VIETJO - ベトナムニュース 印刷する | ウィンドウを閉じる
[特集]

「君たちは、もっとできる」ベトナム女子サッカー井尻明監督インタビュー

2020/03/15 06:00 JST更新

(C) Miwa.A
(C) Miwa.A
small>(※本記事はVIETJOベトナムニュースのオリジナル記事です。)

ベトナム女子サッカー代表テクニカルアドバイザー
/U15・U16・U19代表監督、井尻明氏
「ベトナム国旗を背負う少女たちに、サッカーの楽しさと笑顔を」



2011年3月11日

 「人工芝のピッチは波打ち、頭上を取り囲む巨大なネットの支柱はグワングワンと音を立ててしなっていました。すぐに選手全員をセンターサークルに座らせました。高台にあったJヴィレッジ(日本のサッカーのナショナルトレーニングセンター)からは津波も見え、火力発電所の煙突の煙の色は白から黒に変わり、大音量のアラームが響き渡っていました。その翌日には原発事故による避難命令が出て、中学生、高校生の選手たちを率いて避難所を目指すのですが、がれきで塞がれた道も多く、どこも大渋滞でした。やっとたどり着いても、いっぱいだと断られ、3か所まわりました。50人の大所帯でしたから無理もないことでした」。

 東日本大震災が日本を襲った9年前のあの日、井尻明さんは、福島県双葉町のJヴィレッジのピッチでU18日本代表選手たちを指導していた。


ハノイのベトナムサッカー連盟本部入口


ベトナム女子サッカー

 ハノイ市のミーディン国立サッカースタジアムのすぐ近くに、ベトナムサッカー連盟本部がある。ベトナム全国からスカウトされてきた少女約40人(U16(16歳以下)とU15(15歳以下))の選手たちが、敷地内の寄宿舎から学校に通い、毎日サッカーの指導を受けている。井尻さんは、ベトナム女子サッカー代表チームのテクニカルアドバイザー 兼 U15・U16・U19女子代表チームの監督として、2019年春にハノイへ赴任。選手たち同様、敷地内の宿舎に単身暮らし、女子チーム全ての指導を任されている。

 ベトナムサッカー連盟の練習ピッチでお話を伺った。


―――サッカー人気は熱狂的ともいえるベトナムですが、なぜ女子サッカーの監督を。

ベトナム男子サッカーは評判も人気も高いですが、女子については、日本では情報入手さえ困難でした。プロの指導者は、国籍、性別、年齢、レベル等にとらわれず、どんな条件や状況でも教えられるべきだと考えています。なので、これはやりがいあるミッションだと思い、日本サッカー協会の公募に申し込みました。

―――実際にベトナムに来てからの驚きはありましたか。

まず、ビルの立ち並ぶ街並みや建設現場の多さに驚きました。急成長の真最中ということが肌で感じられました。人々の親日的な反応も嬉しい驚きで、“ベトナムから見る日本”を改めて発見しました。

仕事に関していえば、女子がサッカーを始める年齢の遅さには驚かされました。

―――遅いのですか。

ベトナムでは、女の子は12~13歳まで外では遊ばせない。習い事はピアノやダンスで、屋外での球技は基本的にNGだそうです。“女子は女子らしく”という考え方がまだあり、ケガや日焼けは避けたいらしいのです。つまり、彼女たちがサッカーボールに触れるのは、早くて14~15歳から、になる。スポーツの世界では、10、11、12歳をゴールデンエイジと考えます。この年齢で体得する運動感覚が、後の運動能力のベースになります。例えば空間でボールをキャッチするときのタイミング、バランス、様々な運動の感覚は、この時期ならすぐに習得され、身体はそれを記憶します。その年齢期に運動をしていないことは、残念です。ここのU15の代表選手たちの中には、サッカーを始めたばかりの子も多いです。



U15代表選手たち

―――日本人とベトナム人選手の違いは。

指示に対しての取り組み方がとても真面目です。指導者の指示は絶対で、選手たちは真剣にやる。ただ、それが行き過ぎるといつでも指示を待っていることにもなり、自分で判断して自己責任で行動する“個の力”が出づらい。日本でもまだこういう傾向はありますね。

もう一点は、あきらめの早さです。例えば試合で負けている時、僅差やライバル国なら頑張るのですが、大きな点差があったり、強豪相手となると“もう無理だな”とすっかりあきらめてしまう。何とかひっくり返そうとがむしゃらになれない。選手だけでなく、コーチや監督もです。ここは、私は変わってほしいと強く思っています。

―――確かに、日常生活でもその傾向はあるように思います。

この国の戦争経験の影響もあるかもしれません。しかし、私は、今の世代については、あきらめる要因はないと思っています。やり方を変えれば、もっともっと強くなれる。東南アジアリーグだけでなく、アジアリーグでも結果を残せると考えています。これは精神論や根性論ではなく、論理的に可能だと言っているのです。

例えば、「ベトナム人は華奢で体力がないから試合後半でスタミナが持たない、それは仕方ない」というような説明をよく受けるので、私はデータをとって分析しました。日本人選手と比べても、体力そのものにそれほどの差はない。試合中の動きや走り方を変えれば、相当もたせることができるはずです。やり方次第で、多くのことが変わっていくはずなのです。



自ら見本を示し、選手と一緒にピッチを走りながら教える


―――とはいえ、井尻監督は、ベトナム女子サッカー界において、現在たった一人の外国人指導者で、選手もコーチも監督も全員ベトナム人ですよね。

ベトナム人の優しさのようなものもあって、意見を言うと“そうですね、わかります”となり、反論がなく討論にならない。彼らのモチベーションを上げ、練習方法の改革を実践していくには、“一人対全員”の状況は、確かに簡単ではないです。

