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[特集]

障がい者の職業訓練縫製工場を立ち上げた男性、自身も障がいと生きる

2021/07/25 10:29 JST更新

(C) tuoitre
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 両脚の麻痺により、這いながら脚を引きずって移動することしかできなかった10年間を経て、両脚の手術を受けてから少しずつ自力歩行ができるようになったファン・ミン・クイさん(男性・31歳)は、障がい者の仕事を支援するため、縫製工場を立ち上げることを決心した。

 「自分の就職活動を振り返ってみると、とても大変で、自分を雇ってくれる会社などありませんでした。そこで、障がいのある人もない人も、誰もが安定して働ける環境を作るため、職業訓練センターを開設しようと決心したんです。職業訓練証明書があれば、彼らも就職活動がしやすくなるはずですから」と、北部紅河デルタ地方ニンビン省の職業訓練・雇用開発・障がい者支援センターの副所長を務めるクイさんは当時について教えてくれた。

 クイさんは2020年に家族が所有する土地の一角に縫製工場を建て、障がい者と健常者合わせて12人を雇用している。

 クイさんは幼少期の発熱が原因で両脚が徐々に萎縮し、障がい者としての人生を送ることとなった。両親はクイさんをいくつもの病院に連れて行ったが、症状が改善することはなかった。

 這いながら脚を引きずって移動することしかできなかったクイさんは、9歳になってようやく小学校1年生のクラスに通い始めた。学校には両親に連れて行ってもらった。幸運にも、優秀な医師の手術を受けることができ、手術後1年間の理学療法を経て、10歳で初めて自力歩行の練習を始めた。

 「歩き始めた当初は、学校の友達が軽くぶつかっただけでも倒れてしまいました。私の脚は曲がっていたので、まっすぐ伸ばすには脚に重しを乗せなければなりませんでした。関節や筋肉を鍛えるために重しを脚で持ち上げるトレーニングもし、今でも定期的に続けています」とクイさんは打ち明けた。

 クイさんは9年生(中学4年生=日本の中学3年生に相当)を終えると、健康上の問題で進学せずに仕事を探した。当時19歳だったクイさんは50万VND(約2400円)をポケットに入れ、ニンビン省からナムディン省行きのバスに乗り、仕事を求めて工業団地を回った。どの担当者もクイさんを前にすると首を横に振るだけだったが、最終的に木製手工芸品の工場で塗装工として採用してもらえることになった。

 クイさんはその工場でしばらく働き、肌は黒くなり、痩せていった。しかし、収入は依然として不安定なままで、手に職がなければ生活も安定しないのだと気づいたクイさんは、故郷ニンビン省に戻り、障がい者に縫製技術を教えている工場を訪れ、縫製を学び始めた。

 一番大変だったのは、古いミシンを操作する際に足でペダルを踏む必要があり、かなりの力を要したことだった。クイさんは、縫製を学んでいた6か月間で、両脚を使ってミシンを操作するのに慣れなければならなかった。クイさんは初めて自分で縫製したシャツを、今でも大事にしまっている。

 「両親は今でも、外に出ても何もできないのだから家にいなさいと言います。でも、両親が元気なうちは面倒を見てもらえるけれど、この先2人が年老いていったら、誰が私の世話をしてくれるんだろう?とふと考えました。当時はあえて答えを出そうとしませんでしたし、どうすればお金が稼げるのかもわかりませんでしたが、とにかく思い切って飛び込んでみることにしたんです」とクイさんは当時を思い出して語った。

 縫製の技術を身につけたクイさんは、履歴書を手に自信を持って再び仕事を探しに行った。しかし、障がい者であるクイさんには健康上の心配があるという理由で、訪れた数十社で首を横に振られるだけだった。

 それでも幸いなことに、クイさんの状況を知っていた1人の作業監督者が、クイさんの縫製技術を試す機会を設けてくれた。クイさんがミシンを巧みに操る様子を見て、韓国人の社長はクイさんを雇用することに同意した。

 その会社で2年間働き、縫製技術を上げたクイさんはさらに努力を重ね、より大きな規模の様々な環境で働いて技術と経験を蓄積していった。10年間にわたる懸命な努力の末、現在のクイさんは、縫製に関しては何でもできると自信を持っている。

 長い求職活動の間に、クイさんは多くの障がい者が直面している困難について理解していった。「この人がどうやって働けるんだ?」、「これを見て雇えるか?」といった心の傷に触れる言葉を聞き続けるうちに、クイさんは同じ境遇にある人たちを支援するために何かしなければと考えるようになった。

 縁が会って出会った1人の男性が、障がい者に縫製技術を教えるための工場の開設を手伝うと申し出てくれたこともあり、新型コロナ禍の厳しい状況にも関わらず、クイさんは2020年に自分と家族の貯蓄を合わせて8億VND(約380万円)を集め、縫製工場を設立した。

 焼けるように暑かった昨年5月、クイさん父子は建設業者がスケジュール通りに仕事を進められるよう最善を尽くした。そして10月、クイさんの工場が完成し、最低でも1か月450万VND(約2万1400円)の収入を保証し、数十人の従業員を雇用している。中には月に600万〜700万VND(約2万8600~3万3300円)の収入を得ている従業員もいる。

 クイさんの工場で働いているマイさん(女性・20歳)は村でも評判のかわいらしい従業員で、皆が騒がしくおしゃべりをしている中でも、慎重に、丁寧に布を縫い合わせていく。マイさんは生まれつき耳が聞こえない障がいを持っていて、聞くことも話すこともできず、また文字の読み書きもできないため、今まで自分の村を離れたことがなかった。

 「このケースは一番大変でした」とクイさんはマイさんについて教えてくれた。マイさんの母親は、娘が縫製を学ぶことで周りに溶け込み、技術を身につけることで自信を持って生きていけるようにと願い、マイさんを連れてクイさんの縫製工場を訪れた。そしてわずか数か月後、マイさんは自信を持ってミシンの前に座り、注文通りの商品を完成させることができるようになった。

 工場は順調に受注が増え、特に今から年末までは継続的に受注が入っているにも関わらず、「今でもまだ成功しているとは言えません。少し良くなっただけです」とクイさんは謙虚だ。クイさんの願いは、工場がより多くの障がいを持つ人々を雇用し、彼らが自身のスキルに自信を持って社会に溶け込めるよう、職業訓練とスキル向上の機会を提供していくことだという。

 「より多くの障がい者を雇用し、職業訓練を行い、彼らが望むような人生を送れるよう支援していくには、自分はまだまだです」とクイさんは語る。 

[Tuoi Tre 09:26 24/06/2021, A]
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