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[特集]

ホーチミンのバックパッカー街、華やかさの裏で貧しく暮らす人々

2022/11/06 10:23 JST更新

(C) dantri
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 ホーチミン市のバックパッカー街として知られる1区ブイビエン(Bui Vien)通りは、市内で最も賑やかなエリアだ。ここを訪れる人々の中には飲食に数千万VND(1000万VND=約5万9000円)を使うような人もいる。一方、質素な弁当を食べるために、ほんのわずかなお金を稼ごうとあくせく働いている人も多い。

 このエリアの外見の華やかさとは裏腹に、わずか数m2の広さの家に貧しく暮らす人々もいることは、あまり知られていない。このエリアにある小さくて狭い家々は、ほとんどが1975年よりも前に建てられたものだ。

16m2の家に11人暮らし

 ダン・ティ・クックさん(女性・54歳)は、毎日家事を終えると7歳になる孫のダン・ザー・フイくんと一緒に横になる。フイくんは言葉の遅れがあり、学校の先生は家族に、フイくんが小学1年生の勉強を終えたら街区の人民委員会に証明書の発行を申請し、同級生よりも簡単な試験を受けられるようにしたほうがよいとアドバイスした。

 一家は毎月50万VND(約2940円)をフイくんの学費に充てる。学校が遠くても、下宿させれば月に100万VND(約5900円)はかかるため、家族が交代で毎日の送り迎えをしている。

 家族の中で、フイくんと一番仲が良いのはクックさんだ。クックさんも読み書きができず、身体も弱いため、家にいて孫と高齢の母親の世話をしている。時々家族の手伝いで路地の入り口で飲み物を売っているが、1日に10万VND(約590円)ほどしか稼げない。通りすがりの客はバーに遊びに行くだけで、路上では飲み物を買わないからだ。

 クックさん一家は、ブイビエン通り183番地の路地裏にある広さ16m2の家に3世代の11人で暮らしている。家族の中には、バイクタクシーの運転手や露天商、また仕事の依頼があれば受けるという何でも屋もいる。

 クックさんによると、一家がこの家に住んでもう60年以上になるが、家は1回しか修繕していない。その1回の修繕の際は、当局の支援を受けてトタン屋根を修理した。現在はすっかり老朽化しており、雨が降ると天井から雨漏りし、床が路地よりも低いため外からも水が入り込む。

 家の中は、外が晴れていれば暑く、雨が降っていれば蒸し、浸水し、壁がカビたりひびが入ったりし、時にはネズミやゴキブリが行き来する。人数が多いため、4人が1階の床で、2人が小部屋で、5人が上の階の物干し場の近くで寝ている。

 クックさんによると、ここに最初に住み始めたのは母親であるファム・ティ・ティーさん(87歳)の代だという。ティーさんには10人の子供がおり、当時は寺の近くでサツマイモを売って生計を立てていた。その後、道路が開発され、同じ場所で商売を続けることができなくなった。

 ティーさんの子供たちが結婚し、子供が生まれると、同居する人数もどんどん増えていった。あまりの窮屈さに多くは他で家を借りて暮らすようになり、家の雰囲気は多少落ち着いた。

 ティーさんは2~3年前に大腸がんが見つかり、今はお粥と魚しか食べることができない。高齢で身体も弱っているティーさんは、家の中で子供や孫が行き来する姿を見ているだけだが、それが楽しみでもある。

 そんなティーさんも、外に出たくなり、こっそり出て行っては転んでしまったことも少なくない。現在の病状は良くないが、高齢であることとお金がないことで、手術を受けることも薬を買うこともできないでいる。

 3世代が一緒に暮らすとなると、けんかや意見の相違は避けられない。「2歩歩けば誰かにぶつかるので、もはや無視です。あれこれ考えるのは家のこと、家族のこと。そういう環境に疲れてしまうからなのか、お互いにイライラしやすくなるんです」とクックさんは打ち明けた。

夢も持てない人々

 表通りで商売を終えて帰宅したダン・ティ・タムさん(女性・43歳)は、ティーさんの一番下の娘だ。タムさんは家族の中で一番時間があるため、いつもごはんの支度を担当している。他の家族は病気で働くことができなかったり、午後から翌朝まで12時間以上も働かなければならなかったりするからだ。

 タムさんの夫は外で肉体労働をしたり、バイクタクシーの運転手をしたり、電気の修理をしたりと忙しくしており、誰かに呼ばれれば何でも引き受ける。タムさん自身はネイリストだが、月の稼ぎは頑張っても400万~500万VND(約2万3500円~2万9400円)、少ないときは300万VND(約1万7600円)ほどしかない。

 「もうここでの暮らしも長いですが、今さら家を売って他のところに引っ越すにも、どうしたらいいかわかりません。それに、こんな家、誰が買ってくれるでしょうか」とタムさんは悲しそうに言った。

 最近は物価が高騰し、生活費もさらにかかるようになった。毎月皆で節約して過ごさなければならず、4~5人が寝るところでも扇風機は1台しかつけない。電気代と水道代は30万VND(約1760円)程度だが、食費や浸水で壊れたものの修繕費などに多くのお金がかかる。

 「家族の皆で少しずつ毎月の生活費を出し合っています。その月にお金がない人の分は別の人が払うというように、お互いに補填し合いながら長年やってきました。私たち一家は貧困世帯なので、慈善団体がお米や食糧を提供してくれるときには、当局から連絡をもらって受け取りに行くんです。支援がない月は、お米を買うために他のものを節約しなければなりません」とタムさん。

 2021年7月に新型コロナウイルス感染症(COVID-19)で亡くなった兄の遺影を見上げて、タムさんはこう語る。「家も狭いので、家庭内感染は避けようがなく、全員感染しました。不運にも兄は病院で亡くなりました」。

 夢について尋ねられると、タムさんもクックさんも黙り込んだ。なぜなら、他の家族のように温かく平穏な生活を送るということしか今まで考えたことがなかったからだ。

 「明日何を食べるか考えるだけで精いっぱいなのに、遠い夢のことを考える暇なんてありません。家があって、日差しや雨を避けられるだけでも幸せなことです。今はただ、安心して生活できるように、雨漏りするところを修繕するためのお金があればそれで充分です。他の人たちには帰ることのできる故郷がありますが、私たちにはありません。ここが故郷だから。皆、大変ならどこかへ移ったらいいのにと言いますが、そんなに簡単なことだったら私たち11人はこうして苦労していませんよ」とタムさんは話した。

 ブイビエン通りの地元の人々の中には、あまりの貧しさからこの場所を離れることを選んだ人もいれば、クックさんやタムさんたちのように、貧しい生活を送りながらも60年以上もこの場所にしがみついているという人もいる。

 この場所に残っている人々にとって、苦労しつつもここで生きて行くということが身体に深く染み込んでおり、この場所を離れたところで、「水を離れた魚」のようにどうやって生きていけばよいのかわからなくなってしまうのだ。 

[Dan Tri 02/11/2022, A]
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