―――なかなか厳しい“完全アウェー”ですが、ストレスであきらめたくなることはないですか。

私はストレスフリーですよ。まず、“自分や日本の常識はベトナムの非常識”と受け入れる(笑)。自分の理想と現状のギャップに固執しない。1年経ち、だんだんとわかってきました。なぜ、どうして、は鈍感力でカバーしようと。この状況において出来ることは何かにフォーカスする。実際、疑問や気づきは多々あります。でもそのエネルギーを自分が今日出来ることを確実にやる、ということに向ける。自分がストレスを抱えていて、状況が良くなっていくことはないですから。

―――サッカーの何が、生涯をかけるほどの魅力なのですか。

サッカーは手でなく足でやるスポーツで、思うようにボールを扱うのは難しい。だからうまくできると単純に嬉しい。また、仲間とパスをつなげてチームでやり遂げる喜びもあります。そして、自由さ。サッカーは監督のサインに従ってではなく、選手個々の判断で動く。自分で決めて自分が動き、自分が責任を持つ。その場、その瞬間、選手は絶対的に自由なんです。サッカーはユニバーサルなスポーツで、それを軸に知らない世界に出会えます。私が指導する子たちには、生涯サッカーを好きでいてほしいなと願っています。プロになってもならなくても、サッカーが、一人一人の人生の中の“楽しいこと”の一つになってほしいと思っています。





U15代表選手たち

 U15の選手たちの多くは、地方からハノイへ来たばかりの中学生の少女たちだ。皆が恵まれた家庭の出身ではない。女子サッカーはこれから、のこの国で、彼女たちはどんな思いでここに来たのだろう。数年前まで、国旗を背負いサッカーで生きていくことなど、想像さえしていなかった彼女たちの心の中は、代表候補に選ばれた喜びや誇りより、不安でいっぱいなのではないだろうか。女子にとってサッカーとは何なのか、将来プロになれるのか、ダメだったらどうなるのか。まだ子供らしい面影の残る選手たちは、家族や友達と遠く離れ、そうした様々な思いを胸に抱きながら、懸命にボールを追っている。

 井尻監督は、一流アスリート独特の強いオーラがありながら、とても明るく温かい。指導にも、集中した緊張感の中に愛情があふれていた。

 練習が始まると、大きな声を出して、選手たち一人一人に近寄り、細かな体の動きなど、自らどんどん動いて見本を見せる。選手が失敗すると、「何――今のはーーー!」と大きなジェスチャーで残念がり、教えたことをうまくできた選手には、「ナイス、ナイス!すごいぞーー!」と、大きな笑顔で褒める。






 おそらくこれまで人前であまり感情を表現してこなかった選手たちも、思わず笑ったり、悔しそうな表情を見せて再びボールに向かって行く。“サッカーは楽しい”“うまくなりたい”という純粋な思いが、ピッチから伝わってくる。

 “代表選手”というユニフォームの下にある少女たちの心細さや不安な思いを、井尻監督は、人として、温かく受け止めているように見えた。だからこそ、まずはサッカーを好きになってもらう。そこから一人一人の“あきらめの壁”を越えさせようとしている。

 “君たちは、もっとできる”と、心の声を枯らしながら、井尻監督自身も一人、全力で、闘っている。

【Text & Photo by Miwa ARAI(ライター)】






【Information】
ベトナム女子サッカー代表チームの今後の試合予定
U18:2020年6月27日から7月17日まで
U15:2020年9月
AFF(ASEANサッカー連盟)大会 インドネシアにて

ベトナムサッカー連盟公式サイト
http://en.vff.org.vn/


――――――――――

井尻明監督プロフィール


1970年8月生まれ 福島県出身
奥様と二人のお嬢さんを日本に残し、単身ハノイ赴任中

【サッカー歴】
1986~1989年    船橋市立船橋高等学校 センターバック 高校総体優勝、高校サッカー選手権準優勝、大会優秀選手に選出。日本ユース代表としてアジアユース最終予選に出場
1989~1993年    駒澤大学
1993~1995年    京都パープルサンガ(現・京都サンガF.C.)
1995~2002年    FC京都BAMB1993(JFL)

【指導歴】
1995~2000年    京都紫光サッカークラブ(ジュニア・女子監督)
2001~2003年    FC京都BAMB1993(JFLコーチ)
2004~2008年    宇治FC(U15監督)/京都府立城陽高等学校(コーチ)
2009~2014年    JFAアカデミー福島(U13監督・U18B監督)
2015年    清水エスパルスSS駿東U13監督
2016年    中国広州富力足球倶楽部(U15監督)
2017~2018年    AC長野パルセイロ
(アカデミーダイレクター・U13監督・U18監督)
2019年~    ベトナムU-15・U-16・U-19女子代表監督およびベトナム女子代表テクニカルアドバイザー


【追記】
 「東日本大震災の被災経験の中で、何が心に残りましたか」と伺うと、しばらく考えた後に、「感謝の気持ちです」と答えられた。「Jヴィレッジではもう練習できなくなった私たちアカデミー福島のチーム全員を、御殿場のサッカー施設が受け入れてくれたことです。まだ日本中が震災後の混乱の中にあった4月1日に、建物とグラウンドを丸ごと用意してくれました。人は人を助けてくれるのだと、心を打たれました」。
 

[]
© Viet-jo.com 2002-2024 All Rights Reserved.


このサイトにおける情報やその他のデータは、あくまでも利用者の私的利用のみのために提供されているものであって、取引など商用目的のために提供されているものではありません。弊サイトは、こうした情報やデータの誤謬や遅延、或いは、こうした情報やデータに依拠してなされた如何なる行為についても、何らの責任も負うものではありません。

印刷する | ウィンドウを閉じる