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[特集]

暗闇を抜け出し司会者に、視覚障がいを持つ9X世代の女性

2023/01/15 10:33 JST更新

(C) vnexpress
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 スタッフがメモを書き込んだ分厚い台本を見ると、フオン・ザンさん(女性・27歳)のような視覚障がいを持つ司会者がどのように膨大な台本の内容を覚え、スタジオで輝くことができるのだろうかと多くの人が驚嘆するだろう。

 ザンさんは収録が始まる1時間以上前にスタジオに入り、スタッフの案内でステージを歩き、空間を把握する。それからスタジオの隅に座ると、台本の上でゆっくりとスマートフォンを動かす。9X世代の女性司会者であるザンさんは、スマートフォンのテキスト読み上げ機能を活用して、分厚い台本を「読んで」記憶するのだ。

 点字ではなくスマートフォンを使って台本を読むという、多くの人には馴染みがないであろうこの方法は、司会者歴10年以上のザンさんにとっては生活に欠かすことのできないものだ。「ステージに上がるときは毎回、初めてのつもりで、そして最後のつもりで全力を尽くしています」とザンさん。ザンさんは、スポットライトの下で輝く瞬間をとても大切にしている。視覚障がいを持つザンさんにとって、信頼されることやチャンスを与えられることがあまり多くないからだ。

 ザンさんは生まれた時から片目は完全に視力がなく、もう片方の目も通常の10分の1の視力しかなかった。中学1年生(日本の小学6年生に相当)になる頃には、網膜疾患によりザンさんの目は完全に光を失った。暗闇の中でザンさんは、周りの世界とのつながりを失う恐怖に直面した。

 「当時、クラスメイトは私と遊ぶことはありませんでした。私も、周りの人たちにどうやって話しかけたらいいかわからなかったんです」とザンさんは語る。ザンさんは1人で教室の隅に座って周囲の音に耳を傾け、クラスメイトたちがふざけて笑い合っている声を聞くだけだった。友達とすぐに打ち解けることができず、勉強するにも困難が伴う。約20年前の当時、視覚障がいを持つ子供の学習環境を整えることは、容易ではなかった。

 ザンさんが特別支援学校ではなく普通学校への入学を希望した時、ザンさんの両親は学校の理事会に掛け合い、視覚障がいのある生徒を受け入れてもらえるよう時間をかけて説得した。それからは、ザンさん自身が多くの助けを借りずとも自立して勉強に取り組むことができるということを証明するため、ひたすらに努力を重ねる日々が続いた。

 しかし、ザンさんは決して1人ではなかった。そこにはザンさんに寄り添い、しっかりと支える家族の姿があった。妹のミン・チャンさんはこう話す。「家で両親は姉にすべてのことを自分でやらせていました。姉が空間に慣れ、自分で自分のことをできるようになるため、家族全員で声掛けをしました。姉はいつも全力で、できないなどと弱音も吐かず、色々な方法を模索しながらやっていました」。

 自信と幸せが暗闇に飲み込まれてしまわないよう、ザンさんは暗闇の中に喜びを見出す方法を学んだ。他の人の助けを待つ代わりに、自分から積極的に周りの人とのつながりを築こうとした。「暗闇は怖くありませんでした。なぜなら、暗闇のおかげで光が見えるから」とザンさん。

 ザンさんは今まで、視覚障がい者であることで後悔したり、劣等感を抱いたり、苦しんだりしたことはないという。「誰もが生まれながらに完全な人間であり、ただ自分が大多数とは違うだけ」という考えで、健常者と同じように生きようとあえて努力することもなく、皆と同じ環境で視覚障がい者として生きることを受け入れてきた。

 ザンさんが人生を受け入れようと心を開いたとき、自然と司会者の仕事がザンさんに巡ってきた。ベトナムの声放送局(VOV)でルポルタージュの手伝いを経験した後、編集委員たちはザンさんの訴える力に才能を見出し、番組を任せることにした。ザンさんの初めてのラジオレポートは、彼女が日々の生活をどのように感じ、見ているのかをリスナーに説明する内容だった。「小さな頃から音を通じて人生を視覚化してきたので、ラジオ番組の仕事はそこまで難しくありませんでした」とザンさんは語る。

