VIETJO - ベトナムニュース 印刷する | ウィンドウを閉じる
[特集]

生後間もなく捨てられた双子の姉妹、50年経て実母を探す

2023/10/22 10:26 JST更新

イメージ画像
イメージ画像
 今年で52歳になるチャン・ティ・ランさんとグエン・ティ・ホン・レさんは双子の姉妹だが、生まれて間もなく別々のところに引き取られた。生き別れた2人が今から20年ほど前にようやく再会できたように、2人は50年以上の時を経て、実の母親と再会することを夢見ている。

 2023年6月中旬ごろ、双子の姉のランさんと妹のレさんは、生まれてすぐに自分たちを捨てた実の母親を探すため、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)にメッセージを投稿してほしいと娘に頼んだ。

 そのメッセージに、姉妹はこう綴った。「どうして私たちが今までお母さんを探そうとしなかったのか?その答えは、50年以上経ってようやく、生まれてすぐに私たちを捨てたあなたたち両親を許せるようになったからです。もしも神様がこの世で会わせてくれないとしても、2人が私たちのことを1度でも思い出してくれたなら、私たちは幸せに生きているからどうか安心してください」。

 現在は夫と子供たちと共に幸せな生活を送っている姉のランさんだが、自分の出自のことを考えない日などこれまで1日もなかった。孤児院での暮らしを経て、養子としていくつかの家庭に引き取られた後、最終的に南部メコンデルタ地方ティエンザン省カイベー郡のカムさん夫妻の養子となり、実の子供のように可愛がられて育った。しかし、養父母もランさんが生まれた場所や実の両親の名前など、何も知らなかった。

 「養父母は実子と私を区別することなく育ててくれました。それでも私は自分の出自がわからず、いつも悲しい気持ちでいました」とランさん。ランさんは、自分のくせ毛や特徴的な声は誰から受け継いだものなのか、きっと一生わからないのだろうと考える時期もあったという。

 しかし、ランさんの居場所から300km以上離れた東南部地方ドンナイ省カムミー郡ソンザイ村に暮らす妹のレさんは、その答えを知っていた。レさんが16歳の時に、レさんの養母は、レさんは南中部沿岸地方カインホア省ニャチャン市の病院で生まれたこと、そしてレさんには双子の姉がいることを教えてくれたのだ。

 1970年か1971年のこと、レさんの養母は、当時お腹の中にいた子供を中絶した。ちょうどその時、出産した双子を養子に出したいという16歳の少女がいることを偶然知り、1人を引き取ることに決めた。

 より元気そうな姉の方を引き取るつもりでいたものの、いったん病院から自宅に戻って荷物をまとめている間に、姉は他の人に引き取られていた。そこで、妹の方を家に連れて帰ることにし、実母から出生証明書を受け取ったのだった。その後、慌ただしい生活の中で出生証明書は紛失してしまったというが、養母が話してくれた話を今でもレさんは覚えている。

 養母の話によると、実の母親は1954年か1955年生まれで、南部メコンデルタ地方ビンロン省出身のファン、もしくはファム・ティ・ダオさんというそうだ。子供を手離す理由を尋ねたところ、韓国軍人の男性との恋愛の末に授かった命だが、男性は母国に帰って音信不通になってしまい、1人では双子を育てることができないからだと答えた。

 「養母は、もしこの世で自分にそっくりな人に出会ったら、その人が実のお姉さんよ、と言っていました」とレさんは振り返る。レさんはずっと実の姉を探したいと思っていたものの、経済的に苦しい生活の中でその夢も埋もれていった。

 ある時、ティエンザン省カイベー郡の劇団がドンナイ省カムミー郡ソンザイ村に公演に訪れ、ソンザイ村に暮らすレさんもその公演を見に行った。すると劇団員の1人から突然肩を叩かれ、「あれ、ランさん、どうしてここにいるんですか?」と尋ねられた。レさんは「私の名前はレで、ランじゃありませんよ」と返事した。

 しかし、ふと養母の話を思い出したレさんは、その劇団員に、ランさんという名前の女性が養子かどうかを尋ねたところ、その女性はカム夫妻の養子だということを知った。それでも、この世の中にはきっと同じような境遇の人がたくさんいるだろうと思い、また子供を出産したばかりで忙しかったレさんは、この話をあまり気に留めなかった。

