[特集]
低身長の夫婦のもとに舞い降りた天からの贈り物
2021/12/05 10:40 JST更新
(C) vnexpress |
(C) vnexpress |
(C) vnexpress |
共に身長が90cm台のチエンさんとランさんは、結婚せずに一緒に暮らしていたが、子供の誕生を機に、正式に結婚手続きを行った。
南中部高原地方ダクラク省クロンパック郡クロンブック村(xa Krong Buk, huyen Krong Pak)にある小さな家の中で、ホアン・ランさんと生後10か月の息子が青いハンモックに静かに横になっている。母親であるランさんの身長は息子と30cmも変わらず、事情を知らない人には子供が2人いるように見えるだろう。
夫のチン・バン・チエンさんが市場から戻り、玄関のドアの前でそっとサンダルを脱ぐと、息子はいつ寝付いたかと妻にたずねた。ランさんは「今さっき眠ったところよ。起きないように静かにしてね」と答え、2人はそれ以上何も言わず、息子をじっと見つめ、静かに座っていた。2人が授かった子供は、夢にも思わなかった天からの贈り物だった。
チエンさんはクロンブック村で生まれ、今年33歳になる。チエンさんには3人のきょうだいがいて皆発達に問題はないが、チエンさんは4歳の時点で話すことはできても、1か所に横たわっていることしかできなかった。
7歳になり、チエンさんはようやく立つ練習、歩く練習を始めた。チエンさんの世話に苦労していた両親は、チエンさんが11歳になり学校に行きたいと懇願したとき、とても驚いた。「身体は小さくても手足は丈夫で、知能には何の問題もない。自虐的になることはないのだと、学校に連れて行く前にチエンに言いました」と、父親のチン・バン・フウさんは教えてくれた。
チエンさんの身体の成長は身長90cm、体重20kgで止まったものの、チエンさんは父親の教えを胸に、他人からの視線を気にすることもなく友達を作った。
そして、チエンさんは高校に進学した。15kmの通学路を電動三輪車で通うのは難しく、フウさんがバイクでチエンさんの電動三輪車を引いて学校まで送り、学校の近くに住む場所も借りた。週末になると再びバイクで電動三輪車を引いてクロンブック村まで帰った。高校を卒業すると、チエンさんは短期大学で情報技術(IT)を学ぶため、1人でホーチミン市に移り住んだ。
今から4年前、チエンさんは身体障がい者向けの手工芸品製造会社に入社した。そこで自分より少しだけ身長が高いランさんと出会い、惹かれるようになった。
身長も似通った2人はすぐに親密になり、ホーチミン市でデートを重ね、さらに南中部高原地方ラムドン省ダラット市に旅行にも出かけ、晴れてカップルになった。4年間の交際を経て、チエンさんはランさんの故郷である南中部沿岸地方ニントゥアン省に行き、ランさんの両親を訪ねた。
「私たちは2人とも小さいですが、他の皆と同じように愛し合い、家庭を持ちたいと思っています」とチエンさんがランさんの家族に結婚の許しを請い、両家とも2人の結婚を認めた。ただ、このときはチエンさんとランさん、そして家族も皆、心の内では2人が子供を持つことはできないだろうと考えていた。
結婚式や結婚手続きもすることなく、2人はトゥードゥック市に借りた広さ15m2の部屋で一緒に暮らし始めた。2人が家財道具として持ち込んだいくつかの私物のほか、料理をするときの踏み台にするプラスチックの椅子と収納棚を買い足した。
そして、2人とも同じ監視カメラの会社に転職した。一緒に暮らし始めて4か月が経ったころ、ランさんは吐き気と身体の怠さを感じるようになった。「妊娠検査薬で陽性の結果が出て、私は喜びと同時に不安も感じました。子供を授かるとは夢にも思っていなかったんです」とランさん。
チエンさんの父親のフウさんは、妊娠の知らせを聞くとすぐにランさんの両親に電話をかけ、両家はホーチミン市に集まって、若い夫婦のために話し合った。そしてランさんを病院に連れて行き、診察の結果、ランさんの身体でも妊娠を継続できることがわかり、皆で安堵した。
2人は出産に向けて準備を始めた。節約生活を心がけると共に、チエンさんは携帯電話のプリペイドカードやSIMカードの販売、ランさんはソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)での化粧品の販売を新たに始めて、収入を増やした。
10か月前に2人の長男であるニャット・アンくんが誕生した。早産で、出生時の体重はわずか1200gだった。「医師が生まれた息子を見せてくれたとき、あまりにも小さな我が子をかわいそうに思う気持ちと、父親になって幸せな気持ちが入り混じった複雑な思いでした」とチエンさん。
生まれてから5か月の間、ニャット・アンくんはほとんど入院していた。感染症のため2度の手術を行い、生存率はわずか1%だと言われたこともあった。
「息子夫婦だけでなく、私たち家族全員にとっても辛い時期でした。幸い、2人は困難に立ち向かう強さを持っていました」とチエンさんの父親のフウさんは当時を回想する。ニャット・アンくんの入院中、フウさんがダクラク省から、ランさんの母親がニントゥアン省からホーチミン市に駆けつけ、子供たちをサポートした。
数か月間におよぶ入院を経て、ニャット・アンくんの病状はようやく安定し、両親の元に帰ることができた。生後10か月を迎えるころには少しずつ歩き始め、言葉も出るようになってきた。息子がよちよちと歩くのを見るたびに、チエンさんは「両親が小さい分、この子はきっと強い子だ」と心の中で思っている。
子供の病気だけでなく、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)も夫婦の生活を大きく混乱させた。大黒柱であるにも関わらず、チエンさんは7月から失業中で、ホーチミン市の社会的隔離措置の適用中は地域のサポートや国の補助金に頼って生活するしかなかった。
「困難は私たちを成長させてくれるものでもありました。以前よりも、自分たち自身や子供に対して、より責任を持って生活するようになりました」とランさんは語る。
ホーチミン市の社会的隔離措置が解除され、10月の初めにチエンさんとランさんは子供を連れてダクラク省の田舎に帰った。2人は、まず結婚届を提出して、合法的な夫婦になることを考えていたのだった。
10月28日、チエンさんとランさんはクロンブック村人民委員会に行き、結婚手続きを行った。小さな夫婦の訪問に多くの職員が驚き、心を打たれた。同村人民委員会のグエン・ハイ・サム主席は、10年以上この仕事を続けてきた中で、このような特別な結婚証明書を公布したことはない、と話した。「2人の愛は日常の中にあるおとぎ話のようです。村の青年団の代表と話し合い、近々2人を祝福し、応援するための会を開く予定です」とサム主席は語る。
チエンさんは、外に出れば多くの浮き沈みはあるものの、妻と子供がいる家に帰ると安心するのだと教えてくれた。
「今の生活は、これまで夢にも思わなかったプライスレスな贈り物です。私の小さな家族が、人生の大波や強風を乗り越え、健康に生きていけることだけをただ望んでいます」。チエンさんはそう言い、両腕を小さな輪にして妻と子供を抱きしめた。
[VnExpress 06:00 04/11/2021, A]
© Viet-jo.com 2002-2024 All Rights Reserved.
このサイトにおける情報やその他のデータは、あくまでも利用者の私的利用のみのために提供されているものであって、取引など商用目的のために提供されているものではありません。弊サイトは、こうした情報やデータの誤謬や遅延、或いは、こうした情報やデータに依拠してなされた如何なる行為についても、何らの責任も負うものではありません。