[特集]
この道50年、ハノイの街角で絶大な信頼を誇る「凄腕」自動車修理工の女性
2020/12/20 05:51 JST更新
(C) vnexpress |
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今年72歳になるグエン・ティ・ホン・サムさんは、客が持参したバッテリーを点検すると、「端子の3つは癒着していて、2つは錆びているね。交換したほうがいいよ」と的確に指摘し、客はゆっくりと頷いた。
11月下旬のある朝、ハノイ市ロンビエン区ゴックラム(Ngoc Lam)通り46番地にあるサムさんの店を、常連客のチャン・スアン・フオンさん(男性・36歳)が訪れた。「サムさんに車を診てもらうようになって5年が経ちます。彼女が壊れているといえば本当に壊れていて、修理もできないんです。彼女のすごいところは、機械で検査しなくても目で見ただけで車やバッテリーの修理箇所がわかることです」とフオンさんは語る。
サムさんは店内に積み上げられたバッテリーの中から1つを選び、フオンさんに取り付け方を説明した。フオンさんはサムさんの説明を熱心に聞いた。
今から50年以上も前のこと、ハノイ市出身のサムさんは自動車について4年間学ぶ機会を得た。卒業後は北部紅河デルタ地方タイビン省に配属され、自動車部門で長を務めた。10人のメンバーのうち女性は2人のみで、タイビン省の物流企業の自動車や長距離バスなどの修理とメンテナンスを専門に手掛けていた。
当時、ハノイ市出身の女性がなぜわざわざタイビン省まで来て、1日中油にまみれて自動車修理の仕事をするのかと同僚にたずねられると、サムさんは「お国が命じたから」と答えるだけだった。
5年後、サムさんはハノイ市勤務を命じられた。「毎日車の下に潜り込み、豚のように重い部品を両足で支えながら、手で修理をしていました」とサムさんは回想する。仕事の一方で、研究と書き物を仕事とする男性と結婚して3人の子供に恵まれた。しかし、45歳の時に専門分野とは異なる業務を任された。オイルやエンジンに慣れ親しんでいたサムさんにとって、のんびりとした新しい環境は合わず、早期退職を申し出た。
その後、サムさんは自動車部品を購入し、家の前に「電気製品修理します」と書いた看板を掲げて、若い時代を捧げた修理の仕事を再開した。近所の人々は、サムさんが修理の店を開いたと知れば笑い、「どうして女性に合った仕事を探さないの。修理の仕事は汚くてきつい仕事だよ」とサムさんに忠告した。しかしサムさんは、「私には学がないし、誰もがきれいなままでいたいとデスクワークを望んだら、ごみ掃除をする人がいなくなってしまうでしょう?」と返した。
サムさんは毎日、髪を高い位置でお団子に結い、暗い色味の服を着て、近隣に住む人たちのためにバイクや自動車、電化製品を修理している。トラックやバス、クレーン車など、どんな種類の車でもひょいと飛び乗って運転することができる。
サムさんは経験豊富でありながら客に献身的で、客はそこに惹かれてやって来る。北部紅河デルタ地方ニンビン省ニンビン市在住のダン・ミン・ダオさんは、20年以上前に初めてサムさんに会った時の思い出を話してくれた。
ダンさんが車でザーラム郡を走行中に発電機が焦げてしまい、三叉路の途中で停まっていると、地元住民がサムさんの店を教えてくれた。しかし、スペアパーツがなく、サムさんは朝から夜の10時まで座ったまま電線を巻き続けた。
「とても細かい作業で、長い時間を要しました。私は待ちくたびれてしまって途中でカフェに行ったのですが、サムさんは私が急いで帰らなければならないと知っていたので、一杯のご飯を食べるとすぐに修理に戻っていました」とダオさん。以来、2人は連絡を取っていなかったが、昨年サムさんの夫が亡くなったことを知人から聞くと、ダオさんはサムさんに電報を送った。ダオさんは「サムさんの献身を忘れることはありません」と語る。
