[特集]
フォンニャ・ケバン国立公園の洞窟に暮らして90年の老夫婦
2025/03/02 10:37 JST更新
) (C) VnExpress |
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北中部地方クアンビン省の世界自然遺産フォンニャ・ケバン国立公園の山々には、洞窟の中に建てられた小屋や家が数kmごとに見られる。
これらの小屋や家は、かつてのアレム族(現在はチュット族に分類)の原始的な生活の痕跡ではなく、91歳のディン・ネーさんと、妻である93歳のイー・ルーさんが現在も暮らす場所だ。
ここ数年、ネーさん夫婦は主に、ボーチャック郡タンチャック村から歩いて2時間のところにあるチム(Chim)洞窟を住みかとしている。
岸壁の外側には狩猟と採集の道具がぶらさがっている。洞窟の奥へと進むと、野生動物を避けるために高いところに作られた竹のベッドがかすかな光に照らされている。洞窟の入口の地面には小さな畑があり、夫婦が野菜や果物を栽培している。近くには小川が流れ、日常生活にも便利だ。
「3月になって暖かくなったら、洞窟のある森に戻ります」と、今は妻とともにタンチャック村の定住区にある家にいるネーさんはアレム族の言語で話す。
ネーさん夫婦は、いつからアレム族が洞窟で暮らすようになったのか、正確には覚えていないという。ただし、夫婦ともに子供のころから洞窟で両親に育てられたことは覚えている。「戦争時の爆弾を見つけるたびに、アレム族の人々は森の奥深くに逃げ隠れるんです」とネーさん。
少数民族のアレム族は、1956年にボーチャック郡のバー(Va)洞窟やボンクー(Bong Cu)洞窟、ソードゥア(So Dua)洞窟などの険しい石灰岩の洞窟の中で、パトロール中だったクアンビン省の国境警備隊によって発見された。アレム族は、ベトナムで発見された少数民族としては最も新しい。
彼らは樹皮で作った衣服を着て、狩猟や採集をし、調理せずに飲食をする原始的な生活を送っていた。戦争が終わると、政府は彼らを村に定住させた。しかし、森での暮らしに慣れていたアレム族が、村での暮らしに適応するのは難しかった。
彼らは、村で伝染病や異変が起きるたびに、「森の神様が怒っている」と思い、村を出て行った。2004年になって、政府がしっかりとした村の定住区を建設すると、彼らはようやく洞窟での暮らしから離れることができた。
しかしネーさんは、今もなお村での新しい生活様式に適応できていない。まだ身体も元気だったころの夫婦は、ほとんど森を離れることなく過ごし、たまに米や塩を取りに村に戻るくらいだった。
身体が弱ってきてからは、村で過ごす時間が増えた。それでも、毎年3月から10月までは、森の洞窟の家で生活し、数週間に1回だけ村の家に戻る。
夫婦は森を流れる小川に沿って何十軒もの小屋を建てた。毎日、ネーさんは小川に魚を獲りに行き、ルーさんは畑を見張ってイノシシから守る。「森には美味しい食べ物があります。魚やエビも獲れますし、タケノコもたくさん生えます。家に常備してある食材は、米と、唐辛子を混ぜた塩だけです」とルーさんは話す。
夫婦は生涯ずっと森で暮らしてきたため、森での生活のほうが快適で安全だと感じている。夫婦はたくさんの種類の薬草や、でんぷんを含んだ食用植物を知っている。また、魚を獲るときには網や罠を使うほかに、木の葉を細かく砕いて小川に撒き、毒を吸った魚を浮かせてすくい上げることもある。
ネーさんはもともと、ルーさんの義理の弟だった。2人はもうずっと前に、妻と夫をそれぞれ亡くした。そして、「縁結び」の風習に従って2人は夫婦として一緒に暮らすようになった。
ルーさんによれば、この冬は脚が痛んで歩くのも大変だったが、毎朝目が覚めると夫に森に戻ろうと誘われていたのだという。
「彼は今でも若者が追い付くのも大変なくらいのスピードで山を登り、険しい岩場も越えていくんですよ。若いころは150kgの重さの木だってかつげるくらい屈強で有名だったんですから」とルーさん。
