[特集]
障害乗り越え、松葉杖でベトナム最高峰登頂を果たした若き社長
2019/05/19 05:42 JST更新
(C) vnexpress |
(C) vnexpress |
(C) vnexpress |
身体の麻痺のため松葉杖を使っているグエン・ディン・ダンさん(男性・31歳)は、西北部地方ラオカイ省にあるベトナム最高峰のファンシーパン山(Fansipan)の登頂に松葉杖で挑戦した。
ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)上での落ち着いた様子の写真とは反対に、31歳のダンさんは子供のように小柄で体重も40kgほどしかなく、2本の脚は委縮していて、自分で立つことも難しい。しかし、彼は松葉杖を手にして素早く歩き、走り、山に登る。そして、英語学習の経験と彼が乗り越えてきたいくつもの限界について話すため、1000人もの群衆の前に立つ。
紅河デルタ地方ナムディン省出身のダンさんは、1歳の時にかかった高熱が原因で、脚に麻痺が残った。その代わりに、ダンさんは学業で優秀な成績を残し、工業大学のIT専攻に一発で合格した。そして卒業後すぐに技術開発を行う大手企業に就職した。
仕事が安定すると、彼は英語を流暢に話せるようになるという目標を立てた。2013年に開かれたベトナム系米国人の語学講師による無料英語レッスンのプログラムの中で、講師は「HappyForever41」というニックネームの受講者についてしばしば言及した。この受講者こそがダンさんだった。ダンさんはその勤勉さから講師の関心を引き、その後個別にレッスンを受け、さらに指導助手としてレッスンに参加することになった。
約2年の間、ダンさんは無料オンラインレッスンで夜遅くまで英語を教え、深夜3時過ぎに眠りにつく生活を送った。そんな中でも、彼は朝6時に起きて料理をし、仕事に行っていた。毎日、バス停から会社まで松葉杖で2kmの距離を歩き、階段を登ってオフィスに向かっていた。
2015年の夏、ダンさんは英語学習と英語を教える仕事に専念するため、月1500万VND(約7万円)程の給料を得ていた仕事を辞める決心をした。同時に、ダンさんは常に自分の限界に挑戦したいと考えていた。
2015年9月、ダンさんと彼の友人は、たった80万VND(約3700円)を携えて、三輪バイクでのベトナム縦断の旅を実現した。この旅の間にダンさんはネムチュア(Nem Chua、発酵豚肉ソーセージ)売り、バイクタクシー、観光ガイドなどの仕事をして旅の資金を稼いだ。
「サムソン(北中部地方タインホア省)に行った時、私と友人はある家の軒先で一晩を過ごさせてもらうことにしました。その夜は大雨と強風で、家主はドアを開けて家の中に招いてくれましたが、私たちはお互い励まし合いながら、軒先で夜を明かしました」とダンさん。
翌朝になると通りには爽快な風が吹き、服も乾いており、2人はまた意気揚々と前に進んだ。北中部地方トゥアティエン・フエ省と南中部沿岸地方ダナン市の間にあるハイバン峠に差し掛かった時には、2台のうち1台の車両のブレーキが壊れたため、落ちていた枝をブレーキ代わりに使いながら先に進んだ。
「ベトナム最南端のカマウ岬(メコンデルタ地方カマウ省)に辿り着いた時、自分の国はとても美しいと感じ、更なる力が湧いてくるようでした。もし途中で旅を諦めていたなら、そのような気持ちを感じることはできなかったでしょう」と、ダンさんは29日間に及んだベトナム縦断旅行について教えてくれた。
2017年にダンさんは更に過酷な挑戦をしてみたいと思い、ベトナム最高峰のファンシーパン山の登頂を目指すことにした。平坦な道では前に進めるが、急勾配の岩場では少しの距離を進むのにも数十分かかった。同行した仲間がサポートしてくれたものの、16kmに及ぶ道のりには急斜面が多く、片足がやっと置ける程の岩場ではダンさんも自力で前に進むしかない状況だった。
「高い岩場を越えるために、私は自分自身を励まし続けました。かつてある人に言われた 『こんなに不自由なのに、何のために仕事をするのか。それよりも、自分を助けてくれる妻を探したらどうだ』という言葉を思い出しながら。その言葉のおかげで自分はエンジニアになるという挑戦に成功し、そして今はファンシーパン山に登っているのだ、と。立ち止まることなどできませんでした」とダンさんは振り返る。
通常、ファンシーパン山の登山グループは午後7時までには休憩所に到着するが、ダンさんのグループはダンさんを待ちながら進んでいたため、夜11時になってようやく休憩所に到着した。
「肩にとても負担がかかり、また足も動かさないといけなかったため、体のあちこちが痛みました。その時、もう体はついてきていませんでしたが、意志と決意の力で先に進むことができました」とダンさん。
翌日、ダンさんは更に数時間登り続け、ようやく頂上に到達した。ベトナム、そしてインドシナ半島の最高峰として「インドシナの屋根」とも呼ばれるファンシーパン山の山頂に立って一面に広がる雲を眺めると、今までの疲れは吹き飛んだ。
ダンさんとともにファンシーパン山に登ったメンバーの1人であるトゥー・フオンさんは、登山の夜は大雨で道はぬかるみ、懐中電灯の電池も残りわずかだったことを教えてくれた。「メンバーの何人かは先に休憩所に行き休んでいました。遅れた4人が後に残り、その中にダンさんがいました。彼はいつでも周りを励まし、面白い話をして、皆の空腹、寒さ、そして野生動物への恐怖を忘れさせてくれました」。
2018年、ダンさんは紅河デルタ地方ニンビン省と東北部地方クアンニン省ハロン市で開かれた一般のマラソン大会に、松葉杖で挑戦した。その年の終わりには、ハノイ市に自分の英語学校を設立した。米国の語学講師が直接トレーニングする方式で、通常は数年かかる英語学習の時間を数か月に短縮することを約束し、定期的に5~7クラスを開講している。
自身の脚の代わりに松葉杖を使う必要があるが、この31年間、ダンさんは普通の人と同じように暮らしてきた。その暮らしぶりは、フェイスブック(Facebook)で友人がこのようなメッセージを送ってくるほどだ。「実のところ、いつもあなたの近況を『楽しそうにしているな』と何となく眺めているだけでした。でも、今日あなたがテレビに出ているのを見て、初めてあなたが松葉杖を使っていることに気づきました」。
松葉杖を使って歩かなければならなくても、誰も彼が「松葉杖を使っている」とは意識しないでいてくれること、それがダンさんの願いだ。
[VnExpress 06:25 11/04/2019, A]
© Viet-jo.com 2002-2024 All Rights Reserved.
このサイトにおける情報やその他のデータは、あくまでも利用者の私的利用のみのために提供されているものであって、取引など商用目的のために提供されているものではありません。弊サイトは、こうした情報やデータの誤謬や遅延、或いは、こうした情報やデータに依拠してなされた如何なる行為についても、何らの責任も負うものではありません。