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[特集]

視覚障がい者の音楽バンド「ナンモイ(新しい光)」、それぞれの夢

2020/09/13 05:50 JST更新

(C) vnexpress
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(C) vnexpress(動画スクリーンショット)
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 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響によりハノイ市で社会的隔離措置が適用された今年4月、視覚障がい者による音楽バンド「ナンモイ(Nang Moi=新しい光)」のメンバーは演奏活動ができなくなり、自宅で電話営業の仕事をしてしのいだ。

 8月の暑い昼下がり、ナンモイのメンバーはタイ湖に面したカフェでフェイスブック(Facebook)のライブ配信をしながら、練習に没頭していた。店内が突然停電しても誰も気付かず、ドゥック・ティエンさんの両手は止まることなくキーボードを弾き続け、ホアン・チュンさんは無邪気にドラムを叩き続けた。

 メンバー内で最初に停電に気付いたのはタオ・スアンさんだった。ライブ配信の視聴者が「どうして電気が消えたんだろう。きっと停電したんだ」とコメントで知らせたのだ。部屋は徐々に暑くなったが、彼らは気にせず演奏を続けた。

 ナンモイのメンバーは生まれつき視覚障がいを持っている。生まれてからずっと暗闇の中で暮らしている彼らにとって、毎日の生活に不便を感じることは何もないという。唯一不便なのは、演奏中に楽譜を見ることができないため、すべてのメロディーを覚えておかなければいけないことだ。しかし、そのおかげで彼らの音楽はよりスムーズに、感情表現豊かなものになっている。

 スアンさんは唯一の女性メンバーで、時々手に切り傷や火傷を負うこともあるが、料理が上手だ。ティエンさんとチュンさんと一緒にハノイ市ロンビエン区の一軒家に住み、スアンさんが料理を担当している。

 「市場への道順は頭の中に入っています。市場に着いたら、1か所に立っていれば必要な商品は各売り場の人たちが持ってきてくれます。私の得意料理はウズラの卵の揚げ物とミートボール。春巻きも作れますし、家族に送ったりもしますよ」とスアンさんは熱心に語った。

 ナンモイは2016年に視覚障がいを持つ教師のチャン・ビン・ミンさんによって設立され、現在は11歳から27歳までの10人のメンバーで構成されている。その中で、スアンさん、ティエンさん、クアン・フイさん、チュンさんが主要メンバーだ。それぞれの生い立ちは異なるが、皆が音楽に情熱を持っている。

 スアンさんは明るい笑顔でダンチャイン(dan tranh=日本の筝に似たベトナムの民族楽器)を演奏しながら、メインボーカルを担当している。彼女には視覚障がいのない双子の姉がいるが、スアンさんが自分の運命を恨んだことは一度もない。

 スアンさんは社交的でよく笑い、多くの20代の女性と同じようなことが好きで、メイク道具も一式持っている。ステージに立つときはいつも人に頼んで化粧をしてもらっている。将来は外国語大学に合格し、教員になって両親を安心させたいという夢があるが、音楽に対する情熱も抱いている。スアンさんは民謡からポピュラーミュージック、ボレロ(ベトナムで1975年以前に流行した歌曲)に至るまで、様々なジャンルの楽曲を歌うことができる。

 長身のティエンさんは、バンドリーダーを務めている。彼の母親は、妊娠中に井戸の近くで足を滑らせたことでティエンさんが早産でしかも視覚障がいを持って生まれてきたのだ、といつも自分自身を責めていた。一方でティエンさんは母親と父方の祖父に励まされ、小さなころから音楽の才能を発揮していた。7歳からグエンディエンチエウ学校の寄宿舎に入り、早くから自立していたため、20歳にしては落ち着いた外見や話し方をしている。

 ティエンさんは現在、ベトナム国立音楽院(VNAM)の竹笛(サオチュック=sao truc)科で学んでいる。専攻は民族楽器だが、キーボード演奏と編曲もできる。ティエンさんは、同じく視覚障がいを持ちながらも音楽家として活躍しているグエン・タイン・ビンさんに憧れており、ビンさんのような音楽家になりたいという夢がある。

 「私は真っ暗な人生に悲しみ、行き詰まったこともありますが、音楽が私と家族に喜びと温もりを運んでくれました。先の道のりは長いですが、情熱を追求していれば、遅かれ早かれきっと成功が訪れるだろうと信じています」とティエンさんは語る。

 フイさんは小柄で口数が少ない。ギターの演奏ができて歌も歌え、2016年には「ベトナムズゴットタレント(Vietnam’s Got Talent)」というテレビ番組に出演したこともある。フイさんの母親は、5年前に息子の演奏を初めて見て、感動の涙を堪えることができなかったという。「音楽と出会ってから、息子の悲しみは減り、喜びが増えました。以前は1人で座ってふさぎ込み、物憂げに考え事をしていることが多かったんです」とフイさんの母親は話す。

 チュンさんは1993年生まれの最年長だ。北部紅河デルタ地方バクニン省生まれのチュンさんは、幼いころから母親に民謡を教わっていた。チュンさんはハノイ市を離れて1年近く故郷のバクニンで暮らしていたが、音楽の仕事が忘れられず、またハノイ市に戻ってきた。チュンさんには故郷に恋人がいて、彼女もまた視覚障がいがあり、そして音楽好きだ。

 キーボード担当のタイ・ドゥックさんは、自身のことを「ナンモイプラス」や「不定期メンバー」と呼んでいる。というのも、彼は普段は北部紅河デルタ地方ハイフォン市に住んでいて、ライブの時だけバスでハノイ市まで移動し、演奏に参加しているのだ。ドゥックさんはユーモアのある性格で、自分のことを「キーボードの気取ったドゥック」とも呼んでいる。

 ナンモイのメンバーは収入については明言していないが、フイさんによると、演奏の仕事と学校で音楽を教える仕事の収入で安定して生活することができ、近々予定している結婚に向けた資金の貯蓄もできているという。

 ナンモイのメンバーにとって、今年の4月が最も辛い時期となった。新型コロナウイルス感染症の影響によりハノイ市で社会的隔離措置が適用され、バンドの演奏活動ができなくなったため、貯金を取り崩して生活しなければならなくなった。メンバーはベトナム盲人協会の案内に従い、電話営業の仕事をしてしのいだ。

 「私たちのようなアーティストにとって、このような仕事はとても退屈でした。でも生活のために、受け入れるしかありませんでした」とチュンさん。ライブができない間、バンドのメンバーは自宅で楽器の演奏や歌の練習をし、気を紛らわせていた。

 同世代の若者と同じように、メンバーもスマートフォンでフェイスブックを使っている。彼らはグーグル(Google)が開発した視覚障がい者向けのスクリーンリーダーアプリケーション「グーグルトークバック(Google TalkBack)」を利用している。

 実家から離れて暮らす彼らにとって、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)は親しい人たちとつながったり、また新しい友人を作ったりする一助となっている。メンバーはいつも、楽しく演奏している動画や写真をSNSにアップしている。

 バンド練習の最後に記念撮影をしようというとき、「みんな、カメラをまっすぐに見て!」とドゥックさんが大きな声で呼びかけ、皆の笑いを誘った。スアンさんはSNSにアップする写真を撮影するため、撮ってくれる人にスマホを渡した。

 スアンさんの個人ページのプロフィール写真は、薄く化粧をして白いアオザイを着たスアンさんが、緑の木々を背にして扉のそばに立っている写真だ。そこには、スアンさんとバンドメンバーたちのエネルギーの源のように、澄み切った穏やかな表情が映し出されている。 

[VnExpress 07:47 05/08/2020, A]
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