[特集]
チョン書記長が病室で過ごした日々、医師らが語る思い出
2024/07/28 10:33 JST更新
(C) tuoitre |
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グエン・フー・チョン書記長は、2024年7月19日13時38分、ハノイ市の第108軍隊中央病院で息を引き取った。80歳だった。
4年余りの間、職務を遂行しながら第108軍隊中央病院で療養を続けたチョン書記長の思いやりと気遣いは、病院の医師と看護師にたくさんの貴重な思い出と教訓を残した。
第108軍隊中央病院でチョン書記長の療養をサポートしていた医療チームが、チョン書記長の最期の日々を語った。
病院のすべてのスタッフは今もなお、チョン書記長が死去した7月19日の午後の辛く悲しい時間を思い出すと、しょう然としてしまう。
第108軍隊中央病院の院長であるレ・フウ・ソン少将は、第108軍隊中央病院が共産党、政府、軍から高官と国民の健康管理を任されていること、特に直近ではチョン書記長の健康管理を任されたことはとても光栄だと話す。
チョン書記長の健康を守るため、中央幹部健康管理保護委員会と第108軍隊中央病院は、国内外の医療専門家を招き、話し合いながらチョン書記長にとって最善の治療計画を立ててきた。毎回、ケアと治療の計画についてチョン書記長に承認を求めると、チョン書記長は決まって一言、「従います」と温かく答えたのだという。
「おかげで私たちはさらに自信を持つことができ、どんなに疲れていたとしても、最善の方法で書記長のお世話をしたいという思いがわき、疲れも吹き飛びました。書記長が医療スタッフのケアに不快感を示したことは一度もなく、いつも忍耐強く治療に取り組み、医療チームの指示には絶対に従ってくださいました」とソン少将は語る。
ソン少将によると、チョン書記長は治療の過程で、疲れていても、健康を取り戻そうと常に一歩ずつ努力を重ねていた。疲労で食欲がないときもあったが、職務を続けられる健康状態を維持すべく、何とか規定の食事をとるようにしていた。チョン書記長の努力を目にし、病院のスタッフもさらに熱心に仕事に取り組んだ。
ソン少将は、チョン書記長のような「特別な」患者に対して医師として尊敬の念を抱きつつ、書記長はとても素朴で親しみやすい人だったと打ち明けた。
徐々に健康状態が悪化していった最期の数日間も、チョン書記長はいつもと変わらず、スケジュールに沿って職務を遂行していた。医療専門家チームはチョン書記長の健康状態を知っていたものの、その仕事ぶりには驚くばかりだった。
「自分たちがあまりにも小さく感じられました。書記長が私たちにエネルギーを与えてくださったので、私たちはさらに頑張ることができたんです」とソン少将は話す。
チョン書記長はいつも、午前9時から午前9時半ごろにかけて補佐官や秘書から職務の状況の報告を受け、午前10時半過ぎから午後にかけて、党や政府の関係者と会った。身体の調子が良い日には、座って資料を読んだり調べものをしたりした。
「書記長は、息を引き取る直前まで働いていました。7月13日、書記長は職務中でしたが、午後には人工呼吸器のチューブを挿入しなければなりませんでした。最期の瞬間は、私たちにはもう書記長を救うことができないのだとわかり、肉親、父親と別れるような気持ちで、多くの人が涙を流しました」と、長年にわたってチョン書記長の世話を担当してきた、第108軍隊中央病院の中央幹部健康管理保護科のグエン・フオン・ドン博士は語る。
「私たちは、言葉では説明できない何か神聖なものを失ったかのように、とても悲しく、虚しく、失意のどん底でした。私たちは書記長のような偉大な人物を深く悼むとともに、書記長のためにこれ以上できることがないということを残念に思いました」とドン博士は声を詰まらせて話す。
看護師として4~5年にわたり書記長の世話をしてきたグエン・ティ・ホン少佐はこう話す。「私たちにとって、書記長は素朴さと誠実さの鏡であり、科の皆の生活にもとても関心を持ってくださいました。お会いすると、私たちの子供たちの勉強はどうか、年齢はいくつか、何か大変なことはないか、とたずねてくださいました。それから、書記長は座って川を眺めたり、朝夕に廊下を歩いたり、いつも楽しそうにお話されていました。書記長は私たちに家族のように、父親のように、おじさんのように親しみを持って接してくださり、いつも病院の医師や看護師の労をねぎらってくださいました。私たちは書記長のそばで、穏やかさと、仕事への献身的な姿勢を学びました」。
主がいなくなった、見慣れた病室に目を向けると、ホン少佐は声を詰まらせてこう語る。「書記長のお世話をする日課、毎日の生活習慣、毎日の活動は、今も私たちそれぞれの心の中に残っています。書記長は、私たちにたくさんの愛情を与えてくださいました」。
ホン少佐によると、ストレスのかかる時間や大変な職務の後でも、チョン書記長は時にユーモアを交えながら、素朴な愛について語り合ったり、チョン書記長の故郷でもあるハノイ市の堤防をサイクリングしたりしていたという。午後には、ホン川(紅河)を臨むテーブルと椅子に座り、愛についておもしろくうたった詩を読んだりもした。
しかし、チョン書記長に休む暇はほとんどなかった。起床後は朝のお茶を飲み、運動し、新聞を読み、職務を遂行し、客を迎えた。チョン書記長は疲れを感じると、自ら休憩を申し出た。
ホン少佐によると、チョン書記長の一番好きな食べ物はヨーグルトだった。チョン書記長は、食事でごはんやおかずを減らしても、ヨーグルトだけは必ず完食したという。それから、ピーナッツキャンディも大好きだったといい、チョン書記長の仕事机の上にはいつもピーナッツキャンディの入った瓶が置かれていた。
また、チョン書記長は、朝夕の運動や散歩のときに、よく歌を歌っていた。当直のスタッフも練習して、一緒に歌うこともあった。この歌詞は、チョン書記長に関わったすべての病院のスタッフの記憶の中で、今も鳴り響いている。
チョン書記長が過ごした病室は、治療室の外に木製のテーブルと椅子が置かれ、チョン書記長や医療スタッフが日々くつろぐ場所になっていた。チョン書記長が座る側の椅子からはホン川が望める。チョン書記長は毎日、朝夕をここでリラックスして過ごし、夜明けと夕暮れのホン川を眺めていた。
そういったとき、チョン書記長は時事問題について話し、ときにはリラックスしてユーモラスな話もした。それから、医師や看護師が理学療法を行っている間は、風景や人生についての詩を読むこともあった。
チョン書記長との思い出は、病院のすべてのスタッフの記憶の中に、そのままの形で残っている。
素朴で親しみやすいリーダーの鏡であったチョン書記長は、病院のすべてのスタッフに対し、国の高官、そして国民の健康を守るという使命を果たすべく、献身的に努力を続けていかなければならないという教訓を残していった。
[Tuoi Tre 09:56 23/07/2024, A]
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