[特集]
両腕がなくても両足がある、夢を追い大学生になった青年
2020/11/15 05:25 JST更新
(C) vnexpress |
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生まれつき両腕がないホー・フウ・ハインさんは、両足を腕のように使い、健常者と変わらない生活を送っている。ITエンジニアになるという夢を叶えるため大学を受験し、今年9月に東南部地方ドンナイ省のラックホン大学に入学した。
夕方、ハインさんはノートパソコンを閉じ、洗濯が完了したばかりの洗濯機の方向に歩いて行った。そして、つま先を曲げて洗濯機の中の服を取り出すと、椅子に腰掛けながらハンガーに服を通し、物干し竿に掛けていった。
2000年7月の雨の日、ドンナイ省ディンクアン郡ザーカイン村(xa Gia Canh, huyen Dinh Quan)で農業を営んでいる両親の元に、4人きょうだいの2番目としてハインさんが生まれた。誕生時、医師は赤ん坊の両腕がないことに気付くと腕の部分をタオルで包み、母親がショックを受けることを懸念して、はじめに家族に事実を知らせた。そして母親には知らせないまま、授乳のために母親に赤ん坊を抱かせた。
それから数日間、ハインさんの父親と祖母は母親に気付かれないように交代でハインさんの面倒を見続けた。授乳の時間になると母親の元にハインさんを連れて行き、授乳が終わるとハインさんを別の部屋に連れて行った。授乳のたびに、まだ事実を知らない妻の前でハインさんの父親はひどく落ち込んでいた。
「生後2週目の時、赤ん坊の服がお包みからはみ出ていたので、それを直そうとしてお包みを開いたときに、赤ん坊の両腕がないことを知りました。私は気を失い、その後のことは覚えていません」と、45歳になったハインさんの母親のブイ・ティ・ホップさんは回想した。
はじめの1年間は、まだ若かったホップさんは毎日涙を流しながら我が子を見つめた。ハインさんは1歳になる頃、虫のように這う練習を始めた。家族の誰もが、ハインさんは一生横這いのまま過ごしていくのだと考えていた。
3歳になり、ハインさんはようやく歩く練習を始めた。それは、ハインさんが母親からご飯を食べさせてもらうことを拒否した時でもあった。ホップさんがハインさんの顔の前にご飯の乗ったスプーンを差し出すたび、ハインさんは足を出してスプーンを自分で持ちたがり、使い方を習得しようとした。
両腕がなく文字を書くこともできないだろうと、ホップさん夫妻はハインさんを学校に行かせることは考えていなかった。両親が1日中畑に出ている間、ハインさんは兄と一緒に家の周りで遊んでいるだけだった。
5歳の時、ハインさんは近所の子供たちを追いかけて家から1kmほど離れたところにある幼稚園にたどり着き、ドアの外に立って子供たちが勉強する様子を眺めていた。それを見ていた先生は、ハインさんを学校に行かせるよう家族を励ました。
「幼稚園で先生から『Chim Bay Co Bay(鳥が飛ぶ、トキコウが飛ぶ)』の歌を教わり、家に帰ると息子は踊りながら私に披露してくれました。身を乗り出して踊りながら高くジャンプしたので転んでしまい、私は思わず笑いましたが、同時に涙がこぼれました」と母親のホップさんは教えてくれた。
ハインさんが文字を書いたり絵を描いたりすることが好きだとわかり、父親はハインさんに足を使って書くことを教え始めた。しかし、父親がどれだけ頑張っても、ハインさんに足でうまく文字を書かせることはできなかった。
「当時、父は僕の足をきつく握って操り、父の思う通りに文字を書かせようとしていると感じていました」とハインさん。数回の練習の後、父親はハインさんが自分の足でペンを持って文字を書けるようにすることを諦めた。そして、小学校に入る前は誰もハインさんが足の指を操ってペンを持ち、美しい文字が書けるようになるとは考えもしなかった。
小学校に入学する際、母親はハインさんを連れて近所の小学校に行ったが、入学を拒否された。校長は、今までハインさんのような生徒を受け入れたことがないため、障害児向けの学校に入れるよう母親に勧めた。
その時、ハインさんは校長の前で大声で泣いて騒いだが、それでも校長は首を縦には振らなかった。学校に行きたるハインさんのため、ホップさんはもう1度小学校に出向いてお願いし、ようやく同意を得ることができた。ただし、「試しに1年間通ってみてから、その後について検討する」という条件付きだった。
