[特集]
国境を越えてイタリア貴族に嫁いだベトナム人女性建築家
2019/11/10 05:11 JST更新
(C) vnexpress |
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初めての顔合わせの際、「ようやくこの有名な女性に会うことができた!」と恋人の父親に言われ、トー・ガーさんは驚いた。彼の両親は気難しいと聞いていたからだ。
ハノイ建築大学の講師を務めていた建築家のダン・トー・ガーさんは、イタリアで研究を行うため2年前に休職した。現在は7歳年上の建築家の夫と、15歳になる娘と一緒にイタリアのトリノに住んでいる。
ガーさんによると、夫の家族はイタリア貴族の子孫で、先祖は伯爵に当たる。現在のイタリアには君主制はもう存在しないが、家庭内での貴族としての行儀作法や習慣は依然として残っている。富や贅沢さではなく、「貴族の精神」が受け継がれているのだ。
家の中では、子供は祖父母や両親に対して常に礼儀を持って接し、現代のイタリアの他の家庭に見られるような自由さはない。食事は家族全員が集まる時間で、そこにいる全員が家族のルールに従わなければいけない。どんな理由があろうとも食事の時間に遅れてはならず、先に食べ終わっても席を立つことは許されない。
「夫の父方の祖母は、孫たちに礼儀正しい食事のマナーを教えるために、脇に2枚のナプキンを挟んで食べる練習をさせ、食事中にナプキンを落とせば罰せられたそうです」とガーさん。
最近のある晩、ガーさんは夫のマルコさんにこう話した。「友人たちに、貴族の家庭に嫁ぐのは大変かと聞かれるけれど、義理の両親も優しいし、いくつかの礼儀作法のルールがあるだけで、他の家庭と何も変わらず大変なことはないと思うわ」。
マルコさんはすぐに反論し、「君は幼い頃から両親にしっかりと教育を受けてきたから大変だと感じないんだよ。 僕の両親は君には優しいけれど、実際はとても厳しいよ。以前、ソンジャという女性と2年付き合ったけれど、家に連れて行ったことは一度もない。エリザベッタという女性とは5年付き合って、たった1度だけ。そしてあと1人はどうだったか、君も知っているだろう」と言った。
その女性はコロンビア出身で、マルコさんと3年交際し、家に連れて行って欲しいと度々頼んでいた。ある日曜日、マルコさんの家族と昼食を共にすることになり、その女性が食事中にアサリのスパゲティにパルメザンチーズをふりかけたのを見て、マルコさんの家族は皆驚愕した。
「イタリア人はシーフードスパゲティには決してチーズをかけません。それは、例えるならベトナムで黒豆茶にヌクマム(魚醤)を注ぐのと同じことです」とガーさんは説明した。
食事中に彼女のフォークとナイフの少し大きな音が聞こえると、マルコさんの家族は再び目を見合わせた。さらに彼女が肘を高く上げてグラスに水を注いだ際には、マルコさんは慌てて水のボトルを取り、彼女をサポートした。マルコさんは、家族の目に気づいていたからだ。
マルコさんの家では料理ごとにお皿やカトラリーを交換しているが、その女性は1つの料理を食べ終えると、同じ皿に別の料理を盛った。皿の上にはスパゲティのソースが残っていたが、その上にサラダを盛ったのだ。それでも皆何も言わなかったが、彼女がその皿にパンをのせると、ついに耐えきれなくなったマルコさんの弟が言った。「なぜパンをそのお皿に乗せるんですか?パン用のお皿があるのに」。
その女性はマルコさんの家族から好ましく思われず、2人が別れたという知らせを聞き、家族は皆喜んだという。
そしてマルコさんはガーさんと出会い、彼女の所作の美しさを見て、自信を持って家に招待した。しかし、ガーさんは友人を通してマルコさんの家族の気難しさを聞いていたため、すぐに受け入れることはできなかった。そこでマルコさんは、ガーさんが両親より先に自分の兄弟と知り合うよう手配した。兄弟たちは初めて会ってすぐに彼女のことを気に入った。
2人が付き合い始めてから5か月目に、彼女はようやくマルコさんの家に行くことに同意した。彼の両親はとても優しく、彼女の想像と大きく違っていた。マルコさんの父親は初めてガーさんに会い、「ようやくこの有名な女性に会うことができた!」と言った。
ガーさんに会う前に、マルコさんの父親は知人から彼女について色々と話を聞いていたのだと知り、ガーさんは驚いた。マルコさんの父親は、家族のこと、ベトナムのこと、政治や宗教のことなどについてガーさんに尋ねた。また、マルコさんの母親は、孔子の話を気に入った。
「その日の会食はとてもうまくいきました。食事中のテーブルマナーについては幼い頃から教えられていて、私の家での食事のほうがもっと厳しかったかもしれません。夫の両親は夕食まで食べ終えてから、ようやく帰してくれました」とガーさん。
結婚後も彼女は義理の両親に愛された。義父からはしばしばプレゼントをもらい、義母には洗濯をしてもらい、また陶芸、洋裁、刺繍などを教わっている。
「貴族の家庭にスムーズに入るためには、彼らの礼儀作法や習慣を正しく身につければ、難しいことはありません。私も兄嫁も貴族出身ではありませんが、幼い頃から両親に作法を教えられていました」とガーさんは語る。
ガーさんの父親は建築大学の元学長、母親は保健省の職員だ。「1文を聞けば教養のレベルが分かる。食事中の1分を見れば礼儀作法のレベル が分かる」と 父親はいつも子供たちに教えていた。
最も簡単な料理である茹で空心菜についてさえ、ガーさんの父親は茹で方、ザルへの上げ方、水の切り方、皆が食べやすいお皿への盛り付け方まで細かく教えてきた。
「私の父はたくさんの国を訪れ、その土地の話を聞かせてくれました。そして異文化になじむ心構えについて教えてくれたのです。母は製薬関係の仕事をしていたので、とても綺麗好きでした。母は外交的な人ではありませんが、外国を訪れた際にはその国の歌を1曲覚え、外国人に会うたびにその国の歌を歌って聴かせるんです」とガーさんは両親について教えてくれた。
イタリアに留学する前の1997年、ガーさんはイタリアの文化とマナーを懸命に学んだ。ガーさんは、イタリアへ渡ったばかりの頃にイタリア人の友人が自分を含めたベトナム人の友人たちをディナーに招いてくれた時のことが忘れられないという。
「イタリアではベトナムのように全ての料理を一度にテーブルに並べるのではなく、1皿ずつ食事を進めていくということを本で読み、事前に知っていたのが幸運でした。おかげで、他の友人たちみたいに最初の料理でお腹いっぱいにならずに済みました」。
ガーさんの両親が彼女に教えたことは、イタリア式の食事の仕方ではなく、異文化を学び、受け入れる意識や方法だ。「 私は家庭で異文化になじむことについて教わりましたが、外国を訪れた際にベトナム人の評価を下げないためにも、これはベトナムの文化においてもとても重要なことだと思います」とガーさんは語った。
[VnExpress 08:55 21/09/2019, A]
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