[特集]
墓地にごみ捨て場、路上で90人の子供を拾い救った独身男性
2019/10/06 05:05 JST更新
(C) thanhnien |
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グエン・バン・ラムさん(男性・47歳)は、11年余りの間に100人近い子供の命を救った。ごみ捨て場にいた子、トイレに捨てられていた子、両親を失った子、奇形の子…。男性はそんな子供たちを家に連れて帰り、彼らの人生を明るく変えた。
ラムさんの「フックラム(Phuc Lam)シェルター」は、東南部地方ドンナイ省ロンタイン郡ロンアン村(xa Long An, huyen Long Thanh)にあり、2015年にライセンスを取得した。地元当局も地域の恵まれない子供たちに対する人道的かつ意義のある活動だとして、法的な問題などの解決をサポートするとともに、シェルターの子供たちが学校に通うための支援も行っている。
やんちゃな子供たちに囲まれて穏やかに微笑みながら、ラムさんは学校に行く準備をしている学生服姿のまじめそうな女の子を指差した。彼女は、独身のラムさんが11年の間に90人もの「子供」を持つに至るきっかけとなった子だ。
11年前のある午後、仕事からの帰り道にラムさんはごみ捨て場に人だかりができているのを見つけた。「好奇心で近寄ってみると、そこには顔と手足を蟻に噛まれた赤ん坊がいました。誰も触れようともせず、赤ん坊が生き残れるとも思っていませんでした。でもその時、私は何かに突き動かされたように急いで駆け寄り、体重わずか1kgの赤ん坊を抱えて病院に行きました。幸い、その子を救うことができました」とラムさん。
次にどうすべきかわからないまま、彼は赤ん坊を家に連れて帰った。妻も子供もいなかったため、近所で噂話を立てられることを恐れて、タクシーの運転手には家のドアの前に着いてから降ろしてほしいと告げた。ラムさんは母親に赤ん坊を拾ったと話したが当初は信じてもらえず、後に少しずつ理解を得られるようになった。
「それから約1か月後、またもや仕事の帰り道に道端の草むらから泣き声が聞こえました。それが2番目の子供です。そのまた1年後には、私が2人の孤児を育てていることを知る男性から、ある女性が明日子供を捨てようとしていると電話がかかってきました。私は受け入れないと答えましたが、男性が2度、5度と何度も電話をかけてきたので、もう無視することができず、病院に駆けつけて捨てられたばかりの子供を受け入れました」とラムさんは語った。
母親が反対すると考え、ラムさんは貸し部屋を探し、ベビーシッターを雇った。まるで夢のような話だが、その翌朝にラムさんがランニングをしていると、道端で泣き声が聞こえた。そして、孤児がもう1人増えた。彼は大変な状況ながらも2つ目の部屋を借り、近くのバインミー(ベトナム風サンドイッチ)の売り子も世話係として雇った。その6か月後、ラムさんはようやく母親にこのことを打ち明けた。
「予想外にも母は、『馬鹿だね、子供を拾ったなら、外で世話をせず家に連れて来なさい』と言いました。驚きましたが、母もまた私と同じように、小さく無力な赤ん坊を前に、自分の手を握るその小さな手を愛しく思わずにはいられなかったのです。それから4人の赤ん坊が私の家に来ました。以来、私は1つの疑問についてずっと考えています。『同じ人間なのに、なぜ恵まれた環境で生まれてくる子供がいる一方で、道端やごみ捨て場で目を開ける子供がいるのだろう』。そして、私はこの人生にはたくさんの不幸があることに気づき、自分個人の幸せは捨てて、腕を広げてこのような子供たちを受け入れることに決めたのです」。
ラムさんが1人目の子供を受け入れた時から、弟のグエン・バン・フックさんもラムさんを助けているが、2人の独身男性が生まれたばかりの赤ちゃんの世話をするのは簡単なことでなかった。彼らは夜な夜な子育てについてインターネットで検索し、育児本も購入した。
「でも、もっと大変なのは経済的な部分です。私たち兄弟は警備会社から収入を得ていますが、子供たちが増え、全員を養うには十分ではありません。私の1日は午前2時半に始まります。朝起きて、ベビーシッターたちが来る前におかゆを作ります。夜明けには卸売市場に行き、商人を手伝い、それから市場の駐車場の係員の仕事をします。その間に弟が子供たちを学校に連れて行きます。日中は警備会社、夜はカフェで働いて、夜の10時にようやく家に帰り着き、子供たちの世話をします」と、ラムさんは1日20時間以上にわたる労働時間について教えてくれた。
運命のようにラムさんに「見つけられた」子供たちは、家のドアの前に捨てられた子、奇形児、トイレに産み落とされた子、父親が自殺し母親も末期がんの子…と、様々だ。しかし、いつ何時もラムさんは子供たちのもとに駆け付け、命を救ってきた。
2014年から2016年にかけてのピーク時には、平均して月に2~3人の捨てられた子供がラムさんのシェルターにやって来た。シェルターは古く、ガタガタで雨漏りもしていた。「私がしていることを理解し、母はシェルターの周りの土地を全て私に与えてくれました。私は拒否しましたが、母の決意は固く、私は受け入れざるを得ませんでした。兄弟たちも、財産の半分を私が受け取ることに同意し、シェルターを新たに建て直すことにしました。子供たちが今ここにいるのも、今日を生きているのも、私1人では成しえないことでした」とラムさんは打ち明けた。
2017年8月、シェルターは再建によりさらに広くなった。しかし、新しいシェルターに引っ越してからわずか10日後、突然の火災により全ての家財道具が焼失した。幸いにも怪我人は出なかった。
「でもそれは、不幸中の幸いでもありました。9年半にわたり私はひっそりと子供たちの命を救ってきましたが、火事の後、親戚がソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)を通じて子供たちが学校に行くための古着や古本の支援を呼びかけてくれました。その投稿が多くの人にシェアされ、たくさんの支援者がシェルターを訪ねて来ました。おかげで、今シェルターにいる90人の子供たちのうち、38人の新生児を除く子供たちは皆、学齢通りに学校に通えているのです」とラムさん。
まだ幼い子供は学校から帰ると「お父さん、友達が自分を『孤児だ』と言うんだ」と話すこともある。そんな時、ラムさんは「皆は孤児じゃない。お父さんがいるじゃないか。この家にいる皆はきょうだいなんだよ」と言って聞かせるのだという。
2番目に受け入れた子供からは、全員が「グエン・ホアン・フック~」という共通の名字とミドルネームをつけられ、それぞれ異なる下の名前を持つ。ホアンは「栄光」、フックは「幸福」という意味で、どちらもラムさんが子供たちの未来に望んでいることだ。ラムさんの記憶には、約100人の子供たちの人生の物語が深く刻まれており、子供たちが経てきた環境や病気、また起こった出来事の日時まですらすらと話すことができる。
現在のラムさんの喜びは、ただただ子供たちが楽しく元気に過ごしているのを見ること。そしてラムさんの幸せは、不幸な天使たちを救うために自分が腕を広げることだという。しかしそれ以上の幸せは、彼のことを父親と呼ばなければならない子供たちがこれ以上増えないことだ。
[Thanh Nien 12:07 23/08/2019, A]
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