[特集]
ウクライナから帰国した越僑たちの新生活、母国語を学ぶ子供も
2022/04/17 10:24 JST更新
(C) tuoitre |
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ロシアによるウクライナ侵攻が続く中、戦火を逃れてウクライナからベトナムに帰国した在外ベトナム人(越僑)たちは今、故郷での新生活に慣れようとしているところだ。
「悲しいですし、ウクライナに残してきた財産も心配です。でも、ベトナムに帰国してから家族と国内旅行に行ったりもしています。私たち家族にとって、母国での滞在期間は今回が最長です」と、グエン・ティ・チャンさん(女性)は語る。
北中部地方タインホア省トスアン郡出身のチャンさんは、幸いなことに3月8日に運航された最初の特別便でウクライナからベトナムに帰国することができた。「何かを持ってくる暇もありませんでした。今は家族や近所の人たちの愛情のおかげで生活できています」とチャンさん。
ベトナムに帰国した日から、チャンさん一家はチャンさんの実家に半月滞在し、それから夫の実家に移った。夫の両親は、チャンさん夫婦が第2の故郷に帰れる日がくるまでゆっくり過ごせるよう、小さな家の中に十分なスペースを作ってくれた。
チャンさんは今から17年前にウクライナに渡り、仕事をして、同郷の男性と結婚した。夫婦が最後にベトナムに帰国したのは10年以上も前のことだ。
チャンさん夫婦の2人の息子は、今回初めて母国に帰り、初めて祖父母と対面した。「帰国したばかりのとき、子供たちは周りが見知らぬ人ばかりでほとんどコミュニケーションをとろうとせず、スマートフォンをいじってばかりいました。ある日、子供たちを連れて畑に散歩に出かけると、走ったりジャンプしたりと楽しそうにしていたので、毎日午後になると私たち夫婦か両親が子供たちを連れて田園風景を眺めに行くようになりました」とチャンさんは笑う。
北部紅河デルタ地方ナムディン省ハイハウ郡出身のドー・マイン・ズンさん(男性)の家族も、14年間過ごしたウクライナから帰国して故郷での新生活に慣れようとしているところだ。最初に、夫婦と子供たちはベトナムの暑さに慣れなければならなかった。
ズンさんの2人の子供は上が6歳、下が1歳半で、祖父母のもとに帰るのも今回が初めてだ。「最初の数日は時差に慣れず、子供たちは遅くまで寝ていて疲れた様子でしたが、今は慣れたようです。今、子供たちが学校に通えるよう手続きをしています。教員である母が、孫のために家でベトナム語を教えています」とズンさんは嬉しそうに語る。ズンさん夫婦は子供が言葉を発するようになったころからベトナム語を教えていたため、上の息子はベトナム語を流暢に話すことができ、文字もわかるという。
チャンさんの上の息子は中学2年生(日本の中学1年生に相当)で、毎日ウクライナにいる先生とオンラインで勉強している。彼は主にウクライナ語とロシア語を使っており、ベトナム語は話すことができ、読み書きもとりあえずできるが、ベトナム語の授業が理解できるほどではない。
「息子がベトナムの学校に入学できるよう、ベトナム語を教えているところです。まずは少しずつ慣れさせています」とチャンさん。チャンさんは2人の子供たちの入学手続きを進めており、学校も温かく迎えてくれるため安心している。
帰国後しばらくゆっくり過ごしたチャンさんは、戦争がいつ終わるかもわからないため、ベトナムで短期の仕事を探している。今は田舎で輸入品の販売ができないか模索しているところだ。
「商売をするには移動手段が必要ですが、ベトナムでは運転免許証を持っていないので、時間がかかってしまうでしょう。夫はウクライナの運転免許証を持っていますが、ベトナムでは運転席が左側なので、そこから勉強し直さなければならないんです」とチャンさんは笑う。
一方のズンさん夫婦は、ベトナムに留まるつもりで長期的な仕事を探している。戦争が終結し、国が安全になれば労働者はウクライナに戻れるが、戦争で大きな被害を受けた国が復興するには長い時間と多大なコストがかかるためだ。
ウクライナの市場で商売をしていたおかげで、ズンさん夫婦は母国に持ち帰る少しばかりのお金を貯めることができた。ズンさんはその資金を使って、母国でお金を稼ぐ方法を模索している。
「ベトナムでのビジネスについて調べてみましたが、今は第4次産業革命(インダストリー4.0)の時代なので、何をするにも容易に思えます。もう1度起業して、今までとは違う分野で自分がどこまでできるか試してみたいと思っています」とズンさん。
ズンさんは子供たちをウクライナに戻さず、ベトナムで学業を続けさせるために子供たちの戸籍の手続きを進めている。しかし、家族の関連書類は全てウクライナに置いてあるため、なかなか手続きが進まないのが現状だ。
ウクライナ在住ベトナム人のほとんどは、現地の市場で布や服、食品、果物などを売って生活してきた。しかし、突然の国外退避で誰もが商品を売り切ることも、ましてや商品を持って帰国することもできなかった。
チャンさんは、オデーサにある、自身が商売をしていたベトナム人が多くいる市場の情報がなかなかつかめずにいる。市場はまだ爆撃されていないものの、商品の盗難は避けられないようだ。「警備員はほとんど残っておらず、市場は広く、売り手も買い手も皆退避しているので、商品がどうなっているのかわかりません」とチャンさんは語る。
チャンさんと同じくオデーサで商売をしているズンさんはというと、ズンさんと商人仲間たちは商品を守るために追加でお金を支払って警備員を雇ったため、彼らの商売エリアはきちんと警備されているという。
「今のところ商品の状態は良好ですが、時間が長引けばどうなるかわかりません」とズンさん。しかし、幸いにもズンさん夫婦の手元には多少なりともお金が残っているため、他の家族よりはずいぶんましだ。
ニュースでは、キーウやその近郊にあるベトナム人の市場が爆撃を受け、多くの人々が財産も家も失ったことが報じられている。「ウクライナで人生をかけて商売をしてきたベトナム人たちがかわいそうでなりません。彼らはもうすぐ引退というところにきて、すべてを失ってしまったのですから。1年少し前には新型コロナウイルス感染症(COVID-19)で大変だったのに」と、ズンさんは悲しそうに語った。
[Tuoi Tre 07:00 14/04/2022, A]
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