[特集]
11歳で一家の大黒柱になった少年、幼い弟妹と助け合い生きる
2022/12/25 10:10 JST更新
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(C) vnexpress、(左から)ミンくん、ジンちゃん、姉の子供、テインくん |
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10月の暑い日差しが降り注ぐ昼時、西北部地方ディエンビエン省ムオンニェー郡に暮らすモン族のスン・アー・ミンくん(13歳)は、第1フオイコン地区の丘の中腹に広がる田んぼに1人でしゃがみ込んでいた。「田んぼ作業をするために1週間学校を休んで、作業が終わったらまた学校に戻ります」と、少数民族学校の3年生(日本の中学2年生に相当)のミンくんは話した。
2年前に父親が病気で急死し、母親が別の男性と再婚して姿を消してから、ミンくんはたった1人での田んぼ作業にも慣れてしまった。6人きょうだいだが、長男は知的障がいがあり、次男はハノイ市に出稼ぎに行ったままこの数年間何の音沙汰もなく、姉は結婚して家を出た。そして、三男のミンくんは突然、11歳で一家の大黒柱となり、障がいを持つ兄と2人の幼い弟妹を養う責任を負うこととなった。
日が傾くと、ミンくんは最後の一房の稲を叩いて脱穀し、すべての米をかごに入れて、きょうだいたちの食事を準備するため急いで家に帰った。ミンくんきょうだいの家は30m2にも満たない木造家屋で、丘の中腹に立っており、家の中は常に薄暗い。竹でできた3つのベッドから数歩先は台所だ。ミンくんが家のドアを開けると、11歳になる弟のスン・アー・テインくんが台所で米袋を開けているところだった。
一番下の6歳の妹、スン・ティ・ジンちゃんはドアの側に立って、兄のミンくんが帰ってくるのを待っていた。ミンくんが米の入ったかごを下ろすやいなや、ジンちゃんは「お腹空いた」と口を尖らせた。ミンくんは「ちょっと待ってて、今ご飯を作るから。テインが小川に水を汲みに行って、帰ったらスープを作るよ」と妹をなだめた。
ミンくんきょうだいが住むムオンニェー郡は、西北部地方の国境地域で戦略的な重要エリアとなっている。長年にわたりインフラ投資が行われてきたが、いまだに国内で最も貧しい62郡の1つで、貧困世帯の割合が6割以上を占め、郡内の16村はすべて特に困難な状況にある地域に含まれている。
現在、第1フオイコン地区には68世帯が暮らしており、いずれも貧困だが、中でもミンくんの家が最も貧しい。地区長のバン・アー・チョーさん(男性・32歳)によると、ミンくんの父親が亡くなった時、一家には葬祭費用もなかったため、近隣住民が少しずつお金を出し合って葬儀を行ったのだという。
一家の財産は政府から与えられた2頭の水牛だけだったが、うち1頭は病気で死んでしまった。もう1頭は丘の田んぼで働いており、おかげできょうだいは米を食べることができている。
「両親がまだ生きていた頃は、生活は苦しくても食べるものはありました。でも今、彼らは塩を買うお金もなく、米がある時は小川の水でスープを作っておかずにし、米すらもない時には何も食べずに飢えを我慢しているんです。そんな彼らの姿を見ると涙が出てきます」とチョーさんは語る。
ミンくんはまだ13歳と若いながらもすべての家事をこなし、大人の男性のように弟妹を世話しているため、学校の先生たちからよく「若いおじいさん」と呼ばれている。
ミンくんによると、母親が出て行った日、ミンくんはただ黙りこくって、それから大声で泣くことしかできなかったという。帰りたい場所だった家は寒々しくなり、食事を作ってくれる人もいなければ台所に米もなく、地面で焚いた火の上に心もとなく置かれた鍋があるだけだった。あの日、ミンくんは幼い2人の弟妹に食べさせる米を近所から少し分けてもらい、それから歩いて学校に行った。
「母が出て行った時、母は僕たちが食べる物も置いていかず、僕たちは1日中飢えている日もあったので、本当に母のことが嫌になりました。でも今は、母が恋しいですし、帰ってきてほしいと思っています」と、ミンくんは溢れる涙を手で拭いながら打ち明けた。
両親がいなくなって2年の間、夜になると幾度となく妹が泣きながら「どうしてお母さんは帰ってこないの?」と聞いた。ミンくんはどう答えればいいのかわからず、黙っていた。妹が泣けば泣くほど、ミンくんはただ「寝なさい」としか言えなくなり、自分もじっと横になって涙を流した。
