[特集]
口で絵を描く枯葉剤被害者の青年「人生は自分の手の中にある」
2019/12/08 05:09 JST更新
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不可能なことなど何もない。生まれつき身体に障害を持つレ・ミン・チャウさん(男性・28歳)は、口で筆を操りながら絵を描き、画家になるという夢を決してあきらめなかった。
ある日の19時、ホーチミン市2区の小さな屋根裏部屋で、チャウさんは4人の生徒たちが描く絵を注意深く見つめていた。彼は口で筆を操り、色をつけ、12歳から15歳までの子供たちに美術を指南している。
チャウさんの絵画教室はとても小さく、机と椅子も少ない。彼は先生から絵画の基礎を学んだだけで、ほとんど独学で絵を描いてきたが、それでも多くの生徒たちを魅了している。
チャウさんの半生を記録した短編映画「Chau, Beyond the Lines」(2015年) が、2015年のアカデミー短編ドキュメンタリー映画賞にノミネートされると、困難の多かった彼の人生に変化が訪れた。
「絵画教室を開いたことで、絵を描くことへの情熱を持ち続けることができ、また若者たちの才能を引き出し、夢や成功を追い続ける人々を励ますことに繋がっています」とチャウさん。
入門レッスンから指導した中学生のうち4人は、英国、フランス、オーストラリア、ベルギーで絵画の奨学金を獲得した。「毎日、生徒たちが熱心に描く線や色使いを見つめていると、寝食を忘れて夢中で絵を描いていた20年前の自分を思い出します」とチャウさんは教えてくれた。
チャウさんは枯葉剤「エージェントオレンジ」の被害者で、生まれつき手と足が小さい。手を使ってものを掴んだり握ったりすることができず、また足で歩くことができないため、膝を使って移動しなければならない。このような状況のため、両親はチャウさんをホーチミン市ツーズー病院の平和村に預けた。
「もし平和村で先生に絵を描くことを教えてもらっていなかったら、恐らく私の人生はずっと悲しみに沈み、身体に障害があることで劣等感に駆られ、何度も死を求めていたでしょう」とチャウさんは回想する。
その女性の先生は次から次へと熱心に絵を描いた。少年だったチャウさんは静かに先生の後ろに立ち、彼女の筆の動きから目を離さなかった。それはチャウさんの退屈で寂しい人生の中で初めて触れる、生き生きとした鮮やかな色彩だった。
チャウさんが基本的な線の描き方と色使いを習得した頃、先生が海外に行くことになり、絵画クラスは終了してしまった。教えてくれる先生がいなくなり、チャウさんは独学で絵のレイアウトを学び、本や雑誌、絵などから色の配合を勉強した。しかし、チャウさんの夢を消しかねない、最大の障壁は、痙攣する腕を自身でコントロールできないことだった。そのため、1枚の絵を描き上げるのに約6時間を費やした。
画家になることを夢見ていた当時9歳のチャウさんは、平和村で友達に笑われ、先生たちに不可能な夢だと絵筆を没収されても諦めることはなかった。創造への意欲はさらに強くなり、「身体に障害があっても才能に制限はない」ことを証明するため、チャウさんは努力を続けた。
「ある時、障害者が口で絵を描いている写真を偶然目にして、なぜ自分は彼女のようにしなかったのかと突然閃きました。自分の容姿を自分で選ぶことはできませんが、自分の人生は自分の手の中にあるんです」。
絵を描く中で、アクシデントも起きる。口の中で折れた筆が顎に刺さって流血したり、インクを飲み込んでしまったりすることもよくある。数え切れないほど筆を壊しては交換してきた。そして3年近く練習し、チャウさんは口を使って筆を思いのままに動かして絵が描けるようになった。
「もし普通の人が1努力するなら、私はその2倍、3倍、10倍だって努力します。忍耐力により自分自身の限界を越えることができ、不可能を可能にすることができるんです」とチャウさん。
チャウさんは17歳で平和村を出て、苦労しながらも口で絵を描くことで生計を立て、自分のアトリエを持つという夢を育てた。
そして20歳の時、初めてホーチミン市7区に自分のアトリエを開き、創造できる喜びに感激した。「創造性は画家にとって最も重要な要素です。私は決して誰かのアイデアを真似しません。それが違いを生み出すための秘訣なんです」とチャウさんは教えてくれた。
チャウさんは良いアイデアが浮かぶと一晩中起きて絵を描き、アイデアが浮かばなくなると寝た。10分で描き終わった絵もあれば、1年がかりで完成させた作品もある。 毎日20時間以上、夢中で絵を描き、デザインを考え、外国語も学んだ。身体に良くないとはわかっていても、絵を描くことへの情熱を止めることはできなかった。そして、この20年間にチャウさんが描いた絵はおよそ2000枚に上る。
チャウさんは逆境を乗り越えて自分の計画を実現し、恵まれない人々に希望の光を与え 、社会にも貢献している。こうした取り組みによってチャウさんは特別な存在となり、地場大手飲料メーカーのタンヒエップファット社(Tan Hiep Phat)の副社長であるチャン・ウエン・フオン氏の目に留まった。あるプログラムでチャウさんのアトリエを訪れた際、フオン副社長はチャウさんが作り出す鮮やかな色使いに魅了された。
フオン副社長は、チャウさんの苦難の人生が「暗い色」だったとすると、逆に彼の作品は彼の楽観的で充実した生き方を体現するように鮮やかな色遣いで描かれているのだと話す。チャウさんは20年間にわたり芸術に専念し、様々な素材を組み合わせて個性的な作品を生み出してきた。ルールを壊し、不可能だと思われていた限界を超えたのだ。
2018年にフォーブスブックス(ForbesBooks)より出版されたフオン副社長の著書「Competing With Giants」にも、同様の内容が書かれている。大きな夢を持ち、夢を叶えるために毎日行動するということが大切なのだ、と。この著書の中でフオン副社長は、ベトナムの民間企業が「不可能を可能にする」という話、そしてタンヒエップファット社を100年続くベトナムのブランドにする、という野望を書いている。
チャウさんは、何もないところから自分で生計を立て、自分でカフェを立ち上げ、アイデアを探す旅にも行くようになった。また、助けを必要とする人々がたくさんいることに気づいてからは、慈善活動の資金を集めるために作品を競売にかけている。
枯葉剤の被害者として、チャウさんは同じような境遇の人々の痛みや、社会の中での劣等感が理解できる。そんなチャウさんは、2016年に米国ニューヨークの国連本部で開催された第9回障害者権利条約締結国会合にも参加した。
この5年近くの間に、チャウさんは米国、カナダ、フランス、日本で行われた国際展覧会に100点以上の絵画を展示してきた。出展した作品はすぐに完売し、その売上金は慈善基金に寄付している。彼は米国にアトリエを開く予定で、作品を世界に広げ、いつの日か米国の博物館に自分の作品が展示されることを夢見ている。
チャウさんは夢を叶えるためにたゆまぬ努力をし、人生に美しい物語を描き続けている。
[VnExpress 14:00 04/10/2019, A]
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