[特集]
チリソースで億万長者になったベトナム系米国人
2023/03/05 10:11 JST更新
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米国ロサンゼルスに移り住んで45年、デビッド・チャン氏(男性・77歳)は、チリソース「シラチャーソース(スリラチャソース=Sriracha Sauce)」を有名ブランドにし、米国で唯一の「チリソースの億万長者」になった。
チャン氏は1979年に34歳でベトナムから米国に渡り、1980年の初めにカリフォルニア州ロサンゼルスに定住した。チャン氏はここで、タイ由来のレシピによるシラチャーソースの生産を手掛けるフイフォンフーズ(Huy Fong Foods)を設立した。
それから40年以上が経ち、シラチャーソースは米国のテレビドラマシリーズ「サバイバー」や国際宇宙ステーション、そして世界中の食卓にも登場するようになった。米国の市場調査会社NPDによると、米国の家庭の約10%がシラチャーソースを使用しているという。
シラチャーソースは、15億USD(約2040億円)規模の米国のチリソース市場の中で、マキルヘニー(McIlhenny)の「タバスコ(Tabasco)」、マコーミック(McCormick)の「フランクスレッドホット(Frank’s RedHot)」に次いで市場シェア3位の商品に成長した。
米国の調査会社IBISWorldによれば、2020年の推定売上高1億3100万USD(約178億円)に基づくと、現在のフイフォンフーズの企業価値は10億USD(約1360億円)に上る。こうして、フイフォンフーズ全体を所有しているチャン氏は、米国で唯一の「チリソースの億万長者」となった。
2020年にマコーミックがチリソースブランド「チョルーラホットソース(Cholula Hot Sauce)」を8億USD(約1090億円)で買収するなど、近年、シラチャーソースの競合他社の一部では買収の動きもある。しかし、チャン氏はシラチャーソースのブランドを売却するつもりはなく、現在フイフォンフーズで働いている2人の子供に会社を引き渡すと表明している。
シラチャーソースは広告費をかけることなく、また1980年代初頭から価格を引き上げることもなく、巨大なブランドに成長した。フイフォンフーズは、工場の異臭をめぐる訴訟や、直近では2022年の不作による唐辛子の不足で一時的に生産を停止せざるを得なくなり、さらに消費者が買いだめを増やしたことで小売価格が高騰するなど、多くの危機を乗り越えてきた。
チャン氏は最近の米経済誌フォーブス(Forbes)のインタビュー記事でこう語っている。「チリソースの辛さを増すなど、これからもより質の高い製品を作っていきたいと思っています。でも、利益を増やすことは考えていません」。
チャン氏は、ベトナムがフランスの植民地支配下にあった1945年に南部メコンデルタ地方ソクチャン省で生まれた。父親は商人、母親は専業主婦で、チャン氏のほかに8人のきょうだいがいた。
チャン氏は16歳の時に兄と一緒にサイゴン(現在のホーチミン市)に移り、化学薬品店で働き始めた。その後、学業のためにソクチャン省に戻ったが、ベトナム共和国政権下で強制的に入隊させられた。
「他に選択肢はありませんでした。夜中に警察が自宅を訪ねてきたんです」とチャン氏。兵役中、チャン氏は戦争に行くことなく主に料理人を務め、ベトナムの南北が統一された1975年に兵役を終えた。
その後、チャン氏は妻のエイダさんと結婚し、兄と一緒に家族の土地で唐辛子の栽培を始め、チリソースの製造に切り替えた。当時市場に出回っていたチリソースは辛さや風味が物足りないことに気づいたチャン氏は、生唐辛子を購入し、化学物質の知識を生かして、よりフレッシュでスパイシーなチリソースを作ることに決めた。
「生唐辛子の市場価格は不安定なので、チリソースを作りたかったんです。チリソースを作ることができれば、フレッシュな旨味と風味を保ちながらも低価格で販売できますから。唐辛子の価格が上がっても、我々のチリソースは元の価格を維持して市場を構築してきたんです」とチャン氏は語る。