 一方、2000年のある日、ティエンザン省カイベー郡でコーヒーを委託販売していた男性が、営業のためにランさんの家のドアをノックした。ランさんを見ると、男性は驚いて「どうしてレさんがここにいるんですか?」と尋ねた。ランさんは詐欺か何かだと思い、「私の名前はランで、レじゃありませんよ」とだけ答えた。すると男性は、自分の家の近所にランさんとそっくりの女性が住んでいるのだと話し、今度写真を持ってくると約束した。

 その男性は、レさん一家の近所に住んでおり、ドンナイ省に帰るとレさんの養母にその話を聞かせた。すでに高齢だった養母は、レさんのために血のつながった身内を探してあげたいと思い、こっそりとランさんの家を訪ねた。

 家にはランさんの夫しかいなかったものの、壁に掛けられていた結婚写真を見て、レさんの養母はレさんの双子の姉を見つけることができたと確信した。養母はランさんの夫に事情を話し、いつか2人を再会させてあげましょうと約束した。しかし、再会の時はすぐにやってきた。その翌日、養母とレさん夫妻は早速ランさんに会いに行ったのだった。

 「姉は外を見ていて、私が外から入るとお互いに見つめ合い、まるで鏡を見ているかのようでした。私たちは大泣きしました。道の両脇にはたくさんの見物人がいましたが、誰が見ても2人はそっくりで、一目で姉妹だとわかりました」と妹のレさん。

 「30年近くの間、自分は孤児で、誰も身寄りがいないと思って生きてきましたが、突然実の妹が現れて。話し方や歩き方、髪質まで同じで、言い表せないくらいの幸せを感じました」と、姉のランさんは当時の感情を思い出して語る。

 姉妹はティエンザン省とドンナイ省で離れて暮らしながらも常に連絡を取り合い、毎日話をした。それはお互いに欠かすことのできない時間だった。それでも、捨てられて傷ついた過去からは抜け出せず、2人は母親を探す勇気も意欲も持てずにいた。

 31歳になるランさんの娘のクエ・タインさんは母親に実母を探したいかと何度も尋ねたが、ランさんは、愛してくれる養父母と暮らしているのにどうして自分を捨てた人を探さなければならないのか、と無関心だったという。

 姉妹の再会から数年後、レさんの養母は他界し、2013年にはランさんの養父母も順にこの世を去った。その頃、姉妹の心に空いた穴はどんどん大きくなっていった。そして、歳を取るにつれて、姉妹は恨みの感情を手放し、実の両親を探したいと思うようになった。

 今年6月初め、娘のタインさんが南中部沿岸地方ダナン市に出張に行き、ランさんに電話をかけてきた。その時、ランさんは「タイン、ダナン市にいるならニャチャン市に寄って、実のおばあちゃんを探してきて!」と口走り、母子で涙を流した。

 「それは、母が何十年も口に出すのを抑えてきた言葉だということは知っていましたが、ようやく言う勇気が出たんだと思います」とタインさん。彼女は母親と叔母が書いたメッセージをSNSに投稿し、人探しに関する様々なチャネルとつながって実の祖母を見つけたいと願っている。

 「お母さん、今、私たち姉妹はそれぞれ家庭を持って幸せに暮らしています。私たちは52歳になり、孫もいます。お母さん、今までずっとこういったメッセージを伝えることができなくて、ごめんなさい」と、2人は母親に宛てて記した。

 レさんは仕事の都合で東南部地方ビンズオン省に引っ越したが、数年後にはティエンザン省カイベー郡に移り、家を建てて姉のそばで暮らす予定だ。「身内は姉妹2人しかいません。他に誰もいないので、困ったときは一緒にいないと」とレさん。

 レさんは今でも夜な夜な遠方から姉に電話をかけ、SNSで人探しの情報を見ようと誘っている。「もしかしたらいつか、お母さんが私たちのことを探しているという情報を見つけることになるかもしれませんから」と、2人は希望を込めて語った。 

[VnExpress 06:29 04/07/2023, A]
© Viet-jo.com 2002-2024 All Rights Reserved.


このサイトにおける情報やその他のデータは、あくまでも利用者の私的利用のみのために提供されているものであって、取引など商用目的のために提供されているものではありません。弊サイトは、こうした情報やデータの誤謬や遅延、或いは、こうした情報やデータに依拠してなされた如何なる行為についても、何らの責任も負うものではありません。

印刷する | ウィンドウを閉じる