ここ何年も、病気の時を除いてサムさんはめったに店を休まない。「お客さんが来ても店が閉まっていたら、他の人に頼んでしまうかもしれないからね」と、旅行にも行こうとしない。
5年前のテト(旧正月)の大晦日の午後10時過ぎ、グエン・バン・ドンさんは勤務を終え、タインスアン区グエンチャイ(Nguyen Trai)通りの職場からロンビエン区の自宅まで車を走らせていたが、ゴックラム通りの近くに差しかかると突然車が故障した。ドンさんはサムさんの看板が目に入り、急いで電話をかけた。数回の呼び出し音の後、サムさんが電話に出た。サムさんは大晦日の食事を準備している最中で忙しかったが、孫にドアを開けさせて、修理の依頼を受けた。
「通りは人気がなく、どこのお店も閉まっていたので、誰か助けてくれる人はいないかと周りを見ていましたが、その間、サムさんは修理をしてくれただけでなく、燃費の良い運転方法まで教えてくれました」とドンさん。以前サムさんに交換してもらったバッテリーが壊れたため、ドンさんは最近もサムさんの店を訪れてサムさんと昔話をしたが、久々に会ったサムさんの髪はすっかり白髪に変わっていた。
歳をとり、身体も弱ってきたため、サムさんはこの十数年間はあまり修理をすることはなく、主にバッテリーの販売や交換を行っている。今は、不運にも狭い道を走っている時や深夜に車が故障してしまったという場合だけ、修理に応じている。
サムさんは若い時から現在に至るまで、祝日やテトの時でさえ、突然の修理の依頼の電話に備えてめったに化粧もせず、髪も下ろさない。「私はオフィスに出勤する必要もないし、お化粧はいりませんよ」とサムさんは油で汚れた大きな両手を見せながら言い、「男性の手みたいでしょ」と笑った。
「子供の頃を思い出すと、母はいつも車の下に入り込んでいました。今はもう修理はしていませんが、今でも時々、10kgもの重いバッテリーを運ばなければなりません。私も母を手伝いたいのですが、コツがいるからと手伝わせてくれないんです」と、42歳になる次女のホアン・キム・ガンさんは語る。
サムさんの3人の子供たちは、高齢の母親に仕事を辞めてほしいと何度も家族会議を開いてきたが、サムさんは毎年「来年は辞めるから」と言い続けている。サムさんは生涯を通じて続けてきた修理の店を閉じることは望んでいない。「誰かにこのお店を継いでもらいたいのですが、3人の子供たちは誰も継いでくれません」とサムさん。
以前、3人の子供たちは人を雇い、弟子入りをして店を買い取りたいふりをしてもらい、サムさんが自ら引退するように仕組んだことがある。しかし、自分の店を継いでくれる人が現れて大喜びする母親を見て、子供たちは動揺した。「騙されていたことを知った母が悲しみ、怒ることを恐れて、その作戦は中止しました」とガンさんは打ち明けた。父親が亡くなってからは、サムさんに無理やり仕事を辞めさせる理由がますますなくなってしまった。
最近、ガンさんはソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)にサムさんについて投稿した。「母は歳をとって身体も弱くなり、さらに慎重な人なので、他の人よりも作業に時間がかかるでしょう。それでも、ロンビエン区周辺にお住まいで時間がたくさんある方は、ぜひ母のお店に足を運んでみてください。重要なのは、母が自分の好きな仕事をすること、そして悲しみを和らげるために人と会話をすることです」。
昼時、サムさんは初めて店を訪れた客との会話に夢中になっていた。「それで、サムさんはいつになったら2度目の退職をするつもりですか?」と客がたずねると、「歯が全部なくなるまで働くよ。来年には引退しようかね」と笑いながら答えた。「毎年この言葉を聞いていますが、一向に辞める気配はありません!」と、サムさんの隣に座る娘が言うと、親子は一緒に笑った。
[VnExpress 05:05 23/11/2020, A]
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