米国に移り住んでから、チャン氏は地元の各市場で唐辛子を仕入れ、1980年2月にフイフォンフーズを設立した。チャン氏の生まれ年である酉年にちなんで、ロゴには雄鶏のイラストを採用した。
チャン氏は緑色のトラックでシラチャーソースの販売を始めた。1987年頃には需要が高まり、チャン氏は持っていたゴールドを売ってロサンゼルスの東にあるローズミードに232m2の広さの建物を購入し、フイフォンフーズの新たな生産拠点とした。
それから10年も経たないうちに、近くにあったワムオー(Wham-O)の古い工場を購入して生産を増強し、2010年にはローズミードの近くのアーウィンデールに立地する広さ603m2の拠点に移転し、現在に至る。
会社の急速な成長に伴い、新たな課題も発生した。2014年、工場から発する唐辛子の臭いが「地元住民を不快にさせている」として、アーウィンデール市はフイフォンフーズを提訴した。この訴訟は物議を醸し、政治家たちはチャン氏とフイフォンフーズに対し、ロサンゼルスから出ていくよう要求した。
チャン氏がマスコミの前に姿を現すことはめったになかったが、工場を一般公開し、住民に見学してもらうことでこの訴訟に対抗した。「チャン氏が人々の注意をひいた理由の1つは、彼自身が控えめな人だったという点です。彼の関心事は、事業をうまく運営することだけだったんです」と、2013年にシラチャーソースに関するドキュメンタリー映画を制作したグリフィン・ハモンド氏は語る。そして、2014年5月に市は訴えを取り下げた。
シラチャーソースが成功したことで、シラチャーソースを模倣した類似品が広く出回るようになった。「我々はシラチャーソースの類似品を扱う複数の会社に対し、活動停止を要求し、提訴する旨を記した通告書を送りました。チャン氏とフイフォンフーズは独自のチリソースを製造しており、シラチャーソースに取って代わる製品はありませんから」と、フイフォンフーズの知的財産権に関する代理人を務めるロッド・バーマン氏は話した。
2017年には、フイフォンフーズにとって1988年からの唐辛子の独占的な仕入先だったアンダーウッド・ランチズ(Underwood Ranches)との関係が崩れ、法廷闘争に発展した。前期からの過払い金140万USD(約1億9000万円)の返還をアンダーウッド・ランチズが拒否したという理由で、2017年8月にフイフォンフーズが同社を訴えたのだ。
しかし、アンダーウッド・ランチズは反訴し、フイフォンフーズが2016年に他のサプライヤーから唐辛子を仕入れるために新会社を設立したことは契約違反に当たるとして申し立てをした。この法廷闘争はカリフォルニア州の控訴裁判所がフイフォンフーズにアンダーウッド・ランチズへの2300万USD(約31億3000万円)の損害賠償の支払いを命じた2021年まで続いた。
年間5万tの唐辛子を消費するフイフォンフーズは、カルフォルニア州、ニューメキシコ州、またメキシコ各地から唐辛子を仕入れているが、十分な生産原料を確保するには春の収穫期に依存するしかない。しかし、2022年の春は干ばつで不作となり、原料の唐辛子が深刻な不足に陥ったため、フイフォンフーズは一時的に生産を停止せざるを得なくなった。
すでに危機は過ぎ去ったようで、現在は1時間にシラチャーソース1万8000本を生産する通常のペースに戻っている。同社はまた、シラチャーソースのほかに、唐辛子と塩、酢のみを使用したインドネシアのチリソース「サンバルオレック(Sambal Oelek)」と、シラチャーソースよりもニンニクの分量が多いチリソースも生産している。
チャン氏は1980年から現在までずっと、唐辛子、砂糖、塩、ニンニク、そして酢からなるレシピを使ってきた。これこそが、40年の間にフイフォンフーズを小さな会社から10億USD(約1360億円)規模の大企業に変えた成功のレシピだ。
「安価な原料を使ったり、製品の宣伝をしたりすればもっと儲けを出すことはできるでしょうが、そういったことはしません。私の目標は、貧しい層でも手に入れられる価格で富裕層向けのように高品質なチリソースを提供することですから」とチャン氏は語った。
[VnExpress 11:47 08/02/2023, A]
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