[特集]
「Made in Vietnam」のチョコレートに第2の人生を捧げる越僑男性
2020/08/09 05:07 JST更新
(C) vnexpress |
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「サミー(Samy)」ことブイ・デュラスサミー(Bui Durassamy)さん(男性・70歳)は、40年以上暮らしたカナダから単身でベトナムに帰り、ベトナムのカカオの木を救い、ベトナム人皆が「Made in Vietnam」のチョコレートを食べるようになるという夢を抱いている。
サミーさんは、カナダにいる間は自動車しか運転しなかったが、今は自らバイクを運転し、30km近い道のりを走って南部メコンデルタ地方ティエンザン省のチョガオ郡チョガオ町(thi tran Cho Gao, huyen Cho Gao)から自宅のあるチャウタイン郡ロンディン村(xa Long Dinh, huyen Chau Thanh)まで大量のカカオを運んでいる。
サミーさんはベトナムとインドのハーフで、ベトナムのサイゴン(現在のホーチミン市)で生まれ育った。24歳のとき、家族とともに米国に移住。その後は起業して、カナダのバンクーバーで4000人の従業員を抱える機械メーカーのオーナーとなった。
今から5年前、サミーさんが65歳のとき、3人の子供たちの誰もサミーさんの後を継がなかったため、会社を売却することを決めた。そして手持ちのお金をすべて持って単身でベトナムに帰り、土地を買って家を建てた。
「母と一緒に米国行きの飛行機に乗った日、母は一歩を踏み出すたびに頭を下げ、故郷に別れを告げているように見えました。その光景はいつも私に自分の生まれ故郷がどこかということを思い出させます。母は亡くなる日まで、ベトナムへの恩返しに何か私にできることをしてほしいと願っていました」とサミーさんは語る。
ベトナムを観光しているとき、サミーさんはたまたま農民が実のついたカカオの木を切っているところに出くわした。不思議に思ってたずねてみると、ティエンザン省は10年前に地元住民に対してカカオの栽培を支援していたことがわかった。
しかし、3年近く経ってカカオの実を収穫できるようになったが、安定した供給先が見つからず、人々はカカオの木を切って代わりに別のものを植えるようになったということだった。
チャウタイン郡に暮らすグエン・ズンさんは当時を振り返ってこう話した。「2012年、私の家のカカオの木は収穫期に入りました。木も立派で、実も大きかったのですが、実1kgあたりの価格が1000VND(約4.6円)少々とわずかだったので、動揺しました」。
農民の話を聞いて、サミーさんは悩んだ。「どうしてベトナム人は良質なカカオの木を育てることができるのに、フランスや米国、ベルギーなどから輸入したチョコレートを買うのだろうか。それによってチョコレートは高級品となってしまい、貧しい人が食べることができなくなっているのではないか」。
そのときサミーさんはふと、若いころにチョコレート作りの夜間コースに参加していたことを思い出した。「私はこれまでたくさんの機械に触れてきたので、今度は何か違う経験をしてみたいと思っていました。チョコレート作りのコースを終えて、チョコレートを作ることができるようになりましたが、そのときはそれまででした」。縁を感じ、サミーさんはチョコレートこそ母親の故郷であるベトナムへの恩返しになると考えた。
ベトナムではチョコレートを製造する機械が販売されていなかったため、サミーさんの最初の仕事は自分の知識を利用して機械を作ることだった。もともと機械技術者だったことから、カカオの実の皮を剥いたり、実を砕いたりするための機械の設計図を描き始めた。
それから3D図面を作成すると、実際に作ってもらうために地元の機械工を訪ねてまわった。しかし、多くの機械工が無理だと断ったり、サミーさんの要求に沿って作ることができなかったりして、機械が完成するまでに2年近くを要した。「当時、私は機械工と寝食を共にし、私の思う通りの機械ができるよう、製作を監督し指導していました」。
工場は広さ200m2ほどで、10人近くの工員が働いていた。機械はカカオペーストと牛乳やカカオバターなどの他の原料を粉砕して混ぜ合わせる役目がある。「この工程で、完成したチョコレートの良し悪しが決まります。少なくとも、チョコレートを口に入れたときに少しもかたまりが残らず、溶けなければなりません」とサミーさん。
粉砕機は一部に石を使っており、これを作るために北部紅河デルタ地方ニンビン省で石工を見つけ、同意を得るまでに1年近くかかった。「熟練した石工は美しい製品を作ることができますが、機械の細部に合わせて石を加工できる石工はほとんどいません」とサミーさんは説明した。
しかし、初めて機械に材料を入れてみると、モーターの回転速度が速すぎてカカオがすべて外に飛び散ってしまった。そのため、サミーさんは自ら工具を使って調整しなければならなかった。
近所に住むグエン・ティ・ミー・ズンさんは、当時を振り返り、「サミーさんが機械に向き合いながら、ハンマーを強く叩いて『なぜだ、なぜだ』とぼやいていたこともあります。そしてハンマーを庭に投げて大声で叫んでいましたよ」と語る。
「いつまでたっても機械の不調の原因がわからずいらいらしていたときのことですね。でもそれは一時だけで、切られたカカオの木のことを思い出し、また機械の修理に戻りました」と、かつてボーイング(Boeing)の航空機向けの部品工場で工場長をしていたこともあるサミーさんは語った。
先のズンさん一家も、以前は庭におよそ50本のカカオの木を植えていた。収穫したカカオの実は郡内のカカオパウダーの製造会社や小規模なキャンディ工場に売っていたが、1kgあたりの価格は2000VND(約9.2円)にも満たなかった。
サミーさんが工場を開いて以来、ズンさんはサミーさんに良質なカカオ豆の発酵方法を教えてもらい、多くの地元の人々からもカカオの実を購入し、発酵・乾燥させてサミーさんに市場価格よりも高く買ってもらっている。「サミーさんはこの地域のカカオの木を生き返らせたんです」とズンさん。
2017年初め、機械の順調な稼働と、30年以上も前のチョコレート作り教室の講義の知識から、ついにチョコレートの第1号が誕生した。サミーさんはまず、できたてのチョコレートをカカオ生産者たちに配った。ズンさんは「自分の家で育てたカカオの木から作られた美味しいチョコレートを食べられる日がくるなんて思ってもみませんでした」と話す。
最初のチョコレートはまだ完璧ではなかったが、サミーさんは多くの人に意見を聞いてフィードバックをもらった。そして、チョコレートと抹茶の粉やイチゴの粉を組み合わせたり、チョコレートにフィリングを入れたり、様々な製品を作ろうと研究を重ねた。
「チョコレート作りは料理をするようなもので、今日うまくできなかったら明日また作り、これを足してみたりあれを減らしてみたりと試行錯誤です」とサミーさんは例えて言った。サミーさんは妻であるキミー(Kimmy)さんへの感謝を込めて、自分の「Made in Vietnam」のチョコレートブランドに、「キミーズチョコレート(Kimmy’s Chocolate)」と名付けた。
しかし、ここ1年ほどは脳梗塞の影響で歩行が難しくなり、全国の見本市や展示会に出向いて製品をPRする体力もなくなってしまっているが、自身のレシピと経験は工場の工員たちに伝えてあるという。カナダにいる妻や子供たちのこともとても恋しいが、ここ1年近く会えていない。
様々な流通チャネルを通じて製品を販売するほかにも、サミーさんは国内外の観光客が工場を見学できるようにしている。「外国人観光客がベトナムを訪れて、ベトナム産のチョコレートを買ってお土産にするんです」と、サミーさんは希望に満ちた声で語った。
[VnExpress 05:03 29/07/2020, A]
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