VIETJO - ベトナムニュース 印刷する | ウィンドウを閉じる
[特集]

孤児300人の「母」、子供たちの夢と希望を育てる支援

2020/09/27 05:13 JST更新

(C) vnexpress
(C) vnexpress
(C) vnexpress
(C) vnexpress
(C) vnexpress
(C) vnexpress
 ハノイ市在住のブー・ティ・ズンさんは、物を与えるだけでは孤児の将来は何も変わらないと考え、孤児たちが大人になるまでの生活と学業の支援を目的とする「カットボン(Khat Vong=渇望)基金」を設立した。

 今から8年前のある午後、当時36歳だったズンさんは慈善団体と一緒にハノイ市郊外の孤児院を訪問した。1か所に座ったまま悲しげな顔で贈り物を待つ子供たちを見てズンさんは違和感を覚え、「将来、この子たちはどうなってしまうのでしょうか?」と思わず尋ねた。

 帰り道、ズンさんは「このように物を与えるだけのボランティアはもうしません」と慈善団体のメンバーに伝え、「子供たちが他人からの施しを待つのではなく、将来に希望を持てるような手助けをします」と自分の考えを示した。

 そして、孤児たちが18歳になるまで毎月生活費と学費の支援を行うための基金を設立しようと考えた。それから程なくしてズンさんと4人の賛同者によりカットボン基金が設立された。メンバーは基金の運営を維持するため、毎月任意で資金を寄付した。

 設立当初、カットボン基金は懐疑的な目で見られ、ズンさんの家族や友人たちさえこの活動に反対していた。夫に話しても関心を持ってもらえず、ズンさんの母親は「他人のことに手を出しても苦労するだけだ」と彼女を本気で叱責した。

 友人たちの中には、基金への参加を拒んだり、「自分の身内でもないのになぜ面倒を見なければいけないのか」、「多くの孤児は恩知らずで甘やかされていて、きっとろくな大人にならない」などと反論したりする人もいた。数十人を誘ったが、3か月の間に賛同してくれたのはたった2人だった。1人はズンさんのかつての上司で、もう1人はズンさんの娘の教師だ。

 カットボン基金が初めて支援を行ったのは、様々な省の15人の子供たちだった。そのうちの1人が、ビエン・トゥオンさんだ。彼女は北中部地方タインホア省クアンスオン郡(huyen Quang Xuong)の砂丘の上に建てられた面積6m2ほどの茅葺の小屋で、識字能力のない母親と一緒に暮らしていた。

 ズンさんがその小屋を訪れた日、トゥオンさんは客人をもてなすために、割れた部分をナイロンの紐で結んだプラスチックの椅子を用意してくれた。気温40度のベトナム中部の灼熱の中、その家に扇風機はなかった。

 その道中、ズンさんは隣の村で父方の祖母と一緒に暮らしていた3人きょうだいの孤児も受け入れた。祖母と孫たちは家の中で細々と1日を過ごしていた。中学2年生(日本の中学1年生)になる一番上の男の子は人見知りで、父親を亡くしてからはうつ病のような状態だった。末っ子の女の子はまだ赤ん坊だったころに母親を亡くした。見知らぬ人を見つめる彼女の視線と姿は、言葉にできない悲しみと複雑さを秘めていた。

 支援を受ける子供たちは、毎月40万~50万VND(約1800~2300円)程度の学費を受け取り、さらに毎日ズンさんから健康や学校の状況を尋ねる電話をもらっている。高学年の子供たちに対しては、ズンさん自ら時々自宅を訪問し、まるで出張から帰った母親のように宿題を確認し、しっかり勉強するように励ましている。

 カットボン基金が支援する子供たちの数は日に日に増えていったが、最初の2年間はズンさんが1人で山のような仕事を抱えていた。当時のズンさんは別の会社で人事部長を務めていたため、日中は会社の仕事で忙しく、夜になってから子供たちに状況を尋ねる電話をかけ、その後にまた他の問い合わせの電話を受けていた。

 毎日朝6時から夜遅くまで働き、深夜1~2時まで仕事をすることも多かった。49kgあった彼女の体重は43kgまで落ち、疲労から何度か気を失うこともあった。そしてついに、負荷を減らさなければ健康状態の回復は難しい、と医師から警告された。

 2015年7月、ズンさんは当時抱えていた人事部長の仕事とカットボン基金の仕事のうち、どちらか1つを辞めることにした。夫にそのことを打ち明けると、「よく考えろ、衝動的になるんじゃない。ボランティアの仕事は君が思うほど簡単ではないぞ」とだけ言われた。

 基金の費用の大部分はズンさんのポケットマネーから捻出していたため、もし自分が仕事を辞めてしまったら今後の費用をどうするのかという懸念があった。「でも、もし基金の仕事を辞めたら、子供たちはどうなってしまうの?」ズンさんは何日も考え、子供たちの未来は自分の手に託されているのだという信念のもと、カットボン基金を選んだ。

 「人事部長が孤児の世話をするために退職する」という情報は、ズンさんの友人たちの間ですぐに広まった。親友たちは彼女が普通の状態ではないと感じ、会社を辞めるべきではないと忠告した。「皆に私のことをすぐに信用してもらおうとは思っていませんでした。すべての『種子』には粘り強い世話と養育が必要ですから。皆が結果を目にすることができるようになるまで、十分に時間をかけて待つ必要がありました」とズンさんは当時の心情を語った。

 退職後、ズンさんは自分と一緒に愛情が不足してきた子供たちの世話をするボランティアスタッフを募集した。現在までに70人のスタッフが集まり、全員が自発的に活動に参加し、300人近い子供たちに寄り添ってきた。