1年目の年度終わりにハインさんは見事優秀な成績を修め、誰もが驚いた。「我が子の表彰状を手にして、夢を見ているのではないかと思いました」とホップさんは当時を思い出す。
小学校に入学する前は家で過ごすしかなかったハインさんには、いろいろな遊びのバリエーションがあった。ある時は首でハンドルを挟み、目線を上にあげて周囲を観察してからペダルを踏むという方法で、両親の目を盗んでこっそりと自転車に乗る練習をした。またある時は、泳ぐ練習をするために池に飛び込み、危うく溺れそうになったところを近所の人に助けてもらった。
4年生になっても、ハインさんはシャワーを浴びた後の着替えに母親の助けが必要だった。腕を使わないと、ズボンを上まで引き上げることができないからだ。しかしある時、シャワー室で腰の高さくらいの位置にある釘の存在に気付いた。ズボンに足を通してからその釘にズボンを引っ掛けてみたところ、自分1人でズボンを履くことに成功した。それ以来、ハインさんは生活において必要なことは全て自分でできるようになった。
また、10歳になると両親の手伝いもするようになった。そして知人からもらったパソコンをよくいじっていたハインさんは、その頃からITエンジニアになるという夢を持つようになった。
中学2年生(日本の中学1年生)になると、ハインさんは他人が「腕もないのに何のために勉強しているのか」という軽蔑的な眼差しで自分を見ていることに気付き始めた。途端に自信をなくし、自暴自棄になって友人と喧嘩することも増え、中学2年生の終わりからは1年間学校を休んだ。しかし、その後再び学校に行くようになり、ITエンジニアになるという夢を叶えるために勉強する決心をした。
ハインさんが通っていたディンクアン高校で3年生の時の担任だったタイン・タム先生は、ハインさんの高校時代についてこう語った。「ハインさんには大きなエネルギーがあります。腕のない彼が他の生徒たちと一緒に高校まで進級するということは、大変な努力が必要です。ハインさんは障害を持つ唯一の生徒でしたが、友人たちとも仲良くなり、大きな自信と活力に満ちた高校生活を送っていました」。
昨年、ハインさんは大学を受験せず、自分で仕事を探して自立したいと両親に申し出た。まずハノイ市で、次にホーチミン市で仕事を探し、いくつかの広告会社に応募して就職先を見つけた。そして、パソコンを使って多くの仕事をこなす中で、ハインさんはITエンジニアになるという幼い頃の夢を思い出した。
「これまで自分が頑張ってきたのは、ITエンジニアになるという夢を叶えるためであり、そのためにはもっと学校で勉強する必要がある」とハインさんは考えるようになった。そして今年の受験の時期に、ハインさんは再び学校に通いたいと両親に申し出た。
母親のホップさんは心から喜び、息子をサポートした。「他のきょうだいは学業が思わしくなくても雇われ労働者として働くことができますが、ハインは勉強を頑張ってこそ、自分自身に合う仕事を見つけることができますから」とホップさんは語る。
9月、ハインさんはドンナイ省ビエンホア市に1人でバスに乗って行き、ラックホン大学の情報技術科に願書を提出した。そして見事に入学を果たし、授業料も全額免除された。友人たちからは「ペンギン」と呼ばれ、親しまれている。
新聞記事でハインさんのことを知ったビエンホア市の麺屋の主人、ラム・キム・フンさん(65歳)は、実家を離れて大学生活を送るハインさんの面倒を見たいと思い、自らハインさんを探し当てた。そしてこのほど、ハインさんはフンさんの自宅に居候するため、大学の寮から住まいを移した。
「ハインの力は知っていますが、この子がどうやって生活しているのか、密かに観察しています。ここに越してきて以来、ハインは誰の手も借りず、何でも1人でこなしていますよ。ブンを食べた後の器を片付ける以外はね。器は重くて滑りやすく、割れるのが怖いから」とフンさんは話す。
ハインさんは、1年間就職していた経験を通じて成長し、自信もついた。まだ入学したばかりだが、プログラミング言語について積極的に調べ、資料を読み漁っている。「すべてが真新しく、心配もありますが全力を尽くします」とハインさんは笑った。
[VnExpress 05:00 13/10/2020, A]
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