[特集]
脳死の息子の臓器提供、見知らぬ4人に「母」と呼ばれる女性
2019/07/21 05:49 JST更新
(C) vnexpress |
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不慮の事故で脳死となった息子を「生かす」ため、ハノイ市に住むカン・ティ・ガンさん(女性・59歳)は、危篤状態の1人を含む5人に息子の臓器を提供する決心をした。5人のうち4人はまだ若く、自分への臓器提供者の母親であるガンさんのことを「お母さん」と呼んでいる。
「お母さん、私をもう一度生んでくれてありがとう。この恩は決して忘れません」。
母親に抱き守られて安らかな子供達を表すような、青空の下で大きく枝を広げてそびえる大樹の絵の下端に、このメッセージと共に「ハウ、クオン、ティエン、トゥイ、フン」という5人の名が刻まれている。
これは、ガンさんの息子から臓器提供を受けた5人が、自分を生まれ変わらせてくれたことに感謝の気持ちを込めてガンさんに送った絵だ。ハノイ市クオックオアイ郡のドラン集落にある小さな家の中で、ガンさんは3日に一度はその絵を綺麗に拭いている。
ガンさんの夫は感電事故のため早くに亡くなり、ガンさんは息子2人と娘1人をひとりで育てなければならなかった。ふくよかで優しそうな顔つきのガンさんは、カニを捕まえアヒルを育てながら、水田の真ん中に立つ小屋で母子4人でひっそりと過ごした生活を忘れることはないという。
20年間をその小屋で過ごした後、2015年にガンさんは平屋の家を建て、1986年生まれの末息子のチン・ディン・バンさんの結婚を待ち望んでいた。しかし、喜びは長くは続かなかった。2016年7月27日の夜、ガンさんが都市部でベビーシッターの仕事をしている時、バンさんが手すりの上で寝ている最中に地面に落下したとの電話を受けた。
第103軍医病院に到着すると、医師からバンさんは99%脳死状態で、助かる可能性はないと告げられた。ガンさんは雷に打たれたように崩れ落ちた。
家では不運な息子のために今後の準備を整えたが、ここでガンさんがバンさんの臓器提供同意書の用紙にサインをし、皆が驚いた。「60年近く生きてきて、私は臓器提供とは何か知りませんでした。でも、医師から息子の一部が他の人の体の中で生き続けられるという説明を聞き、色々と考えさせられました。もし息子を火葬すれば灰になってしまうだけですが、臓器を提供すれば人を助けることができます」とガンさんは悲しげに回想した。
ガンさんが同意書にサインしたことで、見知らぬ5人が命を救われることになった。その日の夜、第103軍医病院ではバンさんの心臓と腎臓2つが摘出され、3人の命が救われた。その後、2枚の角膜が摘出され、新たに2人が視力を取り戻し、再びこの世界を見ることができた。
「村では、私が金銭目的で息子の臓器を提供したと言う人もいました。また、バンが亡くなった時に遺体を安置しなかったため、非人間的で不道徳だと言う人もいました」とガンさん。「息子の臓器を売った」という陰口は、長い間ガンさんを苦しめた。
そんな中、2016年の年末に事態が変わった。バンさんの心臓を移植してもらった、北中部地方クアンビン省に住む海上警察官のグエン・ナム・ティエンさん(男性)が感謝を伝えにガンさんの家を訪れたのだ。
「門の外のティエンさんを見ると自然に涙が溢れ、何かに突き動かされるように私は走り出し、彼を抱きしめました。そして、バンの心臓が中で動いている左胸に顔を当て、『息子よ』と呼びかけたのです」とガンさんは振り返る。
ティエンさんは黙って立ったまま、泣きじゃくるガンさんを支えていた。半年前、彼は瀕死の状態だったが、バンさんの心臓のおかげで助かることができた。
帰る時にティエンさんがガンさんから受け取った土産袋の中には手紙が入っていた。「あなたが私を訪ねて北へ向かうという知らせを聞いて、とても嬉しかった。あなたの中にはバンの心臓が生きています。あなたの胸にはバンの血が、そして私の血が流れています。何も報いらなくていいから、あなたが元気に生きてくれればそれだけで嬉しいです」。
訪問から3年近くが経ち、今ではティエンさんはガンさんのことを本当の母親のように思っているという。彼は自分の家にガンさんを招いたり、ほぼ毎日ガンさんに電話をかけたりしている。「私から電話をかけるのが間に合わなかった日は、母が電話をかけてくれ、私の健康状態を気にかけてくれます。検診のため北に行くときは今でも母の家を訪ねます。私にとって、母は恩人であり、私を生んでくれた第2の母でもあるんです」とティエンさんは語る。
ティエンさんが訪問してから、ガンさんの近所に住む人々も彼女の真意を理解してくれるようになった。皆、以前はガンさんとすれ違っても話もしなかったが、今ではガンさんを励まし、慰めるようになった。「村にはいまだに当時のことをくどくどと話す人もいますが、皆徐々にガンさんを理解し、愛するようになってきました」と、ドラン村落の村長であるチン・ディン・ハーさんが教えてくれた。
ティエンさんに続いて、ガンさんは息子から臓器提供を受けた人たちに順番に会った。腎臓を受け取ったチャン・ティ・ハウさん(女性、東北部地方ランソン省在住)とブオン・スアン・クオンさん(男性、西北部地方ソンラ省在住)、そして角膜を受け取ったディン・トゥー・トゥイさん(女性、ハノイ市在住)とグエン・スアン・フンさん(男性、ハノイ市在住)の4人だ。
臓器提供を受けた人たちの中でも、ガンさんはハウさんに特別な思い入れがある。手術の前、ハウさんは8年間も腎不全を患っており、継続的に透析を受けなければならなかった。腎臓移植後、健康状態が安定すると、ハウさんはクオンさんと一緒に臓器提供者を探そうと試みたが、病院側の規則により、提供者の情報を得ることができなかった。
しかし驚いたことに、2017年中旬にあるテレビ番組の企画でガンさんに連絡を取ることができたのだ。ハウさんは、「初めて母に会ったとき、話し方や身振りに以前どこかで会ったような馴染みと温かさを感じ、強い愛情と親しみを感じました」と話す。
ここ2年間のテト(旧正月)に、ハウさんはガンさんを自分の家に招いている。新しい腎臓のおかげでハウさんは健康になり、バイクの運転の練習も始めた。「初めて母をバイクに乗せたとき、私は道の真ん中で転倒してしまいました。母は相当痛かったでしょうに、私を見て笑い出しました。今では運転も上達し、母が来るとバイクで街のあちこちに連れて出かけることができるようになりました」とハウさん。
他の人たちも定期的にガンさんを訪ねている。毎年、バンさんの命日である7月27日には5人揃ってガンさんの家を訪ね、恩人であるバンさんに線香を手向け、皆で食事をしている。
国立臓器移植調整センターの書類保管室には、2016年に提出された、全ての臓器について自発的に提供する意思を示したガンさんの書類がある。「16歳の少女が腎臓移植の日を待たずに永遠にこの世を去ってしまったことを知り、ずっと後悔しています。もしもっと早くそのことを知っていたら、私は自分の腎臓の1つを彼女にあげたかった。もう遅いですが、そういった機会が他の多くの人に与えられることを願っています」とガンさんは語った。
国立臓器移植調整センターによると、臓器提供の登録者数は年々増加しており、これまでにその数は2万3000人を超えている。しかしながら、2018年における死後の臓器提供者数は依然として少なく、わずか10例ほどにすぎないという。
[VnExpress 07:14 5/6/2019, A]
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