 ハノイ市在住のダオ・レ・マイ・フオンさんは、カットボン基金の設立当初からのメンバーだ。「ズンさんは痩せっぽちですが、体力がないなんて思ってはいけませんよ。彼女はいつでも愛情のエネルギーに満ち溢れているんですから」とフオンさん。

 また、基金メンバーのグエン・ティ・ジエム・ハインさんは、支援している300人近い子供たちのそれぞれの環境や気質についてズンさんがはっきりと覚えていることが印象的だといい、「私のように基金に参加しているメンバーは皆、彼女を尊敬しています」と教えてくれた。

 カットボン基金の設立から3年が経ったころ、基金の支援を受ける50人の子供たちが集まるサマーキャンプがハノイ市で開催された。これは、ズンさんの夫が初めて孤児たちの幸せと喜びの涙を目の当たりにする機会ともなった。

 子供たちは皆で一緒に歌い、踊り、演じ、愛情を表現した。すべて、支援を受ける前には機会がなかったことだ。「君が選んだ道は正しかったと思う。これからもこの支援を自分の人生の目標にしてほしい」。サマーキャンプが終わった後、ズンさんの夫は彼女にこう伝えた。

 8年間の活動の結果、80人の子供たちが支援を終え、現在は大学に通ったり、適職を得て働いたりしている。タインホア省クアンスオン郡で暮らしていたシャイな女の子、ビエン・トゥオンさんは現在、ハノイ市にあるベトナム外交学院の2年生として頑張っている。また、3人きょうだいの孤児の末っ子のティーさんは、カットボン基金のシェアハウスで共に暮らすメンバーの家族のような空気に包まれ、愛情を受けて、以前よりもはるかに堂々としている。

 ティーさんは初めてのサマーキャンプを終えて自宅に帰ると、ズンさんにメッセージを送った。「ズンさん、私は今まで『お母さん』と誰かに呼びかけたことがありませんでした。ズンさんの愛情をもらってから、私は『お母さん』と呼びたい気持ちでいっぱいになりました。この一度だけ、呼ばせてくださいね」。このメッセージを読み、ズンさんの目から涙が溢れた。それ以来、ティーさんだけでなく、カットボン基金の他の子供たちもズンさんのことを「ズンお母さん」と呼ぶようになった。

 カットボン基金から巣立った子供たちのうち、北中部地方ハティン省出身で視覚障害を持つチャン・ベト・ホアンさんは、ホーチミン市にあるフルブライト大学ベトナム校に合格した。ズンさんは、ホアンさんのことをとても誇りに思っている。

 ホアンさんには父親がおらず、母親は病弱で20年以上も透析を受けている。カットボン基金のことを知る前は、ホアンさんはマッサージの学校に通い、高校卒業後は母親を養うために働きに出るつもりでいた。そんな中、卒業を迎える前の2018年、ズンさんがホアンさんにフルブライト大学ベトナム校への出願を勧めた。しかし、両目に視覚障害を持つ自分にはインターナショナルスクールは過酷すぎるとホアンさんは答えた。

 「出願してみなさい。お母さんがついているから」とズンさんはホアンさんの背中を押し、それからは頻繁に電話をかけて励まし、時間があれば自宅を訪ねて話をし、ホアンさんの将来を導いた。ホアンさんが高校を卒業すると、ハノイ市に連れて行き、英語を勉強させた。それだけでなく、ズンさんは大学に手紙を書き、ホアンさんがいかに優秀な人物であるかをアピールした。

 “私が手紙を書いた理由は、彼が謙虚でエネルギーに満ちた特別な人間であると同時に、自分を優先することを望まない人間だということを知っているからです。これは、彼の愛する人々から聞いた話に過ぎませんが……”と、ズンさんは手紙の中でホアンさんが視覚障害を持ちながらも学業での困難を乗り越えてきた過程や、常に優秀な成績を収めていること、そして視覚障害のない友人たちと登山をした時にも諦めずに山頂までたどり着いたことなどを紹介した。

 2019年3月のある早朝3時、ホアンさんはフルブライト大学ベトナム校で4年間学ぶための学費22億VND(約1000万円)の援助を含む入学許可書を受け取った。ホアンさんは朝4時まで待ってから「お母さん、受かりました!」とズンさんに電話で報告した。

 視覚障害を持つホアンさんの合格の結果は、カットボン基金の子供たちにさらなる希望をもたらした。自分と両親も視覚障害を持っているある子供は、ズンさんに手紙を書き、「どんな障壁も乗り越え、成功するために頑張ります。そうできると信じています。お母さん、私に夢を見るチャンスを、そして自分自身を信じる機会を与えてくれてありがとう」と希望に満ちた思いを伝えた。

 ホアンさんの合格の後、2020年度にもカットボン基金から再び22億VND(約1000万円)の援助を含むフルブライト大学ベトナム校の合格者が出た。また、ロシアの奨学金を獲得した子供もいる。こうした功績から、ズンさんは孤児の子供でもケアを受けることで、より高く、より遠くへ飛んで行けるのだという希望を持つことができた。

 300人近い子供たちの「母」であるズンさんは、幸せそうに笑いながら言う。「花の香りは自ら漂い、自力で広がっていきます。カットボン基金の精神もまた同じなのです」。 

[VnExpress 05:05 03/09/2020, A]
© Viet-jo.com 2002-2024 All Rights Reserved.


このサイトにおける情報やその他のデータは、あくまでも利用者の私的利用のみのために提供されているものであって、取引など商用目的のために提供されているものではありません。弊サイトは、こうした情報やデータの誤謬や遅延、或いは、こうした情報やデータに依拠してなされた如何なる行為についても、何らの責任も負うものではありません。

印刷する | ウィンドウを閉じる