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[特集]

自分のルーツを求めてフランスからベトナムへ、実の家族と奇跡の再会

2022/08/14 10:36 JST更新

(C) thanhnien
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 エマ・キーナーさん(26歳)とフランス人養父母がホーチミン市を訪れ、エマさんの母親を探していることをSNSに投稿した翌日、信じられない奇跡が起こった。エマさんはついに、ホーチミン市で実の家族を見つけたのだ。エマさんの母親探しの物語がインターネット上で拡散され、それが奇跡につながった。

 ある日の午後、ホーチミン市1区グエンフエ通りのカフェでエマさんとタインニエン(Thanh Nien)紙の記者は、エマさんの実の姉だというチャン・ティ・タイン・ロアンさん(35歳)を待っていた。

 エマさんは、SNSに自分の話を投稿したその翌日に、ロアンさんから「私たちは姉妹かもしれない」とのメッセージを受け取ったのだという。「彼女は写真と、母親の名前や年齢、生年月日などの情報を送ってくれたのですが、どれも私が知っていた情報と一致していました。私のことも知っていて、送ってくれた母親の写真も彼女の写真も、私によく似ているところがありました。何が起きているのか、本当に信じられませんでした」と、フランス国籍のエマさんは語る。

 最初のメッセージのやりとりの後、2人は色々な情報を確認するため、実際に会う約束をした。約束の日の前夜、エマさんはあまりにも緊張していて眠れなかった。2人が会う場には、通訳としてファン・ティ・タインさん(23歳)が同席した。

 しばらくすると、ロアンさんがカフェに現れた。2人は抱き合って挨拶をし、話を始める前に長い間お互いを愛おしそうに見つめ合った。2人は顔や手もよく似ていた。

 「昨日、会食に行ったときにたまたま彼女の投稿を見たんです。投稿には母の名前や私も昔住んでいた家の住所が書かれていて、確かに母がかつてツーズー病院に子供を置いてきたことも知っていたので、自分の目を疑いました。私は泣き出してしまって、すぐにハイン(エマさんのベトナム語名)にメッセージを送ったんです」とロアンさんは話した。

 ロアンさんによると、エマさんが投稿した情報はいずれも母親の情報と一致していて、80%の確率でエマさんは自分の妹だという自信があった。エマさんは母親によく似ていて、特に鼻がそっくりだという。

 1996年1月に父親が亡くなり、様々な事情でタインさんは当時10歳だったロアンさんを父方の祖父母に預け、別のところに引っ越して再婚した。そして、同じ年の10月に2人目の子供を産んだ。それがエマさんだ。

 「母は女の子を産んだ後、経済的な事情でその子を病院に置いてきたんです。その後、母はまた新しい一歩を踏み出し、私が預けられた祖父母の家からもそう遠くないところに住んで、宝くじを売って生計を立てていました。たまに何やかやと私に渡しに祖父母の家に来てくれていました」とロアンさんは振り返る。

 そんな生活が続いたが、2015年11月にタインさんは大病を患い、2016年1月に亡くなった。タインさんは亡くなる前、ロアンさんには実は異父姉妹がいるのだと伝えた。そして、人生で一番の後悔は、その子を手放して二度と会えなかったことだと明かした。ただ、ロアンさん自身も、エマさんの父親が誰なのかはついぞ知らなかった。

 母親の話を聞いたエマさんは、深く感動した。エマさんは、母親がお腹を痛めて産んだ自分を捨てたのには何か特別な理由があったからだとわかっていたため、母親を責めたり、母親に怒りを覚えたりしたことはこれまでに一度もないという。むしろ、母親のおかげで今の生活があるのだと感謝している。エマさんは産んでくれた母親に感謝しながらも、恩を返すことができなかったとも思っている。

 「母は生涯、子供に対する後悔に苛まれて生きていたと思います。母に対しては、怒りよりも愛情のほうが大きいです。それにしても、私たちは本当に似ているところが多いですね?」と、エマさんは隣に座るロアンさんを見ながら笑って言った。

 そして2人は、お互いの今までの人生を語ったり、書類の情報を比べたりしながら、何時間も話し込んだ。

 エマさんは、自分のルーツを知らずに生きるのは難しいことだったとロアンさんに打ち明けた。エマさんは、ロアンさんこそが自分の人生における最も大きな疑問に対する答えであることを願った。一方で、もしもロアンさんの母親が本当に自分の母親だったら、もっと早くに母親を見つけられなかったことを後悔するだろうとも考えた。

 「もしもっと早く母に会えていたら、その人が母親だと知ることができていたら、母は自分を責めずに済んだかもしれないし、私も少しでも母を助けることができたかもしれない。ひとまずDNA検査を受けて、良い結果を待ちたいと思います」とエマさんは涙を流した。

 2人の会話を聞いていた通訳のタオさんは、感動せずにはいられなかった。きっとタオさんにとっても、これまでに立ち会った中で最も特別な物語の1つだっただろう。タオさんもまた、奇跡が起きて2人が実の姉妹であることを望んでいた。

 その後、2人は多くのベトナム人のサポートを得てDNA検査を受け、どきどきしながら結果を待った。

 ホーチミン市ゴーバップ区在住のドー・ホン・フックさん(男性・27歳)は、エマさんがベトナムを訪れる前から親族探しを手伝っていた。エマさんがタンソンニャット国際空港に到着した際には空港で出迎え、現地で一緒に親族を探した。エマさんはフックさんの案内でDNA検査を受けに行き、さらに市内のあちこちを見て回った。

 フックさんは長年にわたりベトナムで親族を探す外国人をサポートしてきたが、今回の件ではロアンさんがエマさんに連絡した瞬間から、2人はほぼ間違いなく実の姉妹だろうと思っていたという。2人が持っていた情報はいずれも一致しており、見た目も似ていたからだ。

 DNA検査のおよそ3日後、ついに結果が出た。そして、「母系の血縁関係あり」という結果と医師の言葉に、2人は大喜びした。ロアンさんはあまりに感動し、自分の気持ちをどのように表現すればよいかわからなかったが、一方でこの結果に驚きはしなかった。

 「彼女に会ったとき、この子が妹だと確信しました。目鼻立ちも、その姿は母のコピーのようにそっくりでしたから。DNA検査はあくまでも私たちが姉妹である可能性が100%であることを確かめるためのものであり、誰もが私たちの関係を疑わなくていいようにするためのものだったんです」とロアンさんは語る。

 ロアンさんは、エマさんがベトナムに滞在している間に一緒に母親のお墓参りに行き、線香を手向けるつもりだ。そして、「もし私たちが本当に姉妹だったら一緒に旅行に行きましょう」と約束した通り、南中部高原地方ラムドン省ダラット市に旅行に出かける予定だという。2人にとって、この旅は離れ離れだった空白の時間を埋めるためのものでもある。

 物心ついてから初めてのベトナム訪問は、エマさんにとって一生忘れられない出来事となった。エマさんの養父母は先にフランスに帰り、エマさんはしばらくベトナムに滞在して南から北まで旅をするという。きっとその旅は、喜びと笑い声と幸せに満ちたものになるだろう。

 エマさんはまた、この奇跡のために尽力してくれたベトナムの人々に心から感謝している。 

[Thanh Nien 08:23 19/07/2022, A]
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