タンチャック村共産党委員会のグエン・バン・ダイ書記によれば、ネーさんは洞窟の中に家を、小川沿いに小屋を、何十軒も建ててきた。日中は小川沿いの小屋で食べ物を探し、夜になったり、雨が降って洪水になったり、食べ物がたくさん見つかったりすると、洞窟の中の家に戻る。
「数年前、我々は若者たちを森に送り込み、ようやくネーさんを捜し出して村に連れ戻し、身分証明書を作ってもらったんです」とダイ書記は語る。
ネーさんの息子であるディン・ホエさんによれば、子供たちも孫たちも、身体が弱くなった両親をもう森には行かせたくないのだという。
2024年7月、ネーさんは関節が腫れ、森の薬草を貼っても効かなかった。いつまで経っても父親が村の家に戻ってこないため、子供たちや孫たちは森に入って父親を捜し出し、担架を使って村に連れ戻したのだった。しかし、診療所で治療を受けてから数日後、ネーさんの脚は再び森が恋しくなった。
9月には、洪水で小川の水位が山のふもとまで上昇し、ネーさんの家がある洞窟は完全に孤立してしまった。数日間、ネーさんは洞窟の中にただ座り、キャッサバを食べてしのいだ。
「そのとき、私と彼らの孫たちは米を頭に載せて、水の流れが速くなった小川を渡って物資を支給しなければなりませんでした」と、アレム族で初めて大学の学位を取得した、タンチャック村人民委員会のディン・チャイ副主席は話す。
チャイ副主席によれば、ネーさん夫婦は山や森を心から愛しているが、他のアレム族も同じように森での暮らしを好んでいる。夏には家族が集まり、かつて暮らしていた森の中に小屋を建てる。
そして、小川のほとりで思い思いに水浴びをしたり洗濯をしたり、魚を捕まえたり、果物を採ったりする。夜になると家族皆で小川のそばで焚き火を囲み、お酒を飲んだり歌を歌ったりする。
タンチャック村のアレム族のコミュニティは、1956年に人口18人の民族として発見されたが、現在は66世帯の188人に増えた。家に直結するコンクリート舗装の道路や、電気やインターネットは、アレム族の人々に大きな変化をもたらした。
しかし、タンチャック村共産党委員会のダイ書記によれば、アレム族の人々の暮らしは依然としてかなり厳しい。彼らの住まいはフォンニャ・ケバン国立公園の核心地域(コアゾーン)に位置しているため、生産に使える土地が少なく、拡張することもできない。さらに、完全な自然栽培で、農具も原始的であるほか、多くの野生動物が畑を破壊してしまうため、経済効率性が低いのだ。
近年、政府や団体・組織、企業などが、アレム族の人々の生活をケアしている。各世帯には森林保護の任務が与えられ、平均して1世帯あたり年間2500万VND(約14万5000円)の報酬が支払われる。
「基本的な支援額は9~10か月分の生活費を賄うのに十分な額ですが、まだ意識が高くないため、彼らは貯蓄や生計の立て方がわからず、結局生活が厳しくなってしまうんです」とダイ書記は語る。村の世帯の80%は依然として貧困層だという。
現代的な生活がどの家庭にも浸透しているにもかかわらず、ネーさんにとっては今でも森がすべてだ。村の家には古びた衣服のほかに、冷めきった鍋がある。食べかけのご飯が入った鍋のそばには、前日にネーさんが採ってきたタケノコが入った鍋と、いつ茹でたのかもはやわからない、石のように固くなったキャッサバが入った鍋が置かれている。
「私はもう年老いて脚も痛いので、森には行けません。でも夫はまだまだ行くでしょうね」と、ルーさんは夫のほうを見て話した。
しかしネーさんは、子供たちが行かせてくれない、と長いため息をつく。「万一のことがあっても子供たちに残せるお金もありません」とネーさんは語った。
[VnExpress 06:00 18/02/2025, A]
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