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[特集]

マンション13階から落下した女児を救った「英雄」の今

2024/01/14 10:30 JST更新

(C) thanhnien
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 2021年2月28日、ハノイ市タインスアン区にあるマンションの13階から転落した当時3歳の女児を間一髪で救った男性がいる。「英雄」と称賛されたグエン・ゴック・マインさん(33歳)は、事故から3年近く経った今でも、外に出ると多くの人々から「あの時の英雄」として認識されるという。

 ハノイ市ドンアイン郡に住むマインさんは、危険を顧みずに女児の命を救った勇敢な「英雄」、「スーパーマン」として一躍有名になったが、今も当時と変わらず、トラック配達員の仕事を続けている。

 マインさんは毎日、同僚たちとともにハノイ市カウザイ区のナムチュンイエン都市区にトラックを停めて、顧客からの依頼を待つ。マインさんは平均して1日3~4便の配達を担当している。

 マインさんの仕事は午前7時頃に始まり、事前に依頼を受けている場合はもっと早い時間に出勤することもある。仕事を終えると22~23時頃に家宅するが、午前0時を過ぎることもあり、妻子はすでに眠っている。1週間の中でマインさんが家族と過ごせるのは土曜日と日曜日だけで、週末になるとマインさんは妻と2人の子供を連れてあちこちへ出かける。

 マインさんは、2021年2月28日午後のことを今でもはっきりと覚えている。それは、決して忘れることのできない、1つの命が守られた瞬間だった。

 「私にとって一番幸せなことは、あのことがきっかけで家族が、兄、姉、そして娘が増えたことです。フエン(注:マインさんが救った女児)は私の上の娘と同じ歳で、2人はずっと前から仲良しだったかのように、会うたびにぴったりとくっついているんです。フエンを助けてからというもの、私はいつでも子供たちといえば3人のことを考えるようになりました」とマインさんは語る。

 その勇敢な行動から、マインさんに多くの賞状や価値のあるものが贈られたが、彼は感謝を伝えつつ丁重に辞退し、妻がお店を開くための資金として少しのお金だけを受け取った。勤勉に働いているマインさんの収入は、自身と妻子が生活していくには十分で、毎月貯金もできている。

 最近、マインさんは仕事用に新しいトラックを購入したばかりだ。「もう少しだけ頑張って働いたら今より生活が楽になるのに、とよく言われますが、私は自分が選んだこの仕事に満足していますし、収入もこれで十分だと思っています」とマインさん。

 有名になってからというもの、マインさんはどこに行っても何をしても、周りに「あの人だ」と気づかれ、「見知らぬ他人が自分のことを知っている」という目に見えないプレッシャーを感じ、閉塞感を覚えるようになった。

 枠にとらわれ、他人の視線が恐くなり、以前のように自然体ではいられなくなり、仕事にも度々支障が出た。「はじめの頃は皆があまりにも自分に関心を寄せるので、精神的に参ってしまいました。対処することが多すぎて頭がついていかず、仕事に集中できなくなって、同僚たちから『まぬけのマイン』と呼ばれることもありました。さらに、お客さんもだんだんと減っていってしまったんです」とマインさんは話す。

 この3年間、マインさんは自分で自分をリラックスさせる方法を学ばなければならなかった。マインさんも、ごく普通の1人の人間だからだ。そして今は、バランスの取れた生活を送り、周囲を恐れることなく以前と同じように昼間は働き、夜は妻子と幸せに過ごしている。

 今も変わらず同じように仕事を続け、同じように家族と過ごしてはいるものの、当時のことを思い出すたびにマインさんは自分自身が変化し、大きく成長できたと感じている。今から4年ほど前のマインさんは、自称「遊び好きで無分別、周囲の出来事には無関心な人間」だったという。

 しかし、マインさんはある事故の後、自分自身が変わらなければならないと気づいた。その事故とは、ある日の午前5時頃、マインさんがハノイ市ウンホア郡まで荷物を運送している時に起きた。マインさんはうっかり居眠り運転をしてしまい、高齢の男性にぶつかって、男性は右脚と左腕、助骨5本を骨折してしまった。

 「その時はパニックに陥りましたが、被害者のご家族が私を励まし、慰めてくれたんです。ご家族に謝罪し、男性を病院に連れて行きました。その方は15日間の入院を経て、今も元気にされています」とマインさんは語る。自身の過ちを受け入れてくれた男性とその家族の心の広さに触れて以来、マインさんはこの男性を父親のように慕っているのだという。

 この事故以来、マインさんは周りの人を助けるために努力しなければならないということに気づいた。そして、例のマンションで助けを求める声を聞いたマインさんは、ためらうことなく、自らの危険を顧みることなく女児を救った。

 マインさんはメディアで「英雄」や「スーパーマン」などと称賛されているが、マインさん自身は、他の人が困難や生命の危機に直面しているのを目の当たりにして、必然的に「しなければならないこと」だったと思っている。

 「(女児を救った)その日の午後のことはよく覚えています。家に帰ってから家族に一部始終を話し、それから友人と飲みに行きました。夜遅くに帰宅すると、何人かの記者がインタビューをしようと待ち構えていてびっくりしました」とマインさんは当時を振り返る。

 記者たちのおかげで自身の行動が国中に広く知られることになったのだと話すマインさん。「最近、ハノイ市フースエン郡にある運動場に荷物を運んだ時、ある生徒たちのグループが私に気づき、一緒に写真を撮ってほしいと声をかけてくれました。あの事故からずいぶん経ちましたが、今でも多くの人たちが私のことを覚えていてくれて、とても嬉しいです。私の話が少しでも広まり、より良い社会の構築に貢献する一助になればと願っています」とマインさんは語った。 

[Thanh Nien 07/12/2023, A]
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