[特集]
高齢化するホーチミンのほうき工芸村
2024/10/06 10:12 JST更新
(C) vietnamnet |
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かつてはホーチミン市の数千世帯が生計を立てる場所だった工芸村は、今や高齢者しかいなくなってしまった。ここで働く一番若い職人でも50代だ。
ホーチミン市6区のファムフートゥー通り180番地の路地裏には、都会の喧騒に混じってほうきを作る音が響いている。これは、ホーチミン市に残る、最後のほうき職人たちの音だ。
この仕事を長く続けている職人によると、ホーチミン市でほうき作りが始まったのは1960年代初頭で、仕事を求めて中部地方からやってきた人々が最初に始めたのだという。職人たちは、ビンティエン市場、ファムフートゥー通り、ファムバンチー通りの周辺に集まって、グループを作った。
ファム・バン・チュンさん(男性・55歳)は、8歳からこの仕事をしていたものの、経済的に厳しく別の仕事に就かざるを得なかった。しかし、歳をとって経済的に安定してから、家業を継ごうと再びこの仕事に戻ってきた。
チュンさんはこう語る。「以前、このあたり一帯が池や沼地でした。ここに住む人々は空心菜を採って売りに行く以外に生計を立てる手段がなかったんです。後に、誰かがイネ科の植物(ヤダケガヤ)を束ねてほうきを作る方法を思いつき、ほうきが売れていくのを見て、人々は皆で教え合いながらほうきを作り、賑やかなほうき作りの村になったんです。最盛期はこの工芸村で何千もの世帯がほうきを作り、売っていました。当時は、ほうきを作るための道具や完成したほうきがあちこちに詰まれ、路地を埋め尽くしていたほどです」。
ほうき工芸村にはほとんど機械がなく、すべての工程が職人の手と経験で行われている。ほうきをつくる主な材料は、コントゥム省やザライ省などの南中部高原地方から仕入れたヤダケガヤだ。
職人は、ヤダケガヤを割いてから束ねて結び、柄を付け、穂先を整えるという多くの工程を経る。どの工程でも職人の熟練した技術が求められる。ヤダケガヤを割く作業では素早さと正確さ、美しさが必要で、束ねて結ぶ作業では各束の形や重さ、サイズが同じになるよう高い精度が必要になる。
幼い頃からほうき作りをしているというフイン・ティ・キム・タインさん(女性・63歳)は「各工程の中で、ほうきの穂をまとめる作業が一番難しいんです。この工程が、ほうきの丈夫さと美しさの決め手になるからです」と話す。
長年の経験を積んだ職人は、ほうきの穂を均等にまとめることができる。ほうきの束には隙間がなく、まっすぐで歪みもなく均一で、きつく結んだ部分を握ると丈夫さが感じられる。一方で、ほうきの穂はしなやかにたわむ。
主に手作業で行われるほうき作りだが、大変で、時に職人の健康に影響を及ぼすリスクも伴う。職人はヤダケガヤから飛び散る細かい粉塵にじかに接することに加えて、ワイヤーで手を切ったり刺したりすることもある。
現在のほうきの価格は2万~4万VND(約120~240円)だが、近年ホーチミン市のほうき工芸村は中部地方で生産された製品や中国からの輸入品との激しい競争に直面している。
重労働でも収入は低く、さらに過酷な競争に晒され、ホーチミン市の伝統的なほうき工芸村は時間の経過とともに徐々に縮小しつつあり、現在はわずか5~10世帯が家業を継続しようと奮闘しているに過ぎない。さらに悲しいことに、この工芸村には世代を引き継ぐ若い職人が残っておらず、ほうき作りに従事している職人たちは皆高齢で、最年少でも50代だ。
伝統的なほうき作りを続ける家主のチャン・ドゥック・アインさん(男性・52歳)は、40年以上にわたりこの仕事に携わっているが、今ほど悲しいことはない、と残念そうに語る。競争の激化や収入の底打ちに加えて、若い世代が伝統的な仕事から離れてしまっているからだ。
「祖父母から引き継いだ家業を守りたくてこの仕事を続けていますが、誰もこの仕事を継ぎたがりません。私たちの世代がいなくなったら、この伝統的な仕事も消えゆくでしょう。若い世代はこの仕事を、埃まみれで重労働な上に収入も低い、とけなすんです。私の子どもや孫すらも継いでくれませんでした」とアインさんは打ち明ける。
アインさんの工房でほうき職人をしているチャン・タイン・ホアンさん(男性)も、アインさんと同じ気持ちでいる。ホアンさんは過去に若い職人たちに仕事を教えたこともあるが、しばらくすると皆、別の仕事を探すために辞めてしまったのだという。
タインさん夫婦も、体力が続く限りこの仕事を続けようと奮闘している。しかしながら、タインさんは、この伝統的なほうき作りの仕事が廃れていくのは避けられないと認めている。
「この仕事は、年初から年末にかけてはほとんど需要がなく、実際に収入になるのはテト(旧正月)が近付いた時期の数日間だけです。さらに雨季は作業がほぼできず、普段は私たちのような家ではある程度の数しか作れません。輸出用のほうきを作れる家もありますが、数はとても少ないんです。苦労が多く、不安定で収入も良くないこの仕事を若者が継ぎたがらないのも当然でしょう」とタインさん。
「この仕事は、今や高齢者向けの仕事と言えます。私の家も、我々老夫婦だけがこの仕事を続けているんです。私がこの仕事を続けている理由は、幼い頃から続けていて慣れているということもありますが、できる限りこの伝統的な家業を守っていきたいからです。だから、たとえ腰が痛くても目がかゆくても、夫婦で何とか頑張っていきたいと思っています」とタインさんは語った。
[Vietnamnet 05:30 20/08/2024, A]
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