。在学中に、ほかにも世界大会・全日本大会で何度も優勝しました。
試合中の様子、2015年11月(当時19歳)
また、東京五輪出場を目指し、大学3年時にテコンドーをはじめ、その年のインカレに初出場し初優勝を達成し、翌年の全日本選手権では2位となり、全日本強化指定選手となりました。
フルコンタクトKARATEマガジン 表紙、2018年3月号(当時21歳)
「大学で思いっきり空手に打ち込んで、行けるところまで行く」という個人的な思いがありましたが、いざ行けるところまで行ってみると、「周りからの今後への期待に応えたい」という気持ちと、 「このまま空手を続けても面白くない、何か変えないといけない」 という思いが、混ざったことで卒業後の進路について非常に悩みました。
一方でこれまで国際大会などを経験する中で、海外での空手に対する印象の違いというのに興味を抱いていました。空手は日本発祥の武道・スポーツであり、私が海外で試合をした際も、 個人よりも「日本人」として見られている意識 が強く、日本人以外が空手をするのとはまた違った特別な意味がそこには存在すると感じました。
本文の続きはこちら → VIETJO LIFE「【第1回】進路はベトナム、新卒1年目の空手世界チャンピオン」
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