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[特集]

都会の自宅で過ごす念願のテトは「苦い味」

2024/02/25 10:30 JST更新

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small>(本記事は、ベトナム現地紙の読者コラムを翻訳・編集したものです。)

 皆さんは、テト(旧正月)をどのように過ごされただろうか。私はと言えば、ようやく「寂しいテト」が終わってくれた、と救われるような気持ちだ。

 結婚して10年、うち9回のテトを夫の実家で過ごした。夫の実家は、南中部高原地方の田舎町にある。

 私はホーチミン市生まれ。結婚後も実家近くに住んでいる。夫婦は年中ホーチミン市で過ごすため、テトはいつも夫の実家に帰省している。

 毎年、旧暦12月27日か28日から帰省し、旧暦1月5日か6日まで夫の実家で過ごす。なので帰省前はいつも、スーパーで形だけのお供えの花と果物、夫の実家へのお土産を買うだけだ。

 結婚して初めての帰省は、目覚まし時計を早めにかけて、鶏の仕込みやバインチュン(banh chung=ちまき)包みをする義父母の手伝いをしたものだ。妊娠し、子供が生まれると、お義母さんは、「あなたは座っていなさい」と声をかけてくれた。

 子供が大きくなっても、義父母から何かさせられることはなく、私がやることは食器洗いや野菜を炒めることくらい。こちらの気候に慣れないだろうと、義父母は私が朝8~9時まで寝ていても、何も言わない。

 きっと楽すぎたんだろうな。そんなテトは、何だかつまらなかった。近年は、同僚女性たちに「テトは自分の実家で過ごす派」が増えたこともあり、夫にも何度か、今年のテトはホーチミン市で過ごそうよ、とも言ってみた。

 そもそも私の実家はすぐそばにあるため、テトを私の実家で過ごそう、とは言わなかった。ただ私は、自宅を飾り、お祈りをし、お出かけをする、そんなテトを体験してみたかっただけだ。

 しかし、そんな私の「ホーチミン市でテトを過ごそう計画」は失敗続き。私の両親でさえ、賛成しなかった。だがそんなモヤモヤも丸3年温めていれば、賑やかな街に子供と出かけるテト、なんて夢まで見てしまうものである。食べることしかない田舎のテトとは違うのだ。

 そして今年、夫は旧暦1月2日まで職場の当番となったらしい。えっ、テトまで働くの?とは思ったけれど、よし!誰にも邪魔されない、イメージどおりのテトを過ごすチャンスがやってきた!

 だが喜びは長くは続かなかった。私のテト攻勢は、困難を極めた。夫は職場、テトの支度に大掃除をするのは私だけ。そこに「ねえママ、遊びに行こう!」と小さい娘の叫び声。

 旧暦12月29日、夜の時間にスーパーへ。幼い頃は、あんなにも楽しかったテトの買い物は、悪夢だった。

 果物売り場で並び、食品売り場で並び、レジで並び、ほうほうの体で出てくると、駐輪場でまた並び…。ようやく道路に出たのは23時頃。何だかやけに人が少ないな、と思ったところで、そうだ今日は旧暦12月29日、みんな帰省しているんだった、と思い出すのだった。

 ふいに、我が子を抱いて、バインチュンを茹でるお鍋の火で温まる、夫の実家でのんびりと過ごす旧暦12月29日の夜を思い出した。お義母さんが用意してくれたお布団から香るお日様の匂い、かごを持ってお義母さんと巡る市場。

 ドーンッ、ドーンッと新年を祝う花火が上がる。娘と2人で窓辺に寄る。うるさい、うるさい、と、娘は耳をふさいでとっととベッドに入ってしまった。私は大晦日のお供えをひとり片付け、戸締りをして、砂糖漬けをかじる。

 「今ごろは皆でお茶を飲んで、お菓子を食べて、よもやま話をしてるんだろうなぁ…」。いつかのテトを思い出した。

 長いため息ひとつ。元日よ、早く、早く過ぎ去れ。我が家で過ごす念願のテトは、どうしてこんなに寂しいの。 

[Vietnamnet 08:53 19/02/2024, F]
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