 2017年になると、ベトナム国営テレビ局(VTV)3チャンネル(VTV3)などでの番組を通して、ザンさんがVTVの司会者になる機会が徐々に開かれていった。「ラジオからテレビの仕事に変わることで必要になるスキルも増え、最初の頃はとても大変でした」とザンさんは当時を思い出す。

 最初、ザンさんがどのカメラを見ればよいのかわからず困っていたところ、カメラマンたちは手を叩くことでザンさんが見るべきカメラを教える方法を考えついた。このほか、ザンさんはボディランゲージを使うことも困難だった。

 課題に直面したザンさんは、スタッフとうまく連携するのと同時に、自分が自立して仕事をする能力があるということを再び証明しなければならなかった。ザンさんはスタジオでうまく立ち回れるよう、ハイヒールを履いて歩く練習、カメラのレンズを見てアイコンタクトを取る練習、聞きやすい発声の練習をしたほか、正しい姿勢が取れるようモデルのスキルを習得するなど、できることから始めていった。

 「視覚障がいのない人たちにとってハイヒールを履くことはそれほど大変なことではないと思いますが、私はつま先の小さな部分が地面に触れるだけということに不安を感じていたんです」とザンさん。恐怖を克服するため、ザンさんは「3か月間、毎日2時間」という練習スケジュールを立て、粛々とこなした。徐々にハイヒールを履いて立ったり歩いたりできるようになり、同時に他のスキルも習得していった。

 ザンさんはメイクも自分でやる。アイシャドウパレットの枠に触れて色を判断し、ブラシを使ってパウダーを優しく拾い上げ、まぶたに均等に塗り広げる。そして自分で服を着替え、ハイヒールを履いて、優雅に、そしてしっかりと歩く。準備が終わると、監督の合図で収録が始まる。

 「ある時、観覧者の1人が私のところに来て感謝を伝えてくれました。彼女には障がいを持つ子供がいて、子供の将来は真っ暗だろうと思っていたそうです。でも、私について書かれた記事を読んで、私の出ている番組を観て、私がフェイスブック(Facebook)でシェアした投稿を見て、障がいを持っていても学校に通うことができ、仕事をすることができるのだとわかり、子供の将来が思い描けるようになったのだそうです。それで、彼女は悲嘆に暮れる代わりに、子供がより社会生活に近づけるよう、計画を立て始めたようです」とザンさんは教えてくれた。

 ザンさんのおかげで、障がい者コミュニティの多くの人が外に出て、より適切なサポートを受けられるようになってきた。また、彼女のおかげで多くの人が障がい者の声に耳を傾けるようになり、障がい者が信頼を得て、挑戦の機会を与えられることも増えた。ザンさんをテレビで観ると喜びに満ちた1日の始まりになる、という視聴者からの手紙が放送局に届いた時、ザンさんの人生はさらに意味のあるものになった。

 ザンさんは司会者である一方で、心理学者としての顔も持っている。彼女は現在、臨床心理学の修士課程に在籍しているほか、カウンセラーとしても働き、心に問題を抱える人々のサポートをしている。たくさんの人がザンさんに助けを求めてメールを送ってくる。ザンさんは届いたメールを1通1通丹念に読み、助けを必要としている人たちに丁寧に返信する。

 「私の使命は、周りの人々が、自分の望む人生を送れるようサポートすることです。誰もがそれぞれ痛みや苦しみを抱えていますが、私の専門分野や前向きなエネルギーによって、皆が自信を持って、強い心で障壁を乗り越え、幸せな人生を送れるようサポートしていきたいんです」とザンさんは語る。

 ザンさんいわく、人生とは苦しみの連続であり、中でも障がいを持つ人たちは早くにこの苦しみを経験することになる。それでも、ザンさんは悲しみの暗闇に支配されることなく、自分の力と強さで日々前進し、障壁を乗り越え、幸福に満ちた前向きな人生の新しいページを開いている。ザンさんが今歩んでいる道のりは、ザンさんのような視覚障がい者でも機会さえあれば自分の力を発揮し、良い成果を出せるのだということを証明する過程でもあるのだ。 

[VnExpress 10:00 10/10/2022, A]
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