[特集]
ハノイで3世代続く国旗の縫製職人、祖国の象徴と伝統を守って
2021/09/12 10:17 JST更新
(C) vnexpress |
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ハノイ市で3代にわたりベトナム国旗の縫製を家業としているトゥオンティン郡レロイ村トゥーバン村落(lang Tu Van, xa Le Loi, huyen Thuong Tin)在住のグエン・バン・フックさん(45歳)は、200枚の国旗を丁寧に包み、自宅から約10km離れた郵便局まで雨の中バイクを走らせた。9月2日の建国記念日に間に合うよう、西北部地方ソンラ省へ送るためだ。
ハノイ市も他の省も新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響で社会的隔離措置が講じられ、荷物の輸送も困難になる中、今年は建国記念日を祝って飾る国旗の需要も低迷した。
郵便局から国旗を郵送したフックさんは自宅に戻り、ひとつ仕事を済ませてから、出稼ぎに行くために村を離れる同年代の友人たちに国旗を配りに出かけた。これは、フックさんが何年も恒例にしていることだ。
タインチー郡に住む友人の家に立ち寄ったフックさんは、友人を呼ぶことなく家の前に掲げてある国旗をそっと新しいものに換え、古い国旗をたたんで持ち帰った。
「3世代にわたり国旗の縫製一筋という一家に生まれた私の喜びは、通りにはためく、新しく鮮やかな金星紅旗を見ることです」とフックさんは語る。
トゥーバン村落にある3部屋の家屋から、フックさんの妻であるダオ・ティ・ズエンさんが使うミシンの音だけが響きわたる。新型コロナが発生して以来、10台余りあるミシンのほとんどが休眠状態だ。
ズエンさんは赤い布を4つに折りたたんで中心を決めてから、器用に黄金の星の布を中央に据え、直線で縫い付けた。30年近くこの仕事をしているズエンさんは、わずか10分で1枚の国旗を完成させてしまう。
ズエンさんによると、数年前は9月2日の建国記念日が近づくと、全国各地から注文が殺到し、一家は職人を追加で雇ってやっと生産が追いつくほどだったという。
村落の多くの子供たちがズエンさんの家に寄り、本を買うお金を稼ぐために仕事を手伝った。そして、刺繍村として知られていたトゥーバン村落が、有名な国旗縫製村になった起源について語る老人の話を聞いた。
フックさんの母親であるダン・ティ・ダムさん(62歳)によると、トゥーバン村落では16世紀から民芸品の刺繍をしていたが、国旗の刺繍・縫製を行うようになったのは1945年以降のことだという。
1945年といえば八月革命によってベトナムが独立し、ベトナム民主共和国が成立した年だ。その年、総蜂起の日に備えて革命委員会がトゥーバン村落に立ち寄り、金星紅旗を注文した。「父の話では、最も大きく、最も美しく、最も鮮明な金星紅旗は、トゥーバン村落の人が作ったものだったそうです」とダムさんは語る。
北部に平和が戻ると、トゥーバン村落の縫製職人たちはハノイ市のハンボン(Hang Bong)通りの合作社に雇われ、国旗の生産に従事した。「当時、布はハドン区のラーケー村落(lang La Khe)で、糸はタインチー郡のチエウクック村落(lang Trieu Khuc)で購入していました」とダムさん。
ベトナム戦争が終結した1975年以降、特に経済が開放されてから、トゥーバン村落の多くの人々は国旗の刺繍・縫製をやめ、商売に転向した。
「今から30年余り前、息子がまだ小さかったころ、息子に代々の伝統技術を学ぶように言いました。フックは覚えが早くて、私も夫も伝統を残すため、息子が規模を拡大して国旗の生産を続けてくれるようにサポートしました」とダムさん。「フック(漢字で「復」)」という名前も、村落の伝統技術の復活を願ってつけたものだった。
トゥーバン村落の長であるグエン・バン・ニャムさんによると、現在、村落に残っている国旗の刺繍職人は約20人しかいないという。刺繍は注文を受けてから完成までに時間がかかり、注文自体が少なくなっているためだ。
国旗の縫製工場を開く前、フックさんはまず国旗の刺繍のステップから始めた。ダムさんはフックさんに、「1枚の国旗を完成させるには、まず赤い布の枠に黄金の糸で1針1針刺繍する方法を知らなければならないの。木に根っこがあるように、縫製の職業が発展し、存在し続けるための基盤になるものだから」と話し、機械での縫製もサポートしつつ、手で刺繍する技術も鍛えた。
フックさんは以前、面積54m2もの大きな旗を縫ったことがある。これはベトナムの54の少数民族を象徴するもので、ベトナムの最北端にある東北部地方ハザン省ドンバン郡のルンクー国旗掲揚台に掲げられた。
市場のニーズに応えるため、フックさん夫婦は国旗の縫製に最新の機械を導入し、美しく正確な国旗を生産するとともに、生産性を上げている。
繁忙期には機械で縫う注文だけを受け、刺繍で作る注文は村落の職人たちに仕事を振り分ける。「国旗の刺繍と縫製への情熱は、祖父から両親へ受け継がれたもので、私も大人になってこの職業を継ぐことにしたんです」とフックさん。
新型コロナに伴う社会的隔離措置の適用中は輸送手段がなく、注文も普段の3分の1ほどに減ってしまった。時折、新型コロナの影響を受けていない地域からいくつか小さな注文を受け、ハノイ市の顧客であればフックさんが少しずつバイクで運ぶか、配達員に依頼して輸送してもらっている。
ある日の午後、フックさんの携帯電話が鳴った。話し終わったフックさんは、南部の顧客から500枚以上の国旗の注文が入ったことを急いで家族に伝えた。フックさん夫婦と2人の子供たちは、納期に間に合わせるため、夕食後に再び集まって作業を始めた。
[VnExpress 05:05 02/09/2021, A]
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