きょうだいたちの世話をする責任を負ったその日から、ミンくんは米の炊き方を覚え、丘に山菜を探しに行き、食べられるものがあれば持ち買って調理した。「はじめは米の炊き方も知らなかったので、いつも生の米を食べていました。でもだんだん慣れて、今ではご飯も炊けるし、卵や野菜もゆでられるようになりました」とミンくん。学校に行かない日は、朝5時に起きて2人の弟妹に食べさせる米を炊き、それからかごを持って田んぼに行き、水牛の世話をしている。
学期中、ミンくんと弟妹は学校から食事を提供してもらい、肉や野菜もお腹いっぱいに食べられる。生徒たちは月曜日から金曜日の午後まで学校で3食食べて寝泊まりし、日曜日の午後にまた学校に戻る。お金のある家庭の子は親にバイクで送ってもらうが、ミンくんたちは小川を渡り、峠を越えて18kmの道のりを歩いている。
そんな2021年の夏休み、ミンくんは家で水牛の世話をしていた。まだ米の収穫期ではなかったが家の米が尽きてしまい、ネズミを仕留めて食べようと弓を持って森に入った。しかし、不運にも放った矢が岩に当たって跳ね返り、ミンくんの目に直撃した。
ミンくんは目を押さえながら走って家に帰ったが、ただ目の痛みに泣くしかなかった。病院に行くお金もなく、脱脂綿で目を覆っただけで2か月間耐えたが、右目が全く見えなくなり、ミンくんは自分が右目の視力を失ったことに気付いた。
夏休みが終わる2021年8月、ミンくんの担任のホアン・クオック・キエンさん(男性・38歳)が学校に戻るよう伝えに生徒たちのもとを訪れた際、ミンくんが右目を負傷していることに気付き、慌ててミンくんをムオンニェー郡の病院に連れて行った。そこで医師から告げられたのは、すぐに治療しなかったことでミンくんの右目は永久に失明してしまったということだった。それ以来、13歳の少年は片目で生きていくことになった。
学校に行くと「片目の少年」とからかわれ、両親もいない中、ミンくんは一番後ろの列の机の端に1人で座ってただ泣くしかなかった。キエンさんによると、失明した当初、ミンくんはクラスメイトから差別され、クラス替えを望んでいたという。「生徒たちが差別的な考えを改め、ミンくんの置かれている状況を理解できるよう毎日話し、励ましました」とキエンさんは語る。
キエンさんは、ミンくんが中学1年生(日本の小学6年生に相当)だった2年前の冬、古びたシャツに裸足で教室に入ってきた彼の姿を今でも忘れることができないという。「彼は痩せこけて、寒さに震えていました。それで、授業が終わると私は急いでサンダルと暖かい上着を買いに行ったんです」とキエンさん。
毎年、米の収穫期になるとミンくんは1週間学校を休む。そして田んぼ作業が終わると歩いて学校に行き、家で勉強するために教科書を持ち帰る。家族を養うために学業が中途半端になってしまっているミンくんを心配し、キエンさんは学校での授業が終わるとミンくんのもとへ行き、補講をしている。
ミンくんが通う学校の副校長であるブイ・ティ・タイン・フエンさんによると、学校には526人の生徒がいるが、7割が貧困世帯の子どもたちだという。その中でもミンくんの状況は特に厳しい。以前のミンくんは勉強がよくできたが、片目を失ってからは頻繁に頭痛があり、ひどい時は学校を休まなければならなくなった。
「ミンくんはシャイであまり話しません。毎週歩いて学校に通い、学校までの道のりは遠く足場も悪いですが、彼らは学業を諦めずに頑張っています。両親に代わって弟妹の世話をしているミンくんを見ると、とても気の毒です」とフエンさんは話す。
ある日ミンくんが学校を休んだため、心配したキエンさんはバイクを走らせミンくんの住む地区に向かった。誰もいない家に入ると中には鍋に入ったままの冷えた米しか見当たらず、キエンさんは卵10個と数袋のインスタント麺を買って台所の戸棚に置いた。その日、田んぼ仕事から帰ってきたミンくんは家の中に食料が置かれているのを見て、まだ見える片目を細めて泣いた。
最近、学校はミンくんのために村レベルの障がい者証明書を取得した。これにより、毎月100万VND(約5600円)余りが支給されることになり、ミンくんの残り2年間の中学校の学費の負担は軽減された。
「高校に進学したいと思っていますが、生活がさらに苦しくなるのが不安なんです」と、少年はうつむきながら打ち明けた。
[VnExpress 06:00 07/11/2022, A]
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