[特集]
ホーチミンの「アオザイ通り」の歴史と現在
2024/12/08 10:16 JST更新
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ホーチミン市の1区と3区を走るパスツール(Pasteur)通りは、半世紀以上の歴史を有する「アオザイ通り」として知られている。通りの1km余りの区間に、アオザイのデザインや仕立てを専門とする店が20軒近く建ち並んでいる。
アオザイ専門店「タインハー(Thanh Ha)」のオーナーであるグエン・バン・トアンさん(男性・77歳)は、3世代続くアオザイの仕立て屋の初代だ。トアンさんは、自身が61年間にわたり携わってきたアオザイの仕立て屋の歴史の変遷について教えてくれた。
トアンさんによると、1950年代のアオザイの仕立て屋界隈では、3区のパスツール通りの仕立て屋「ティエットラップ(Thiet Lap)」のオーナーで、サイゴン(現在のホーチミン市)の「曲線の魔女」と呼ばれたグエン・ティ・バックさん(女性)のことを誰もが知っていたという。
バックさんはパスツール通りの「アオザイ通り」の基礎を築いた人物だ。当時、ティエットラップは最も多いときで50人もの職人を抱える有名なアオザイの仕立て屋で、「アリのようにくびれたウエスト」のアオザイを求めて、喫茶店で歌う歌手や上流階級たちがこぞって訪れる流行の店だった。後にバックさんは海外に移住し、子どもや孫たちが店を継いだ。
トアンさんの店は、この通りではティエットラップと「ニャー(Nha)」に続いて3番目のアオザイの仕立て屋になった。当初、トアンさんはホーチミン市の中華街のチョロン地区で他の店舗向けの仕立てと販売を行っていたが、2000年代に入ると、安定した利益を得るには同業者との団結が必要だと考えるようになった。
そこで、外国人客が多く訪れ、市の中心部にあるパスツール通りに目をつけ、ここに移り住んで店を開くことを決めたのだった。当時はまだ3~4軒しかなかったアオザイ専門店が、年月が経つにつれて徐々に増えていった。
半世紀以上にわたってアオザイの仕立てに携わってきたトアンさんによると、1960~1970年代のサイゴンではアオザイが標準服とみなされていた。中でも身体のセクシーな曲線を強調するためにウエストを絞ったアオザイは流行の最先端のファッションとなり、サイゴンの街を席巻していた。
しかし、ベトナム戦争が終結した1975年以降、アオザイは徐々に姿を消し、代わりに人々は洋服を好むようになった。
トアンさんはいつも客の好みに合わせてアオザイのスタイルを柔軟に変えてきた。21世紀に入る前は、身体にフィットして肩や脇の生地が皺になりにくいラグランスリーブと伝統的な立襟が好まれていた。
一方、現代では深いカットの襟元、蓮の葉の形の襟、ハートの形の襟などにストーンが散りばめられていたり、手の込んだ刺繍が施されていたりするものなど、新しい見た目でありながらも、アオザイ本来のたおやかさとエレガントさを残した革新的でバラエティ豊かなアオザイが好まれている。
「私がデザインしたもの以外に、お客様のアイデアに合わせて仕立てることもあります。例えばお客様が、肩の部分がワンピースのようなデザインのアオザイをご希望であれば、要望に沿って仕立てます。常に時代やトレンドに合わせてデザインを変え、適応していかなければなりませんから」とトアンさんは語る。
トアンさんの店のアオザイの価格は生地とデザインによって異なるが、普通の生地であれば100万VND(約5900円)前後で、シルクやレース、輸入物などの高級生地になると、数千万VND(1000万VND=約5万9000円)になる。
初心者がアオザイを完璧に仕立てられるようになるにはどのくらいの時間がかかるかトアンさんに尋ねると、少し考えてから「難しいでしょう」と答えた。アオザイを仕立てるには原理を知り、丁寧に技術を学び、そしてこの仕事に情熱を持つ必要があるからだ。誰もが1日や2日で習得できるものではない、と、60年以上この仕事に携わってきたトアンさんは考えている。
「情熱や吸収力によって人それぞれ習得のプロセスが異なるので、数か月で習得できる人もいれば、数年かかる人もいます。アオザイの仕立ては技術だけでなく、創造性、きめ細やかさ、そしてアオザイに対する深い愛情が必要なんです」とトアンさんは話す。
人生で初めて仕立てたアオザイについて、トアンさんは笑いながらこう語る。「家族にこの仕事をしている人はいませんでしたが、私はきれいな服を着るのが好きだったので、16歳のときに仕立ての仕事を始めました。初めて仕立てたアオザイは、何度も何度も直して、ようやく形になりました。完璧ではありませんでしたが、今でも誇らしく、うれしかった気持ちを思い出します」。
トアンさんいわく、アオザイの真の価値は、仕立てる人の熱意と、着る人の幸せにあるという。「この伝統的なアオザイの仕立ての仕事をしていて、美しく着飾っている人々を街で見かけると、幸せな気持ちになるんです」とトアンさんは優しく微笑んだ。
時が経ち、現在のホーチミン市にはもうかつてのような静けさはないが、パスツール通りのアオザイ通りは今もなお、都市の現代的なリズムと共に生き続けている。この通りで長年仕立て屋をしている職人たちによると、手縫いのアオザイの仕立ての仕事は今、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響や、大量生産された安価で便利な商品との競争により、多くの困難に直面しているという。
高層ビルと慌ただしい生活の中、現代的な街並みに、民族の美しさを保ち続けるアオザイ通りが今も姿を残している。ちょっとした懐かしさや他では見られない独特な美しさを求めて、多くの若者や外国人がこの通りを訪れている。ここを訪れ、優雅でたおやかで、エレガントなアオザイの数々を見ればきっと、在りし日の思い出が甦ることだろう。
[Thanh Nien 08:13 14/11/2024, A]
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